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必死だった私と、見捨てた私 : 母のこと②
後々気づいたことなのだけれど、私が私特有の個性を発揮することが母には不快に感じるようだった。
大人しくて繊細すぎるところ。すぐ自分の世界に入ってしまうところ。はっきり発言出来ないところ。そして私の描く絵。
弟はいかにも子どもらしい素直な子だった。思ったことをそのまま言う伸び伸びとした性格は母には分かりやすく、可愛らしく映るのらしかった。
母に好まれる私になりたかった。それは私にとって死活問題だった。
今日気に入られても、明日はどうだか分からない。ひと月後は分からない。何かわがままを言って、おねだりをして嫌われるのが怖い。とにかくひたすら「申し訳ない」という強迫観念に囚われていて、自分独自の“良い子ポイント”のような概念を作り出してコツコツ貯めるような感覚で暮らしていた。
弟は母を困らせるようなことを言った。でも私はしない。
良い子ポイントひとつ。
母の定めた決まりをきちんと守った。
良い子ポイントひとつ。
ポイントの分だけ、愛される根拠が増えるのだと思っていた。振り返ると、何かしらの決まりを守ることや母を煩わせないことによってそれを貯めようとしていたのだろう。私が母に甘えるとか、嬉しそうにすることによって喜ばれるなんて考えもしなかったな。自分は存在自体がマイナスポイントで、出来るだけ迷惑をかけない良い子になることが一番喜ばれると信じていた。どうしてだろう。
何が原因か、私には絶対的に「誰かに愛されている、その資格がある」という感覚が不足している。
ネグレクトではなかった。種類はどうあれ程度の差はあれ、愛されていないわけでもなかった。衣食住に困ったこともない。気紛れで捨てられるはずもなかったのに、なぜそれを固く信じて恐れていたんだろう。母の機嫌の良し悪しは敏感に感じ取れる癖に、愛情を感じ取る力はどうにも薄い。いつもどこか淋しい。
母に話したなら、きっとこう言うことだろう。
「いやあ、つくづく人間はゆりかごから墓場まで愛情を求めるんだねえ。人間っていうのはそういう生き物なんだねえ」
全くの他人事である。
良い子になりたいと願っていた割に、私は全然良い子にはなりきれなかった。学校ではガチガチに緊張していたために出来ないことが多くて、迷惑をかけっぱなしだった。お喋りが出来なさ過ぎて、他の子の会話に耳を欹てては暗記して、こう言われたらこう返すんだなとシミュレーションしたりとか。出来るだけ目立たないよう、クラスの他の子たちから浮かないようにと意識し過ぎて、トイレに行くとか花に水をやるとか教室の本を借りるとか、とにかく自主行動的なことが出来なかったりとか。情報量が多くて混乱してフリーズして、自分のやりたいようにやるという、ただそれだけのことが私には高すぎるハードルだった。
私にとって、“学校に行ってその環境にとどまっている”ということそのものが、かなりのエネルギーを要した。私の情報容量はあっという間に限界値に達してしまう。それを超えると頭痛がしてくる。そんな訳でほぼ毎日頭痛で、下校の頃にはぐったりしていた。
家では相変わらずよく泣いていた。泣くのが癖になっていたとかそういうことでもなくて、一回一回が本当に辛くて悲しかったからなのだけれど、それにしてもしょっちゅう泣いていたなと思う。母が不快に感じているのは知っていた。「うるさいからやめて」とよく言われたものだった。
私が泣くのは昔からただひとつの理由のみ。
自分の存在が、おぼつかない。
勝手なやり方で母に尽くしていた。「尽くして」なんて言われてもいないのに。母好みの私になりたくて、自分の好みも意見も態度も母に受け入れられるものに変形させていた。
母は子どもの頃から何でもかんでも私に話していた。父の愚痴から、よそのお母さんの中傷、自分の思ったこと、教育的なあれこれ。学校から帰ると私が学校でのことを話す間も無く、母は浴びせかけるように自分の話したいことを語り始める。私の周りで起こったことや、自分の気持ちは話せない。受け止めるのに精一杯で、母に同調するしかない。むしろ母の言うことは全て正しいのだと信じて疑わなかった。その中に、弟の話題があった。
二つ下の弟は、私が小学三年生の頃入学してきた。しばらくして、弟はクラスメートにいじめられるようになった。弟はすぐ母に泣いて訴えて、母はそれをなぜか私に“相談”するのだった。
「メガネをかけてるからね、“メガネザル”って言われるんだって。給食の牛乳のストローの袋に付いてる糊を、メガネになすり付けられるんだって。可哀想にねえ」
「うん」
「体も小さいからねえ。一年生になったばっかりなのにねえ」
