激と静の波間に 01

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勤務中、周はレジのまわりをウロウロしたり、隙あれば話しかけてきたりし、そのたびに神楽坂に連れ戻されていた。 あまり神楽坂の手を焼かせるわけにもいかないので、歩は8時になると早々に上がって着替えを済ませた。 そして——遅れてやってきた微かな興奮を鎮めるために、口から息を吐きながら、心のなかで唱えたのだった。 期待してはいけない。 神楽坂が来てくれたのは、周がいたからだ。周が自分に会いたがったから彼は渋々応じたのであって、そうでなければ———— 先ほどのよそよそしい神楽坂の態度が頭をよぎる度に、こめかみあたりから不安定な感情が流れ込んでくるようだった。 店内に戻ると、ふたりが座っていた席には、周しか見当たらなかった。 「あれ? パパは?」 周はアップルパイをかじりながら、窓の外を指差した。 神楽坂は窓ガラスの向こうでスマートフォンを耳にあてながらうろうろと歩き回っている。 時折、その表情が怪訝になったり、額に手を当てたりするのを見るかぎり、電話の内容はそう愉快なものでもないらしい。 仕事関係のトラブルだろうか。 席に座り、周の口端についたパイのかけらを指で拭ってやると、彼は恥ずかしそうに手を振り払った。 「もう小学生なんだから、自分でできるよ」 言って、紙ナプキンで強引に口を拭き取る。 「ごめんごめん」 その華奢な骨格と涼し気な目元をまじまじと見てみても、やはり神楽坂には似ていない。 「周はさ、お母さん似なの?」 なにげなく問うと、周の顔が大袈裟なくらいに歪んだ。 そして、口を窄ませて、拒絶を込めた濁音を吐き出す。 「げー、あんなガミガミ妖怪に似てるなんて言われたら、俺はおしまいだー」 「いや、似てるの?って聞いただけだよ」 彼は机に突っ伏し、派手に足をばたつかせた。 聞いたのは顔立ちのことなのに、と言おうとするものの、まともな会話が成立しそうもないのでやめておいた。 「……電話、たぶんママからだよ」 「なんでわかるの?」 「パパがああやって俺から離れて電話してるときはいつもそう」 ふと、表情が曇った。 周はパイの入っていた紙容器を潰すと、いたずらに折りたたんではまた広げながら、窓の外を見つめている。 落ち着いているときの彼は打って変わって、大人びて見えた。 「俺のせいなんだ。今日、学童で友達とケンカしたから……それでたぶん、ママに怒られてる」 「なんでパパが怒られてるの?」 「わからない。でもママは、俺がなんかするといつもパパに怒るから……」 その理屈がよくわからないが、よその家庭にはそれぞれの事情やルールがあるのだろう。 しかし、周の寂しそうな顔を見ていたら、なんだかいたたまれなくなって、その小さな背中をそっとさすった。
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