あなたはずるい 02

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あなたはずるい 02

タクシーの中でも、映画館に着いてからも、歩の意識はやはりあの場に置き去りのままだった。 神楽坂はわざわざ会いに来てくれた。 しばらく会わない、気持ちには応えられないと言っておきながら、わずか3週間でそれを覆してきたのだ。 電話口で可愛いねと言ってくれた。 顔が見たいとも————— 「歩」 名を呼ばれた瞬間、浮遊していた意識が慌てて肉体に戻った。 隣には、紙袋を抱えた玄が立っていた。 移動中、お腹は空いたかとか、店入ろうかなどと聞かれていたが、どう答えたのかは覚えていない。しばらく姿が見えないと思ったら、なにか買い物をしてきてくれたらしい。 「これ、隣の店のタコス。おいしいよ」 薄い紙袋越しに、スパイスのような匂いと温かさが伝わってくる。袋を開けると、タコスらしき包みがひとつ、その下に飲み物らしき紙コップ容器がふたつ、入っていた。 「あ、ごめん。なんか色々買ってくれたの?」 「この映画館、自販機しかないからさ。バイト上がりだし、お腹すいてるかなって」 いつのまにか、チケットまで買っておいてくれたらしい。 彼のマイペースさが、今はありがたかった。こちらがうわの空でも、特に詮索してくることもなかったからだ。 ——桜町は、歩の住む白川からほど近い駅で、ここらへんでは一番開発が進んでいる。学校帰りに遊んだり、とりあえず買い物に行くならば、白川の住民は大抵、桜町まで出てくる。 玄に案内されたのは、駅直結のシネコンではなく、商店街からさらに離れた場所にひっそりと佇む、古めかしいミニシアターだった。「シアターさざんか」という劇場名が、レトロな印象に拍車をかけている。桜町には頻繁に足を運ぶが、こんなところに映画館があるだなんて知りもしなかった。 土曜日の夜は定期的にオールナイト上映をしているらしく、入り口のパネルには「Bonjour 70’s フランス映画」と書いてあった。 「もう入場できるからいこーよ」 玄は、2つしかないスクリーンのうち、Aと書いてあるほうの入り口を指して言った。 「うん……」 すでに開場しているが、上映時間まではまだ時間があった。 どこにいても目立ってしまう彼としては、さっさと席に座って落ち着いてしまいたいのだろう。 歩はふかふかと養生された芝生のような、起毛した絨毯の上に両足を沈めたまま、俯いた。 「玄」 玄が振り向く。 その無垢な表情を見ていたら良心が咎めて、伝えるはずの言葉はもつれてしまった。 「親に……電話入れたいから、先に入っててくれる?」 玄が歩のなかにある躊躇を汲み取ったのかはわかりない。ただ彼はわかったとだけ言うと、タコスの入った紙袋をふたたび受け取って、中に入っていってしまった。
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