必死だった私と、見捨てた私 : 母のこと①

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必死だった私と、見捨てた私 : 母のこと①

私と母との関係を一言で表すならば「癒着」だと思う。 他の人と私との人間関係には大抵、適切な距離感が存在している。でも私と母にはきっとそれが無かったのだろう。私たちは、互いの境目が分からないほどに癒着していた。 母の強すぎる母性と私の生存本能が最悪の形で作用していた。母はきっと私のプライバシーに踏み込み過ぎていた。個人としての尊厳という考えがそもそもない。無意識とはいえ私の個人的領域に入り込んで支配しようとしていたのだと思う。 母が本当の意味で私のことを愛していないというのは、知っている。きっと自分でも良く分かってはいないと思うけれどね。母が愛しているのは母自身なのだ。“自分の産んだ自分の子ども”が好きなだけで、それはべつだん私でなくても誰でも良い。 ねえ、私のこと、自分の延長だと思っているでしょう。自分の延長だからこそ、自分の好きなように扱ってもいいのだと思っているのでしょう? そして思い通りに行かないから不満なんでしょ。傲慢ね。 砂のような“情報”と、ザルの網目のような“受容体”の話をしたけれど、母の網目はかなりざっくりとしているのだと思う。 自分の発した言葉で相手がどんな気持ちになるのか考えられない。相手の気持ちを想像できない。思い込んでしまったらそれ以外の可能性が考えられず、決め付けてしまう。そうして、全く悪気なく、“自分が間違っているかも知れない”という可能性を考慮できない。だから、私の目の細かい気持ちは母の受容体からぼろぼろと零れ落ちてないもののように扱われてしまう。 父と母の結婚式の話(あるいは誰かの結婚式に出席した時の話かも知れない)を聞かされるとき、度々笑い草として出てくるエピソードがある。  披露宴で出て来たご馳走の中に、殻が金色に着色されたゆで卵があったそうだ。剥くと白身部分が茶色で、みんな味付けされた煮卵だと分かったそうなのだけれど、母はその可能性を考えられず「白身が白くない→おかしい」と即座に判断して「この卵、腐ってますよ! 食べない方がいいですよ! 」と出席者に言って回ったのだという。 これはただの笑い話だけれど、全てにおいて母はそういう人だ。 普通のことを普通にするのが苦手な私は、だから母にとっておかしな子なのだった。 私を私として見てくれず、「子どもはこう」という母基準のテンプレートに当てはまらない私に彼女はよく「異常」という言葉を使った。「意地悪な子」「卑怯な子」「裏表がある」「出来ることをわざとやらずに手を抜いている」。 「異常だよ」という言葉、今でも傷つき続けている。私のこれは異常なんじゃないか、おかしくて恥ずかしいんじゃないか、とつい自分に疑念を抱いてしまう。それが私のスタンダードとなっている。 どうして私の話も聴かないで勝手に結論付けてしまうんだろう。 どうして私の動機を善意に捉えてくれないのだろう。複数の可能性を考慮しないのだろう。でも言えない。私はうまく言えない。言い方が分からないし、どこに違和感を感じるのか分からない。 知っている。母には悪気はない。だから(たち)が悪い。 「コーラは毒だよ! 」「漫画は不健全だよ! 」「金髪は不良だよ! 」「ダイエットなんて見た目ばっかり気にして不健康だよ! 」「はっきりしないのは悪だよ! 」 母はいつも強くて過激な言葉を使ったけれど、きっと自分自身がそういう強い言葉を使わないと理解ができない人だったのだろう。でも子どもの私にはその言葉は強すぎて怖かった。母の愛情表現の言葉でさえも脅迫的に聞こえた。彼女はいつも強い口調で責めるようにこう言うのだ。 「お前は! 大事な娘だよ! 」 何でそんなことが分かんないんだ、とでも言いたげなニュアンスで。 動物みたいな恐ろしく強い母性を示す人だった。私は恐怖で支配されていた。だってこの人から捨てられたら、私は死んでしまうもの。私のお母さんはこの人しかいないもの。 私はどうしても母を愛することが出来ない。親には敬意を払いたいのに、母を思うとき自然な温かさや感謝を抱くことが難しく、ことごとく情報止まりになっている。 母と私のことをできるだけ詳細に書き記したいと思って色々書き留めたのだけれど、私の中で母への愛情があまりにも欠けているので単に母に対する誹謗中傷のようになってしまいそうで、やめた。 だから出来る限り簡素に記すことにする。私が母を見限った経緯(いきさつ)について。
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