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「じゃあ、君が次になってくれる?」
神楽坂の声が、指先の上を撫でつけるようにしてから皮膚を伝い、やがて耳の奥へと入り込んできた。
髪をつまんでいた親指と人差し指の先端が縮こまり、ついに全身までもが固まってしまう。
「……え?」
歩の反応を気にすることなく、神楽坂は窓の外にふたたび視線をやった。
「てっぺんだよ」
つられて歩も窓の外を見たが、自分達が今どこにいるのかなど、どうでもよかった。
ジェットコースターは急峻なカーブをちょうど昇っていくところで、頂上に到達する前になんとなく視線を外し、真下に移した。
言葉の続かないまま、みるみる地面だけが近くなり、ゴンドラが時計の針でいうちょうど3時くらいまで下降したとき、神楽坂が沈黙を破った。
「あ、さっきの冗談だからね」
口調が、思いのほか焦っていた。
「……びっくりしました」
「会社でもよく、冗談なんだか本気なんだかわからないって言われるんだけど、高校生相手にちょっと今のはなかったね。ごめんごめん」
これじゃあ本当に変態おじさんになっちゃうねー。
そう言いながら、ふたたびからからと笑う。
歩はなんとかぎこちない笑みを浮かべて、彼から投げかけられる言葉——絶叫系には乗れるのかとか、お腹は空いてるかとかいう問いかけに相槌を打った。
その何気ない会話のやりとりは、とりあえず脳に引っかかるものの、記憶の一片にはならず、すぐに流れて消えていった。
——本当にびっくりした。
神楽坂の発言に対してではない。
あと少し沈黙が続いていたら「はい」と答えてしまうところだった、自分自身にである。
知り合ったばかりの、年の離れた相手の軽口に肯定して、あやうく本当に「変態おじさん」にしてしまうところだった。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
乗降口が近づいてきて、だいぶ早めに歩が腰を上げた時、神楽坂が言った。
「全然。暇なんで」
なぜもう少し気の利いた言葉が言えないのだろう。
言ったあとで後悔したが、神楽坂はさほど気にしていなさそうだった。
乗降口に着き、扉が開く。
歩に続いて神楽坂が腰を上げたとき、首筋から微かにシトラスの香りが漂った。
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