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接近 06
神楽坂は先ほどと同じ位置に座ったままでいた。
ドアを閉めても、振り向きもしない。
「ねーちゃんだった」
神楽坂はやはり身動ぎひとつせずに「そう」とだけ言った。
嫌な感じを覚えて彼の正面に立つと、神楽坂はゆっくり顔を上げた。それはいつものにんまりとした、繕った笑みだった。
「お姉さんの名前、なんていうの」
「上が桃子で下が百合子。電話してきたのは桃子」
聞いてきたわりには、うわのそらだ。神楽坂は小さく口を開けてぼうっと歩を見つめたまま、起伏のない相槌を打った。
「桃子、百合子、歩か。君だけちょっと違うんだね」
歩はなにも答えなかった。
それよりも彼の態度が気になって仕方がない。その妙なよそよそしさが、どうか思い過ごしであればいいと思った。
「恭ちゃん、どうしたの?」
「……さっき、帰り道で歩に言ったことを思い出してた」
帰り道というなんとも不穏な言葉に、手のひらが汗ばむ。
神楽坂は背もたれに寄りかかると、足を組んで天井を仰いだ。彼の目にはもう、理性の青い炎が静かに灯っていた。
「玄君のことよく知りもしないのに、一方的に否定しちゃって悪かったなって。選ぶのは歩なのにね」
「……なんで今、そんな話するの」
神楽坂に答えるつもりはないらしい。
白い、サイズの異なる皿を重ねてひっくり返したようなペンダントライトの弱い光を見つめたまま——口を結んでいた。
苛立ちが募る。
やはりさっき、電話に出るべきではなかった。強引にでも彼の唇を奪っておくべきだったのだ。
「恭ちゃんはどうなの? 俺と玄がそうなったら——」
「それは歩が決めること」
なに、なんなのこの人。
いきなり————
歩は神楽坂に近づくと、彼の膝にまたがり、先程と同様に背中に手を回した。
そっちが引け腰になるならば、こちらから近づくまでだ。少しでも距離を離したら、彼はもう、縮める隙を与えてくれないだろう。
「俺は恭ちゃんに嫌だって言ってほしい」
神楽坂はなにも言わない。
歩が顔を近づけると微かに身をひいたが、かまわずにキスをした。
柔らかな感触と、彼の体の強張り、そして動揺を一緒に受け取った。
唇を離して額をくっつけ、そのまま抱きついた。
「気づいてると思うけど、俺……恭ちゃんが好きだから」
告げてから、ふたたび唇をぶつけた。
唇の間を舌でなぞり突いても、彼は歯を噛み締めてこちらの侵入を許さなかった。
「恭ちゃん、口とじないで……」
舌先で上唇を舐めながらねだる。
すると彼は、耐えかねたように歩の肩を掴んで引き離した。
「だめだよ」
「なんで……?」
「君はまだ子どもだ」
歩は所在なく、太ももを握りしめた。
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