TOKYO NIGHT 02

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「もしもし」  スマートフォンから、小さく声が漏れてくる。 切ってしまおうか躊躇し、指先が震えた。 「歩」 名を呼ばれた瞬間、あらゆるものが溶かされていった。 彼に名を呼ばれるのが好きだ。低めの、落ち着いたトーンで発せられる「歩」は、誰から呼ばれる「歩」よりも深くまで浸透してきた。 息を吐いて、スマートフォンを耳にあてる。 こちらの気配を近くに感じ取ったのか、歩の言葉を待たずに、神楽坂は発した。 「明けましておめでとう。元気だった?」 「うん……。恭ちゃんは?」 「元気だよ」 簡単なやりとりを済ませてしまうと、もう言葉が続かなくなった。 会話の隙間を縫うようにして、車が背後を通り抜ける。 「今、外?」 「うん。これからちょっと出かけるから……。今、駅前」 「こんな時間からどこ行くの?」 まるで母親のような口調だった。 心配そうな声が耳に差し込まれるたびに、すっと現実に引き戻されていった。 「六本木」 「今から? なんで?」 「玄と会う。友達と飲んでるらしいんだけど、その友達がなぜか俺に会いたいんだって。理由がよくわかんないんだけど、とりあえず————」 「それ、大丈夫なの?」 詰問じみた口調に、不快感がこみ上げてくる。 盛り上がった眉間の皮膚を指で揉みほぐした。 「大丈夫って、なにが?」 「お酒飲むような店でしょ。高校生を今の時間からそんな所に呼ぶなんて、普通の大人ならしない」 「普通ってなに? それは恭ちゃんにとっての普通じゃん」 「……心配だから言ってるんだよ」 唇を噛んで、何度か言われたその言葉をすり潰した。 神楽坂からたびたびもらう「心配」という言葉ほど、無責任なものはない。それが歩にとって、どれほどの拘束力をもつかなど、この男はわかっていないのだ。 いつもそうだ。繋いでおきながら、こちらの気持ちには応えようとしない。 「恭ちゃん、中途半端なことばっか言うよね」 「なにが?」 「振られたんだよ、俺。間違えててもいいからとりあえず前に進みたいの。いつまでもこんなんじゃ、恭ちゃんを忘れられない」 神楽坂は押し黙ってしまった。 やはり、なにも言えないのだ。 「この前、玄とキスした」 神楽坂は短く「そう」とだけ言った。 そのつれない返事に心がかき乱されて、くだらない意地はいとも簡単に綻んだ。 「恭ちゃんが今ここで嫌だって言ってくれるなら行かない。玄とも会わないよ……俺——」 駆け引きと呼ぶには子供じみた、ずいぶんと必死なものだった。 歩は、半ば懇願するように、スマートフォンに頬をつけた。 こちらの温度が、少しでも伝わればいいと思ったのだ。 「俺は、歩を縛るつもりはないよ」 しかし、返ってきた言葉はやはり予想通りで——途端、落胆という集中豪雨に見舞われた。 「じゃあもう、放っておいて」 通話終了ボタンを押して、スマートフォンをポケットに落とした。 どうだっていい。どうにでもなれ。 感情の一部が死んだように眠り、不気味なほどに落ち着いていたが、冷静というわけではなかった。 電車に乗り込むと、シートに腰掛けて目をつぶった。
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