あなたはずるい 03

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「歩のことも教えてよ」 「俺?」 別に話すことなどない。普通すぎて言うのも憚られた。 視線を感じて、フォークをソーセージに突き刺さしたまま、口に運べずにいると 「付き合ってる子はいるの?」 聞かれて、さらに戸惑った。 「付き合ってる人はいないけど……」 「好きな子はいるんだ?」 「うん、いる」 思い切って言ってみても、玄の表情が変わることはなかった。 歩はそのままフォークを弄んでいたが、わずかな間にも耐えられなくなって、一旦置いた。 「あの、玄はさ……俺とどうなりたいの?」 「どうなりたいって?」 「いや、最初は友達なのかなって思ってたけど、なんかそれとも違う感じだし」 友達ならばさすがにキスはしないだろう。 しかし、好きな人がいると告げても、彼は眉ひとつ動かすことはなかった。 妙な間をすっかり持て余し、歩は意味もなくストローを回した。 黄色い渦巻きをまじまじと見つめていると 「俺はさー、歩と……」 玄が持っていたコーヒーカップをソーサーに置き、皿を押しやってテーブルに身を乗り出した。 そして、続きをそっと耳打ちしてきた。 あまりにも直球な一言に、歩はカウンターを見て、今の会話が聞こえていなかったかを心配した。 幸い店主は水仕事をしていた。万が一会話が漏れていたとしても、流水音でかき消されていただろう。 「遊ぶなら俺じゃなくてもほかにたくさんいるでしょ」 「別に遊びたいわけじゃないよ。歩がいいから言ってんの」 耳打ちされたときの、息の熱さがまだ残っている。 俺は、歩とエッチしたい———— 脳内に、先ほどの玄の言葉が響く。 歩は自身の耳たぶを引っ張って新たな刺激を与え、紛らわせた。 「俺、好きな人いるし」 「いてもいいよ」 挑発や粘りではなく、それは至極純粋な彼の本音のような気がした。 歩はますます、わけがわからなくなった。 再度カウンターを見て、店主が遠くにいることを確認すると、念のため声を潜めた。 「俺は、セフレとかそういうの無理だから」 「だからー、セフレじゃないよー」 じゃなければ、なんなんだ。 歩はまだ渦の残るオレンジジュースを吸った。 「気持ちはあっても、今は——誰かと付き合うっていうのが難しいんだよね」 「仕事が忙しいから?」 「それもあるけど。この仕事って何かを手に入れるために、常になにかを手放していく感じなの。だから、手に入れたいけど手に入れたくないっていうか」 「なにそれ」 経年劣化した窓ガラスは、内側から見てもやはり薄く曇っていて、黄ばんでいる。その向こうには、ようやく前を通る人の姿が見え始めた。 「わかんなくていーよ」 玄は力なく笑った。 「でもさ、その理論でいくと、いつまで経っても満たされないってことになるよね?」 「うん。でも——すでにいろいろ手放したから今更戻れないっていうか、目標までひたすら前進するしかないんだよね。引き返したら、それこそ壊れちゃう気がするから」 ——やはり、全然わからない。 しかしあまりにも寂しげに笑うので、歩はそれ以上反論する気もなくなり、ふたたびフォークを口に運んだ。
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