接近 05

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「さっきからなんでこっち向かないの?」 言われても、なかなか顔を上げられずに、右頬をストライプシャツに押し付けていた。 なぜ、自分は泣いてしまったんだろう。思い返すたびに羞恥で打ちのめされそうになった。 「恥ずかしいんだよ」 「なんで?」 「泣いたからだよ。察して!」 照れ隠しをいいことに、腕に顔を押し付けて隠した。 酔っているせいか、彼の体温が高い。シャツを通して伝わる温かさが心地よかった。 すると、左頬から目尻にかけてを指でなぞられた。 「目、まだ赤いね」 歩はゆっくり顔を上げて、その愛撫に応じた。 ようやく視線を合わせると、彼の目は一見、据わっているようでいて、てらてらと光っていた。 次はその人差し指が、目尻から頬、そして首筋へと落ちてきた。 その熱っぽさに、ふれられた部分がうずいて、視界が滲んでくる。 「俺、油くさくない……?」 距離が近づいて、ふと気になった。 神楽坂は微かに眉を上げた。間近で見た神楽坂の目も、同じようにとろけているように見える。 「臭くないよ。歩の匂いがする」 体を引き寄せられ、うなじあたりを嗅がれて、歩は身を捩った。 「ちょっ、それくすぐったいから……」 こそばゆさに、手のひらを神楽坂の口元に当てて封じる。 「ごめんごめん。つい変態おじさん発動しちゃった」 神楽坂がおどけて体を離そうとしたのに気づき、自ら体を密着させた。 そのまま、親指で神楽坂の下唇をなぞった。 「いい……」 今度は上唇をなぞると、微かに震えたのがわかった。 「今日は変態おじさんのままでいて」 彼のシャープな頬をなぞり耳たぶにふれると、腕に熱い息がぶつかった。 その目はゆらゆらと、所在なく揺れている。 ふたりの輪郭という輪郭を縁取るような火照りは、単なる体温ではない。おそらく——互いに、どうしようもなく欲情していた。 「恭ちゃん……」 歩が体をすり寄せても、神楽坂は微動だにしない。 彼の瞳のなかに理性が滑り込んでくるのを恐れて、首に両手を絡めて引き寄せた。 彼の体はさほど抵抗なく前のめりになり、ふたりは重なり合うようにソファーに寝そべった。 頭をつけると、ソファーからもいい匂いがわき立った。 彼は覆い被さりながらも触れてくることはなかったが、代わりに視線をゆっくりと動かし、嬲るように歩を見つめてきた。 すでに自分の下半身は反応してしまっている。身を捩ってごまかそうとすると、その部分をじっと捉えられた。 「あんま見ないで……」 懇願しても、神楽坂はうっすらと笑っただけだった。その意地悪な視線でなぞられるたびに、体が疼いてたまらなくなる。 歩は彼を引き寄せ、唇を耳たぶにつけた。 そして、息だけの声ですがる。 「触ってほしい……」 ソファーについたままの神楽坂の手を握って、そっと自身の昂りに押し当てた。 神楽坂の熱い息が目蓋に当たり、一瞬、目を閉じる。ふたたび開けた時にはすぐ間近に、彼の濃い睫毛が迫っていた。 鼻っ柱がぶつかりそうな距離にいながらもなかなか重ならない唇がもどかしくて、唇を尖らせて自らぶつけてしまおうと思ったときだった。 ブレザーのポケットに入れたままのスマートフォンが震えた。 そのままやりすごそうかと思ったが、振動音は思いのほか響いて、気を散らした。 「電話じゃない?」 神楽坂が体を起こしたのをがっかりしながら見つめたのち、歩も起き上がった。 土屋桃子(ももこ)————着信相手は1番上の姉である。 起き上がり、廊下に出てから電話に出た。話の内容は、共同で使っているタブレットのパスワードを教えろという、正直どうでもいいものだった。ついでに母親に代わってもらい、今日は遅くなる旨を伝えておく。 電話を切ると、先ほど自分が放った言葉をふと思い出し、羞恥に押し潰されそうになった。 かなり強引に誘ってしまったから、神楽坂は驚いただろうか。ウブじゃなくて幻滅されてしまったかもしれない。 歩は手の平を唇に当てながら喉元まで突き上げてくる気恥ずかしさを飲み下した。 ——しかし、神楽坂だって興奮していた。自分を近くに感じることで、しっかりと欲情していたのだ。 あとはもう、なるようにしかならない。 いや、してみせる。 髪の毛を摘んで撫で、咳払いをひとつしてから、ふたたびリビングのドアを開けた。
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