あなたはずるい 01

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「ここからだったら桜町かな。土曜日だからオールナイトやってるはず。どっかでタクシー拾えるかなー」 玄はスマートフォンをいじりながら、しきりに車道を見ている。もちろん、歩がまだ返事をしていないことなど、気にも留めていない。 歩は諦めてスマートフォンを取り出し、親に連絡を入れた。 ——おそらく、この男には何を言っても無駄なのだろう。彼のマイワールドにはどうせ介入できやしない。 半ば引きずられるようにしながら後をついていった。 玄は大股で颯爽と歩いていたが、突然、思いついたように振り返り、にっこりと笑った。 「やっとデートできるね」 いや、するとは一度も言っていないんだが———— 思ったが、反論する気も失せてしまった。 ふいに頭を撫でられてつい身構え、それを見た玄が、また笑った。 「大通りまで歩こ」 ふたたび手を取られ歩き始めた時、植え込み付近に人影が見えた。 玄と同じくらい背丈のあるシルエット。 目元で微かに光る黒縁眼鏡を捉えた時——真っ白などこかに急降下していくような感覚に陥った。 そこにいたのは、まぎれもなく神楽坂だった。 彼はいつもそうするように、壁に寄りかかっていたのだった。 「恭……」 名前すらまともに発することができず、ただ呆然と立ち尽くすことしかできない。 ——毎日、期待していた。常に気を張って待ち望んでいたのになぜ、よりによってこのタイミングなのだろう。 神楽坂の視線が真っ直ぐ、こちらに向けられている。 歩も必死に応えようとするが、薄暗いなかでは彼の瞳のなかにある機微を読み取ることができなかった。 躊躇と困惑だけが、白い息に混ざって空気中に溶けていく。 やがて、神楽坂は歩の動揺を丸ごと包み込むような笑みを浮かべると、こちらに軽く手を振ってから踵を返し、ゆったりとした足取りで大通りを抜けていった。 彼と歩とを隔てた道路は車が絶えず行き来し、信号が変わった時にはもう、その姿は見当たらなかった。 ————違うのに。 心の中で咄嗟に吐き出した言葉に疑問符がつく。 違う? なにが違うのだろう。 流されるままに受け入れて、判断を神楽坂に委ねて、勝手に落ち込んで…… 「今の人、歩の知り合い? なんかどっかで——……」 玄の声は、車の通る音でかき消されてしまった。
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