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 辺りが朱に染まり始める夕暮れ時。 10月ともなると、東シナ海の南方にある暖かい島でも、涼やかな風が流れ、秋の予感を感じさせた。  神谷卯月(かみやうづき)の住んでいる屋敷の周辺は、山を背に、田や畑に囲まれた一軒の邸宅だ。  屋敷の敷地も広く、庭は大きな楠の他に、桜、梅、松、竹、が織り成す日本庭園が広がり、池には2匹の亀と、数匹の錦鯉がゆったりと泳いでいる。  それ故にここは、季節の変化を敏感に感じ取れる環境なのだ。  卯月はじゃが芋の皮を剥きながら、炊事場の小窓から庭の景色を見つめ、溜め息をついた。 (ついにこの季節が来てしまった……)  卯月は憂鬱だった。この秋めいた雰囲気に包まれると、どうしても物悲しい気持ちになる。胸が苦しくて堪らなくなるのだ。いつから?と言われたら、それは、9年前のあの日の出来事からだった。  だが、今の憂鬱さは、それだけではなかった。 「私……。この島を出て、働こうと思っています」  卯月は今年で18歳になる。  この話を切り出して、相手がどう答えるのか、期待しないよう卯月は静かに相手の様子を伺った。 「別に島を出なくとも、うちでこのまま永久就職したらどうですか?」  答える男ーー。羅遠紅砂(らえんこうさ)の歳は20代前半。若いが渋く落ち着きのある声のトーンは、聞いたものをどこかリラックスさせるような不思議な力があった。  そんな紅砂(こうさ)の声を聞いて、卯月は軽く緊張の糸をほぐした。  そして、予想した通りの期待外れな紅砂の答えに「永久就職……ですか?」と苦笑いしながら訊き返した。  ーーこの家で一生お手伝いとして働くのか?  ーー島の皆が噂をするように、卯月が紅砂の元に嫁ぐのか? ((こう)さんが望むのはどっち?)  卯月はその問いかけを喉元でぐっとこらえた。  隣では卯月のことなど、気にした風もなく、釣ってきた魚を紅砂は手際よく捌いている。 「そんな就職の事なんか考えず、ずっと此処にいたらどうです?僕は大歓迎だけど」  卯月は唇を噛みしめた。  でも、きっと紅砂は卯月との距離をこれ以上縮める気などないのだ。  今までだってそうだった。 「有難う御座います。でも……、そろそろ一人で生活していく力がほしいんです。ごめんなさい」 「謝ることじゃないよ。僕は君が出した選択なら、いつでも応援するよ」 「はい」  卯月は俯いたまま返事した。いつでも紅砂が味方でいてくれるのは、分かっている。  でも、紅砂はいつでもなのだ。紅砂が卯月を求めてくれることはない。  紅砂が卯月と一定の距離間を保つのなら、卯月は紅砂を諦めるつもりでいた。  だから、家を出てーー、島を出てーー、紅砂のいない世界へと旅立つつもりだった。  けれどもこの期に及んで、卯月はどうしても、自分に対する紅砂の気持ちが知りたかった。しかし、それを訊く勇気が出ない。  それは彼が常にはぐらかすからだ。  今まで、紅砂に何度か『好き』と伝えた事がある。  けれども『ダメだよ、僕なんか好きになっちゃ』と、軽くあしらわれるだけだった。  そして、告白する度に、卯月が求める別の幸せを保証する。 『卯月には、もっと別のいい人が絶対に出来るから。君が望めば最上級の男を手に入れられるはずだよ!』  卯月にとってはそんな事、どうでも良かった。 (最上級の男ってなんなの?)  この話をされる度に卯月の胸の内はモヤモヤとしたものが広がり、いつしか紅砂に、自分の気持ちを伝えることを諦めたのだ。
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