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必死だった私と、見捨てた私 : 人間ではない
自分がなぜおかしいのかずっと考えていて、「人間ではないのだな」と結論づけたのは小学二年生の頃だった。それが一番しっくりくる答えのように思われた。
家に「あかちゃんがうまれるまで」のようなタイトルの絵本があり、小さい頃からよく読んでいた。卵子が“あかちゃんたまご”、精子が“あかちゃんむし”と言い換えられていて、物凄い熾烈な競争のなか、一番最初にあかちゃんたまごに辿り着いたあかちゃんむしがそこに取り込まれ、一人の人間が育っていくのだと。あなたもそうやって生まれてきた一人なのだと、そういう説明の仕方だった。
絶対におかしい、と思ってしまった。
いつも人に遅れをとってしまう積極性の薄い私がそんな烈しい競争を勝ち取れるはずがない。そうすると、何かのイレギュラーが発生して私をかたちづくる精子が意図せず偶然取り込まれてしまったのではないかと。
もしくは私の命は人間用の命ではなくて、本来は虫のようなか弱い生命として生まれる用の命だったのではないかと。
生まれて来るのなら私でない誰かの方が絶対絶対良かったに決まっていた。母は私たち姉弟に「お母さんがお父さんと結婚しなかったら、二人とも生まれて来なかったんだよ。だからお父さんと結婚して良かったんだ」とよく言った。母を悲しませたくなくて、言われる度にこにこしていたけれど、心は押しつぶされそうだった。
なぜ産んだの。お母さん。
あなたは、よく考えて子どもを持とうって決めた? 私みたいなのが生まれて来るって想像していた? 私みたいな難しい子が。あなた好みでない、かわいくない私が。私にしてみれば、母が別の人と結婚して、別の子を産んでいたほうがずっと良かったのにな。こういうとき、ヨブのような気持ちになる。“私の誕生した日は滅び去ってしまえ”。
裏口入学的な後ろめたさがあった。本来ならば存在するべきでなかった私が何かの手違いでここにいる。それを漠然と一言で表す言葉がきっと「ごめんなさい」なのだった。
──生まれてきてごめんね。クラスにいてごめんね。でも学校は絶対通わなきゃいけないところだから、許して。
本当に考えが飛躍しすぎ。私の中では結論が固く決定していて、それを裏付ける理由をこじつけたいが為の歪んだ思考である。
愛情をかけて私のために苦労してくれる人たちに対して、とんでもなく失礼な考え方だなと思う。感謝に欠けているよな。でもやはり、どうしてもそれが本心なのだった。
ジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」を見たとき、強く共感したシーンがあった。映画の終盤、狸と人間との共生の妥協案として、狸たちは人間の姿に化けて本物の人間に紛れ社会人として生活することを選択する。けれどそれは狸たちにとって常に負担のかかる状態らしく、なにか疲れていたり気を抜いたりした一瞬に、ふっと本来の姿に戻ってしまう。それはまるで日々を「普通に見えるように」と気を張って暮らしている私のようだと思った。私には、そんなふうに見えた。
家での私は狸だった。全ての場所で人間のふりはやはり無理があった。学校では何があっても穏やかで人に優しく、決して泣かないよう、常ににこにこしているようにと気をつけていたけれど、家での私はわがままで、よくめそめそ泣いていた。弟への当たりもきつかったのだと思う。今思えばアスペルガーめいたところや場面緘黙、HSP的な気質も影響していたのかも知れない。
ちゃんとしたい。ちゃんとしたいけど、出来ないな。
ただみんなと同じように振る舞うだけのことが、どうして出来ないんだろう。どうしてただリラックスして同年代の子と他愛ないお喋りをしたり、不自然に思われない仕草をしたり、自分の意見をはっきり言葉に出して言ったり、そういう当然のことが出来ないんだろう。自分は生まれるべくして生まれて、親には愛されて当然でという、そんな考えを持てないのだろう。
人よりずっとエネルギーを使って暮らしているような気がする。みんなの自転車のギアは「平」なのに私のは「軽」になっている気がする。タイヤのインチが小さい気がする。
転機は突然訪れた。
高校に入学して環境が変わったら、急に知らない人にでも自然な笑顔で自然に話ができるようになった。初対面の子と一緒に帰って、コンビニに寄って、同じ飲み物を半分ずつ分け合うような、そんなことがストレスなくできるようになって驚いた。ああいうのはどうすればいいかなんて考えるものじゃない。今までみんな自然にそれをやってきたんだな、努力なしに。
そんな基本的なことを十六歳にして初めて知った。
そうして思った。
なんだ、私はちゃんと人間で、みんなもただの人間で別に“人間様”じゃない。
私の人間年齢は十六歳から始まったと思っている。人より十六年遅れて、やっとスタート地点に立った。だから私の精神年齢は多分実年齢−16なのだ。
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