泣きたくない[市内某スナック]

2/4
前へ
/4ページ
次へ
 昔馴染みのカラオケスナックに着いたのは、午後十時頃だった。 ママに案内されて、いつもの席に座り、おしぼりをもらう。ボトルキープしていたウィスキーと、水割りのセットを用意している間に、私は今夜の事を思い返していた。 親父が死んで、もうひと月か……  小さい頃は、よく叩かれたな。時代が時代だからしょうがないが、よく泣かされたもんだ。 いや、そうじゃない、私はもともと泣き虫だった。 泣いては叩かれ、叩かれては泣く。そんな毎日だったが、成長するにつれ、いつしか泣くことの無いのが当たり前の年齢になった。 「ひさしぶり。どうしたの、元気無いじゃん」 水割りを差し出しながら、ママがたずねる。 「今日はね、親父の最初の月命日なんだ。馴染みだった飲み屋に挨拶して廻ってきたんだよ」 「ああ、あのお父さんの。ならたくさんハシゴしてきたんだね」 まあね、とこたえながら水割りを飲んだ。  じつはそんなに廻ってない。 若い頃から飲み歩いたお店の大半は、閉めていた。時代のせいだろう、続けていたのは三件だけだった。 マスターやママに、親父が亡くなった事を伝えて、思い出話を肴に軽く飲んで、御礼を言って出るを繰り返す。 死んだ人間を悪く言う人は中々いない。親父も色々と武勇伝を残していたが、皆、口を揃えて、面白い人だったよと言ってくれた。  たぶんに漏れず、私も思春期あたりから親父と疎遠になり、口をきかなくなり顔を会わせない日もあった。 親父の武勇伝はその頃のものだろう、よく夜遊びしていたからな。 声が大きく、話好きで、喜怒哀楽が分かりやすい性格なのと、小さな会社を経営していて、人付き合いもよかったので、顔も広かった。 今日のお店の人達以外にも挨拶して廻ったが、皆一様に好感を持っていてくれた。ありがたい話である。 だが、私は親父が大嫌いであった。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加