激と静の波間に 02

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「……誰にも、話したことないんだけどさ」 喉の奥が震えて、ひどく緊張していることに気付く。 歩はもうひと呼吸おいてから、ふたたび唇を開けた。 「俺ね、今の両親の……実の子供じゃないんだよね」 神楽坂が身を起こしたのが視界に入った。 唐突な告白だと感じたのだろうか。それとも——別の動揺なのか。 「姉ふたりは実子で、俺だけ養子。生まれてしばらく乳児院にいて——今の両親に引き取られたから、その時の記憶は全然ないんだけどね」 「君はそれを……いつ知ったの?」 神楽坂の声もまた、震えているような気がした。 「5歳の初夏だったかなー、幼稚園から帰ってきておやつ食べてた時、母親が突然、私はあなたを産んでないんだよって教えてくれたの。生みの親は若くして歩を産んだけど色々な事情があって育てられなくて、私たちと歩を出会わせてくれたんだって」 これは歩が秘密にしていた——というよりは、あえて話してまわることでもないと思っているから、今まで口外したことのない事実だった。 歩が土屋家にやってきたのはまだ1歳にもならないころだったという。 初めて事実を告知された5歳当時、内容をどれだけ正しく理解していたかはわからないが、それから母親は、成長に合わせて段階を踏んで説明してくれた。 周りに比べて自分の両親が高齢なこと、姉ふたりは新生児のころの家族写真があるのに自分にはないことなど、事実を目の当たりにすることで、子どもなりに、徐々に理解していったのだった。 実の母親については、年齢がかなり若いということ以外には知らされていなかった。 すでに実子のいる両親がなぜ自分を引き取ろうと思ったのか、その経緯までは教えてもらわなかったし、知ろうとも思わなかった。 「ショックだった?」 「やっぱ最初は泣いたかなー。単純に、俺だけ母親から生まれてないっていうのが寂しかった。ねーちゃん達のことをずるいって思ってたよ」 言い切ると、神楽坂がこちらをまっすぐに見つめていた。 「生みの親には、会いたいと思わないの?」 「どんな顔してんのかなー、俺に似てんのかなーとかは思うけど、会いたいとかはないかな。遠慮してるわけじゃないよ? でも俺の親はやっぱり、あのふたりだけだし」 「葛藤はなかったの?」 「そりゃあったよ。中学の時なんかはそれなりに反抗もしたかな。でも、両親は俺がどんなに荒れてても受け止めてくれたんだよね。顔合わせても挨拶すらしない時期もあったけど、その時も誕生日には必ず『歩に出会えて幸せだ』って言ってくれてさ。すごいよね、ほんとに……」 神楽坂はゆっくり体の向きを変えて、歩から視線を外し、窓の外を見た。 爆発しそうな感情を必死に押し込めているように見えた。 「それに、俺の潔癖症なところは父親譲りだし、恭ちゃんの褒めてくれた、人当たりがいいところはたぶん母親似。ちゃんと末っ子気質だって、受け継いでるでしょ。血なんか繋がってなくても、あのふたりからはちゃんと貰ってるからさ」 神楽坂が指でそっと目尻をこすったのが視界に入った。 歩はつられまいと、おどけたトーンで言った。 「でもね、生みの親から教わったこともあるよ。絶対ゴムしなきゃなーとか」 「……それは大事だ」 神楽坂が笑ったので、歩は安心して、シートに深く腰掛けた。 「あと、歩っていう名前も、生みの母親がつけてくれたんだって。それも感謝してるかな。たぶん両親がつけてたら、生まれ月の植物で統一してただろうから、藤男(ふじお)とか茶太郎(ちゃたろう)にされてるとこだったよ」 しかし、今度はもう笑わなかった。彼はしばし黙り——口元に手を当てた。 「俺、君に——無神経なこととか言ったよね」 「なにが? 全然気にしてないよ。もう俺にとっては『だから何』っていう程度のことだし。親も姉もおんなじだと思う。ほんとにふつーの家族だもん」 しんみりする気などさらさらなかった。 ルーツはルーツ。しかし、歩のあらゆる部分を培ったのは今の土屋家だ。 「なんで俺に、それを話そうと思ったの?」 「んー、なんでだろ。なんとなく……恭ちゃんには聞いてもらいたいと思っただけ」 別に謎解きをしているつもりはなかった。 ただ、抱いていた違和感、そして神楽坂から感じる不安定なもの、彼と交わした言葉のやりとりなどで継ぎ接ぎされた一枚の板からは——微かに漏れる、ある気配があった。
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