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それでも家族三人楽しかった
彼が学校で辛かったのは友達達が遠ざかって行ったことばかりじゃない。
母親参観日って言うのもたまらなくイヤだった。
母親参観日には、他のクラスメイトには母親が息子、娘を応援するために駆けつけてくれていた。しかし、母を亡くした彼の後ろには誰もいない。彼にとっては辛い時間だった。
ある時などは、確か母親参観が工作の時間に行われたときのことである。周りのクラスメイトは母親と楽しく竹とんぼを作っていたのだが、彼だけは一緒に作る人がいなかった。
それに気づいた担任の先生が彼の元に行き一緒に竹とんぼを作り始めた。担任の先生と一緒に作った竹とんぼはお世辞にも上手な仕上がりとは言えなかったが、授業も終わる頃になると、担任の先生は彼の竹とんぼを手に取り
「みんな見て、山田君の竹とんぼ、すごく上手にできました」
余計なお世話だった。
担任の先生なりに、母と一緒に作ることが出来なかった彼を褒めてあげようとしたのだろうが、彼にとってはむしろ逆効果だった。余計な世話焼きにむしろ寂しさは増して行った。
またある時などは、確か母親参観が体育の時間に行われたときのことである。二人三脚の遊びごとの大会が行われたのだが、周りのクラスメイトは母親と二人三脚のため親子お互いの足を結き始めていた。
その時、近くでひとりぼっちの彼に気づいたクラスメイトの女の子、名前は大井千佳子(ちかこ)と言った、その子が
「山田君、お母さんいないんだよね。私のレースが終わったら、うちのお母さん貸してあげるよ」
と言って笑っていた。
流石にその横にいた千佳子ちゃんの母は
「千佳子、なんてこと言うの。そんなこと言ったらダメでしょ。山田君、ごめんね。千佳子がこんなこと言って。私のレースが終わったらおばさんと一緒に走ろうね」
優しくそう言ってくれた。
千佳子ちゃんも悪気は無かったのだろう。むしろ彼が可哀想だと思って言ったことだ。
しかしながら、まだ小学校低学年で
「私のお母さん貸してあげる」
なんて言葉をかけられるなんて。
普通ならこの年齢であれば母が健在で、当たり前のように存在してるのに、彼には母がいない。母なんて貸し借りするものではあるまいし、逆に当たり前じゃない優しさが彼にとってはとても残酷なものであった。
小学校のときはこんな感じでいい思い出なんかこれっぽっちも無かった。
ただ、自分は母親健在の人とは違うんだと言う思いで周りの人との距離は遠のき、孤立感ばかり深まっていき、次第に人との接し方や距離感もわからなくなっていった。
それでも家族でいるときだけが一番安らげる空間であり、父と順二と三人で一緒にいるときが一番幸せだった。母がいなくなってからも、家族三人でいろいろ出かけたりもした。
野球を観に行ったり、プールに行ったり、遊園地に行ったり、母がいなく、会話もなく、どこか物悲しい家族だったけど、家族三人でいるときが一番幸せだった。みんなで支え合い、励ましあってきた。苦しいときも、悲しいときも。どんなときも。
しかし、この楽しい家族三人の生活も長くは続かなかった。
唯一安らげる場所である家族も、彼の父の再婚でガラッと変わってしまうこととなる。
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