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TOKYO NIGHT 01
「三月ー、帰るー?」
荷物をまとめながら、斜め前の茶色い頭に向かって声をぶつけるが、それがNOであることは、彼の反応の鈍さでわかった。
三月はしばし荷物をいじった後、やがて振り返った。
「あー、今日は本多んとこー」
勢いよく椅子の背もたれに寄りかかり、前脚が浮く。そのことをこちらに告げる際、彼はいつもばつが悪そうにするのだった。
ここ最近、三月は美術教師の本多から、美大受験に備えた実技指導を受けていた。
偏屈で有名なあの本多をどう懐柔したのかは知らないが、彼のことだから取り立てて媚を売ったわけでもないのだろう。
「湊も?」
「うん。迎えにくるまでここで待ってる」
——隣のクラスの相馬湊と三月が親しくなったのはここ最近のことだ。
それまでは歩も三月も、湊とは喋ったことすらなかった。
厚めに切りそろえられた黒髪や制服の着こなし、身につけているもの——見た目こそ歩たちとそう変わらないものの、にじみ出る雰囲気がどこか異なっていたからかもしれない。
彼女をとっかえひっかえしている自分達を、穏やかに俯瞰しつつ軽蔑しているのではないか——彼に対し、そんな穿った見方をしていたのも事実だ。
湊が美大志望でなければ、その距離が縮まることはなかっただろう。
本多を通して湊の進路を知った三月は、彼と急激に距離を縮めていった。
また、三月に紹介されて、歩も湊と何回か遊んだ。
湊はこちらが思っていたよりもずっと気さくで付き合いやすかった。
「アユは? 今日バイト?」
「あー、うん」
「へー、どっち? マック? モデル?」
上擦った声にげんなりしたが、笑ってあしらった。
「ふざけんなって」
——校門に玄が現れた翌日から、あたりはにわかに騒々しくなったが、その後まもなく、歩が『Caesar』にモデルとして出たのが知れ渡り、騒動に拍車をかけた。
雑誌が離れたクラスにまで出回り、ついには担任にわざわざ呼び出されて「芸能活動をしているのか」と聞かれたほどである。
最初は悪い気がしなかったが、こうして長期間、周囲からあれこれ詮索されたり、三月から揶揄われていると、さすがにげんなりしてきた。
「で、最近どうなの。カグキョンと会ってんの?」
「カグキョンはやめろよ」
歩の不機嫌を悟ったらしい三月は、控えめに笑った。
ちょうどよくチャイムが滑り込んできて、沈黙を埋める。
「全然会ってない。もう会わないって決めたから」
音が止むのを待ってから言うと、三月は疑わしいと言わんばかりに肩を竦めた。
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