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必死だった私と、見捨てた私 : 幼少期のこと
どこから話したらいいのかわからない。皮膚の痒みを感じるのに、具体的にどこが痒いのか探り当てられないようなもどかしさがある。何を話しても的を得ているような気がするし、全くの的外れのような気もする。
私は虐待を受けたのだろうか。わからない。辛い経験をしたのだろうか。わからない。
だけれども、物心ついたときにはすでに厭世的だった。
どうして私は生まれたんだろう。
何か手違いで間違って生まれてきたんじゃないかな。
私はぜったい子供なんか産まない。だって、こんな思いをするんだったら、こんな。
こんなに苦しいんだったら。
私みたいなおかしい子が生まれてきたりしたら、かわいそうだから。
お母さんになりたくない。大人になるのが怖い。
幼稚園生のときひたすらこんなことを考えていたのを覚えている。
子どもは死にたいという気持ちに自覚的でない。そういう語彙を持ち合わせていない。でもきっと、私はあの頃からずっと死にたかったんだな。
多分、愛情深い家庭の子だった。なのにどうしてこんなことを思ったのだろう。どうして両親に対して、自分が生まれてきたことを申し訳なく思ったのだろう。
繊細すぎる性質だったのだろう。そうとしか言いようがない。
けれど、私の繊細さを私は愛している。その性質は私に生きづらさをもたらしはするが同時に生きる喜びも与える。感受性をフルに用いてそれを表現として外に出すとき、自分の性質がこうで良かったと、そんな風に思えるのだ。
記憶は三歳くらいからあると思う。自閉的な子どもだった。母に「はっきりしない子」、よそのお母さんに「おとなしい子」と言われるとごめんなさいという気持ちになるけれど、だからといって快活な子になるにはどうしたらいいか分からない。臆病で、よく泣いて、のろまで過集中なところがあって周りのことが見えていない。でも触れたものごとは深く考えて理解しようとしていた──と思う。
一人が好きだった。考え事に集中できるからだ。あの頃の記憶はいつも春だ。社宅のアパートの外で雑草を摘んで集めて、何か複雑なものを作ろうとしていた。そんな風には見えなかっただろうけれど、そういうつもりだった。時間の概念がなかった。だから突然幼稚園に通うことになったとき、急に忙しくなって息苦しくて、ついて行けないと感じたことを覚えている。あの生活にもう二度と戻れないと理解したとき、この先のことを思って恐怖した。
入園前は自由にやっていたけれど、幼稚園生活を始めて、「私は普通にしていたらみんなとずれちゃうんだな」と自覚した。実際はどうだか知らないけれど、そう感じた。活発さが違う。社交性が違う。絵の描き方や歌い方が違う。外見がおかしい。みんなが出来ることが出来なくて、みんなが理解できることも分からなくて、お漏らしの癖は治らなくて。自分の存在が恥ずかしい。だから自分の好きなものも、自分の好きなことも恥ずかしい。見られたり知られたりしたら恥ずかしいこと。
いい子になりたい。普通になりたい。
毎日泣かないようにしたいな。お漏らししないようにしたいな。
そうしないと私はきっと捨てられてしまう。こんな私だもの。
これが前提である。私はそういう子どもだった。
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