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プロローグ
卯月は怪我をし、泣いていた。
日頃から大人達に、決して足を踏み入れてはいけないと言われていた山の禁域に入り、崖から足を滑らせたのだ。
卯月が兄のように信頼を寄せていたはずの四鵬は、傷付いた彼女の顔を見るなり怯え、一目散に逃げていった。
暗鬱な森の中で、たった一人取り残された寂しさと、傷ついた顔の痛みが、この場所に入り込んだ罪の意識を増幅させた。
きっとこれは祟りなのかもしれない。
入ってはいけない禁域を犯し、神の使いである白蛇を追いかけ、こんな目に遭ったのだ。大人達のいう通りにしていれば良かった。卯月は後悔していた。
傷は左側の額から左目を通って、三日月形の裂け目が口元まで達していた。その出血量からみても傷は深い。このまま放っておいたら、左目は見えなくなってしまうかもしれない。
卯月はどうしたらいいのか分からないまま、痛みに耐え、泣き崩れていた。
広大な森の中で、卯月だけが異質な存在と化していた。
森の木々を見上げると、下方に葉がなく密集しているせいか、禁域に嵌まりこんだ卯月を逃がさぬよう木々が囲っているような錯覚を覚える。やがて卯月は森の木々達に、捕食されてしまうような感覚に襲われた。
今日が自分の最後なのだろうか?
この時の卯月はまだ9年しか生きていなかった。まだまだ生きていたい!死にたくない!
すると、間近に黒い影が迫りつつあった。
卯月は木々の間から揺れる影の存在に、気づいていたが、どうすることも出来ず、体を硬直させた。
黒い影は、はっきりとした人影になり、卯月の前に立つと、溢れる血にゆっくりと触れた。
卯月は身震いし、泣くのを止めた。泣いている場合ではなかった。
ゆっくりと顔を上げて影を見る。
目の前に、焔のような紅玉が揺れていた。それは影の目だった。
紅い瞳は、静かに瞼を閉じた。そして、徐々に少女の顔の傷口へと近づいていった。
何を?!――と、思う間もなく、影の舌先が傷口に触れる。
卯月の体は跳ね上がった。
影は血を余すことなく舐め取り、音を立てて吸っていく。
その時、卯月の体に異変が起きた。
腰は浮き上がり、憐れもない絶叫を放った。目尻からは涙がこぼれ、次第に息遣いも荒くなる。だが、その体の反応は傷口が傷むせいではなかった。むしろその逆だ。
卯月はまだ9歳であった。
9歳の少女が何者かの舌戯によって、その身を快感で埋め尽くし、悶えた。
卯月を覆う人影は、顔中の血を舐め取ると、今度は卯月の口の中へ、その舌を侵入させてきた。
卯月は口の中も切っていたのだ。
舌と舌が絡み合い、卯月は、う……、う……、と甘えたような濡れた声を漏らす。
足は自然と影の腰に絡みつき、腕もしっかりと影を抱きしめる。
すると何故だが、不思議と懐かしい感覚が卯月の体を占めていった。
(離れないで……離れないで……ずっとこのまま……)
全身に力を込め、影にすがり付くと同時に、卯月は絶頂を迎え、そのまま失神してしまった。
そして、卯月が目を覚ました時は、すでに次の日の朝だった。
漁に出る途中の男が、島の村外れに寝かされていた卯月を発見し救出した。
しかし、どういうことか、昨夜、ケガをしたはずの顔の傷は見る影もなく、綺麗な肌を陽の光にさらしていた。
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