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神楽坂は、先日の公園の駐車場に車を止めた。
ブレーキを引き、ベルトを外すと、そのままシートにもたれかかる。
「ごめん。ちょっとだけ付き合ってもらってもいい?」
そして大きなため息を吐きながら、額を押さえた。
「ん。いいよ」
神楽坂は、やはり疲れ切っていた。
肩に手を置いてさすってやりたかったが、今更触れていいものなのか躊躇した。
何せ自分は振られたばかりなのだ。
しかし神楽坂は、振ったという自覚がないのか、あえて無視を決め込んでいるのか——前と同じように、歩とふたりきりになることを自ら希望し、こうして隣にいる。
少なくとも歩は、あの夜に、ふたりの関係性の一部は終焉したと思っていた。
神楽坂もそのようなことを言ったはずだ。
なのに、なぜ————
浮かび上がるクエスチョンは、彼の憂いにさらわれてしまい、ただ俯くしかなかった。
「周、なにかあったの?」
「うん。ちょっと友達と喧嘩したらしくてね——大したことはないし、相手に怪我させたわけじゃないんだけど、学童から連絡が来てね。久々に、元妻とちょっと言い合いになっちゃった」
先ほど言い争っていたことがもうバレていると踏んだのか、彼はさらりと白状した。
そして告白内容も概ね、周の言っていた通りだった。
「恭ちゃんがいない時、周がちょっと落ち込んでたから。自分は——悪い子どもだって」
歩が言うと、運転席からふたたび大きなため息が吐き出された。
少し、出過ぎてしまっただろうか————
「周にはね、これまでも彼のことで俺らふたりが言い合ってるのを何度も見せてきちゃったから、本当に悪いと思ってる。いがみ合うくらいならいっそ離れて、個別に子どもと向き合ったほうが笑顔でいられるんじゃないかって思ったんだけど——これじゃあ、結局は何ひとつ変わってないよね」
なにを言っても空々しく聞こえてしまうだろうから、歩はシートにもたれたまま、神楽坂のほうを真っ直ぐに見つめていた。
今日は風が強い。
窓ガラスに、乾いた木の葉がぴたぴたと音を立ててぶつかる。
「俺もちょっと理詰めするような言い方をしちゃってさ、そうしたら元妻に言われちゃったんだ。あなたより私の方が周を理解してるって。私の子なんだからって————」
「恭ちゃんだって、周の……」
言いかけて、歩は口をつぐんだ。
神楽坂の、固く結んだ唇が微かに震えていたからだった。
彼から滲み出る深い悲しみに打ちのめされそうになり、続きを言おうか迷ったが、あえて続けた。
気づけば自分の唇さえも、震えていた。
「恭ちゃんだって、周の自慢のお父さんじゃん」
「違うよ。俺はそんなんじゃない」
「ふたりと一緒にいるとわかるよ。恭ちゃんと周は、互いにとってすごく大事な存在なんだって」
神楽坂は指で額を押さえたまま、シートに体を沈めている。
歩は彼の沈黙をそっと読み解きながら、ふたたび窓の外を見た。
ぐるりと、頭の中を巡る。
「周と似ている」と言った時の、神楽坂の嬉しそうな表情。
それとなくはぐらかされた血液型の話。
先日、松木がなにげなく溢した言葉。
もしかしたら。
もしかしたら、恭ちゃんと周も————
でも、たとえそうだったとしても別に……
自問自答を繰り返しながら、ひたすらに外を見つめた。
街路樹から落ちた葉が、空を舞う。
くるくると踊るような木の葉の動きで、風のかたちまでもがくっきりと浮かび上がるようだった。
歩は膝の上でつくった拳を開いたりふたたび握りしめたりしながら、気づかれぬようにひそやかに——長く息を吐いた。
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