接近 01

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授業を終えたばかりの放課後、廊下は帰り支度を終えた生徒達でにぎわっている。 廊下の隅で話をしている女子生徒2人組に手を振られたので、笑みを浮かべて応じた。 彼女らの本当の目的が三月だということはわかっていたが、そんなことを知る由もない当人は、頭さえ下げない。 「でた、つっちースマイル」 それどころか、愛想を振りまく歩を皮肉ってさえいる。 「なんだよ。普通に挨拶してるだけだよ。誰かさんが愛想ないから」 「すげー苛ついてるくせに、ほんと顔には出さないよな。俺にはできないわ。とりあえずの、そのスマイル」 とりあえずのスマイル。 神楽坂が自分に向けて放つそれと同じだ。 本心ではない、感情はべつのどこかにあるような——— 歩は、神楽坂が周に向けていた、全然質の異なる笑みをふと思い出した。 自分も、あの笑みで笑いかけてほしい。 特別ななかのひとりになりたい——— 階段を降りて玄関口まで来ると、風が眉間あたりを撫でた。 その冷たさはまだ角のない、柔らかなものだった。 本格的な冬が来る前の、凛とした中にも優しさがあるような気候——歩が好きな季節だ。 たたきにスニーカーを落とすと、粉塵が舞った。歩は体をそらしてそれらを避けながら、同じく靴を落とした三月のほうを見た。 「三月はさ、どういうきっかけでタロとそういう風になったの」 彼の幅広二重のまぶたが、微かに動いた。 タロはもともと三月の父親の友人で、小さな頃から今まで、家族同然の付き合いをしてきたそうだ。そんな相手と恋愛関係になるのは、ある意味自分よりもハードルが高い気がする。 「最初は無理矢理というか……けっこう一方的に襲ったかも」 「無理矢理? なんで?」 「いや、前にも話したと思うけど、マンションの外でタロと神楽坂のおっさんがキスしてんの見てすげーモヤモヤしてて。その後、ふたりでタロの部屋にいたとき——細かいことは忘れたけど、ささいなきっかけでイラッときて、ムラッときて、押し倒した。そしたら止まんなくなった」 「……無駄に韻踏んでんじゃないよ」 小突くと、三月は照れ隠しなのか声を上げて笑った。 彼の戦略は大胆かつ単純で、側から聞いているとよくそれで大人を口説き落とせたなと思う。 しかし、三月にはそれができてしまう。自分のペースに相手を巻き込んでいく才能があるのだ。 多くのものを持ってはいるが、多くを望むことのない彼だから、手に入れたいと思った数少ないものに関しては、さぞすごい威力を発揮するのだろう。 「まあ、あれかもな。アユが積極的に行くしかないんじゃないの。おっさん、ああ見えてわりと常識人っぽいし」 「おっさん言うな」 「へーへー」 ふたり同時に、靴を引っ掛ける。 歩が屈んで紐を結び直している間に、三月はひと足先に歩き出してしまった。彼はいちいち紐を結び直したりしないらしく、かかともだいぶ潰れている。 彼に並ぶと、がっしりとした肩や胸板が視界に入り、歩はやや声を潜めた。
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