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「俺がいい子じゃないからかなぁ」
突然、その声が微かに震えたような気がして戸惑った。
「そんなことない。友達とケンカするのなんて当たり前だし。俺だって友達泣かしたことぐらい、何度もあるよ?」
背中をタッピングすると、震えは収まったらしく、唇を尖らせながらむっくりと顔を上げた。
どうやら泣いてはいないらしい。
切りそろえられた癖のない黒髪は、しばらく額に張り付いていたが、やがてはらりと落ちて彼の眉間を隠してしまった。
「でも、パパ、また泣いちゃうかなぁ……」
小さな背中に回した手をそっと解きながら、周の、半ば独り言のようなそれに、耳を疑った。
「またって?」
彼は顎をしゃくって下唇を突き出すと、眉間を覆っていた前髪を息で吹いた。
眉間がふたたび露出する。やはり、下り目の眉の形まで、神楽坂のそれとはまるで違っていた。
「パパの家で一緒に寝てるとき、時々、隣で泣いてるから」
手を中途半端に浮かせたまま、歩は固まった。
神楽坂が、泣く?
ふだんの飄々とした彼の雰囲気と、周から伝えられるその光景が、まるで重ならない。
「周は、その時どうしてるの?」
「寝たふりしてる」
歩は、改めて彼の頭頂部を撫でた。
「えらい。パパは泣いてるとこ周に見られたくないと思うから、その判断は正しいと思う。今の話も、ふたりだけの秘密にしとこ?」
「うん……」
「あと、パパは周がいい子じゃないから泣いてるんじゃないと思うよ」
「じゃあなんで?」
「わからないけど——パパにも辛いことがあるんじゃないの」
周は返事をせずに、窓ガラスの向こうへと視線を移した。
歩もそれに従って視線を追いかける。
神楽坂の口調の荒々しさは、唇の動かし方で、遠目からでもはっきりとわかった。
神楽坂自身は知っているのだろうか。
息子がこんなに寂しげな顔をしながら父を見つめていることを————
「あゆむぅ」
ふいにネクタイを引かれて見下ろすと、彼はバックパックからゲーム機を取り出して、こちらを見つめていた。
「ねー、ゲームしよ」
周の意識はすでに違う方に向いているらしく、その子どもらしい切り替えの速さに、歩はホッとするのだった。
「お、新しいソフト。これどうしたの?」
「サンタさんにもらった」
「よかったじゃん。サンタさんはいい子のところにしか来ないんだよ」
歩が言うと、周は安堵したような笑みを浮かべながらゲーム機を差し出してきた。それを受け取り、画面に視線を移す前に、そっと窓の方を見た。
父親である彼の視線もまた、息子の沈鬱が伝染したかのように、寂し気だった。
神楽坂はそれから30分、戻らなかった。
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