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「まーでもまた会うかもよ。あのおっさん、この近所に住んでんだからさ」
慰めるような三月の口調が、妙に引っかかった。
「駅とかうろうろしてたら、そのうち会えるって」
「別に……また会いたいわけじゃないから」
反論するものの、語尾にうまく力が入らず、三月をかえって愉快にさせただけだった。
——厳密に言うと、神楽坂と会ったのは、昨日が初めてではない。
あれは、まだ夏の切れっ端があちらこちらに引っかかっているような、初秋だった。
放課後、駅前のロータリーに設置されたベンチに、三月とふたりで腰掛けていた。
たしか三月はその時、ちょうど彼女を振ったばかりで、いつも通り歩がその尻拭いをしていたのだった。
思えば、その時から三月は例の相手のことしか頭になかったのかもしれない。話題が彼の思い人に移ったとき、隣のベンチから強い視線を感じた。
それが、神楽坂だったのだ。
彼からの視線に先に気づいたのは歩だった。そして、まんまと勘違いしていた。
彼は自分のことを見ていたのだと。
後に、神楽坂が三月の思い人と親密な仲であると知ったとき、歩はなぜかひっそりと落胆した。神楽坂は、隣から聞こえてきた少年らの会話の中で、自分の恋人の名が出てきたものだから、単に興味をもっただけなのだ。自分に興味があったから、こちらを見ていたわけではなかったのだ、と———
しかし、そのささやかな消沈を払拭するように、昨日、彼はこう言った。
「初めて見た時から君のほうがかわいいって思ってた」と。
ならば、駅のベンチで居合わせた時、彼が自分を見ていたと感じたのは、まったくの見当違いでもなかったのだろうか。
「ってか早くおっさんにハンカチ返さなきゃなー。まだ鞄に入れっぱなしだわ」
ぐるぐると巡る思惑を切り裂くようにして、三月が言った。
駅のロータリーで初めて会ったあの時、ジュースを三月の制服にこぼしてしまい、神楽坂がハンカチを差し出してくれたのだった。
その後三月は何度か神楽坂と接触したはずだが、ハンカチそのものはまだ返却できていないらしい。
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