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接近 04
「あ、制服だ」
見慣れたチープな街灯に照らされながら、神楽坂が微笑んだ。
今日は一度家に帰る時間がなかったのだ。
彼はもうコートを着ている。
薄手だが、仕立てのよさそうなネイビーのピーコート。中に着た太めのストライプシャツによく合っている。
歩はやや俯き加減で彼に並んだ。
「……来るなら事前に言ってくれればいいのに。失敗した」
「なにが失敗なのよ」
「恭ちゃんといる時は、制服着たくないんだよ」
私服ならば、パッと見の印象だけでも年齢差を縮めることができるのに、制服姿だとその差が歴然としてしまう気がする。
バックパックの持ち手を握り締めながら一歩踏み出すと、神楽坂も歩幅を合わせながらついてきた。
せっかく来てくれたというのに、顔すらまともに見ていない。
先に歩き始めたことを後悔していたが、今更どうしようもなかった。
もれる息が白い。
秋は、強い日差しや陽炎の隙間からようやく顔をのぞかせたかと思うと、冬という季節にがぶりと飲み込まれるようにして、あっという間に姿を消した。
首筋を撫でる風は冷たく、毛穴を突き刺すようだ。
「制服姿の歩も好きだけどなぁ」
そういうことじゃなくて——そう言おうとすると、腕を取られた。
先行していた歩は、引き寄せられる形で神楽坂と横並びになる。
「そろそろ笑った顔が見たい」
歩は口を尖らせたまま、彼の窪んだ目元を見つめ続けた。
笑ってやらないのは、ささやかな抵抗だった。
手の甲同士がぶつかり、やや躊躇ったのちに、歩から指を絡めた。
「家に連れてってくれたら、笑ってあげる」
強く握ってみたが、この前の時と同様、握り返されることはなかった。
「今日はだめ」
しばらくして、小さな拒絶をこぼされた。
「なんで?」
「酔っ払ってるから……」
彼の目が一瞬、戸惑いに揺れた。
その瞳に映る微かな怯えに、歩は胸が震えるようだった。
「眠いの? もし寝ちゃっても気にしないで大丈夫だよ。俺、ひとりで帰れるし……」
神楽坂は眉を下げながら、首を左右にゆっくりと振った。
「迷惑かけない。すぐ帰るから……だめ?」
「だめ」
頑なな神楽坂を見ていたらたまらなくなり、歩は手を強く握ったまま、彼の二の腕に額をつけた。
「たくさん、癒やしてあげたいのになぁ……」
口では残念がりながらも、内心ではその強い拒絶が嬉しかった。
彼は以前、こう言った。
酔うと、あらゆることがどうでもよくなると。
つまり彼は、あらゆることから解放された状態で、自分とふたりきりになることを危惧している。
だとしたら、これはただの思い上がりではなく、神楽坂も少しは自分のことを意識してくれているのだ————
歩はもう、それが知れただけで充分だった。
「なに、急にニコニコしちゃって」
神楽坂が覗き込んできた。
いつのまにか顔に出ていたらしい。
「なんでもないー」
答えたところで前方から自転車が来るのがわかって、そっと体を離した。
神楽坂の背後に避けて、自転車を通す。
彼の首は長く、うなじが綺麗だった。
自転車が見えなくなっても、そのまま彼の少し後ろを歩いた。
彼は両手を真っ直ぐに下ろしたまま、歩いている。
ふたたびその手を取ることは容易かったし、強く握っても、彼は決して拒絶はしないだろう。
しかし、歩はあえて、彼の温度を感じ取れるくらいの距離を保ちながら続いた。
元々、恋愛においてはせっかちで、気持ちを確認するのも、距離を詰めるのも急ぐことが多かった。
なのに、神楽坂とはこんな微妙な距離感が心地良くて、もどかしささえも楽しいのだった。
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