「うん」
「**くんは本当に悲しそうな泣き方するでしょ。可哀想になっちゃう」
母はしきりに可哀想に可哀想にと言っていた。
聞きながら、傷付いていた。弟がいじめられているのは可哀想だ。でもなぜそれを、私に相談するんだろう。弟と同じ、子どもであるはずの私に。同じく一年生からいじめられて今年度から三年目になる私に。なぜ真っ先に父に相談しないのだろう。私にそれを言って一体何になるというのだろう。
押し潰されそうに苦しかった。
あのね、私まだ九歳だよ。言われた私はどんな気持ちになるか、重荷になりはしないかと考えてはくれないの。私にはそういう配慮はしてくれないの。
ねえお母さん、じゃあ、私が自分もいじめられていると打ち明けたら同じように「可哀想に」って言ってくれる? 同じことを言ってくれるかなあ。もしどうしようもなくなって、耐え切れなくなったら、やるべき事をやっても八方塞がりみたいになったら、私もお母さんに言ってもいいかな。「可哀想に」って慰めて、抱っこしてくれるかな。
ここでも「良い子ポイント」が発動して、私は自分もいじめられているのだと言うことが出来なかった。ただ、少し希望になったのは、母は自分の子がいじめられたことに対して“可哀想に”と言ってくれるという発見だった。可哀想にと言ってくれて、母が味方になってくれたなら、私は学校でどんなに辛い目にあっても心強さで頑張れるかも知れない。でも、それは本当に自分で出来る限り頑張って、どうしても駄目だと思った時にしよう。なるべく自分でなんとかしよう。
私は「母親にいじめられていることを相談して助けを求める」ということを最後の手段、希望の光みたいな場所に据えてしまった。
いよいよ本当に駄目だと思った時、思い切って母に相談して後悔した。
母は味方してくれたのだろう。実際私がいじめられていると知って、彼女が何を思ったか分からない。第一声目は何だったろうか。「担任の先生に手紙を書きなさい」だったかな、それとも「弱そうにしてたらなめられるよ」だったろうか。
いずれにしても、“私に落ち度があって、対処の仕方が悪い”と言われているように感じて、気持ちの持って行きどころがなかったのを覚えている。
「よく相談してくれたね」「よく耐えてたね」「可哀想にね」。
端的に言えば、私はこの言葉だけで良かった。それだけで、私のぎりぎりの心は救われる気がしていた。
いじめなんて人の心から発生する。先生が注意したって、私が毅然としていたって、人の心を押さえつけることなんか出来ない。であれば、私は心の支えになる味方が欲しかった。
お母さん、**くんみたいに、私のことは「可哀想」とは言ってくれないの。私がいじめられるのは私が弱くて異常だからなの。お母さん。
以降、母は私のために良かれと思ってか、いじめの主犯格の女の子のことを見下したり小馬鹿にして笑うようなことを度々した。あの時は何となくもやもやしていたけれど、今なら分かる。いじめをしていた子だってあの時たった九つで、幼く不安定な子どもだった。よその家庭の大事な娘だった。それを分別も力もあるはずの大人がからかうなんて、絶対にしてはいけないことだ。母は根本的にいじめっ子と同じことをしていた。だからあたかも自分がそれを受けているようで傷付いたのだ。
私、いじめてきた子のことなんて全然恨んでいないのに。だって相手は人間様で、生まれるべくして生まれた人で、一方私はすごく変なんだもの。されたことは悲しかった。だけどいじめられた事といじめてきた人は私の中で分離していて、苦しさが除かれればそれで良かったんだ。母に優しい言葉をかけて貰えなかったことの方がよっぽど苦しかった。
いじめの延長と言うべきか微妙だけれど、学校で描いた絵は人に取られてしまいがちだった。
子どもの絵だし、特別上手いわけでもなかったけれどクラスメートから「ちょうだい」と言われることが多く、「うん」としか言うことのできない私は大抵家に自分の絵を持ち帰ることが出来なかった。でもあるとき持ち帰れたことがあって、母に褒めてもらうを楽しみに下校した。
母から肯定の言葉を貰った記憶はない。しばらく私の絵を眺めて、それから
「悪いけど、邪魔になるから捨ててもいい? 」
と言われたことだけ覚えている。
「うん」
と私は言った。そう答える他にどうしたら良かったのだろう。頭が真っ白になって、その返事しか思い付かなかった。
私の絵は母から憎まれているような気がずっとしていた。母自身も絵を描く人だった。
もっと幼い頃は母と私と弟で、花かなにかを真ん中に囲んで写生大会をしたものだった。でもあるときから母は「絵を描いて」とねだっても描いてくれなくなった。「**の方が上手いから」と適当なことを言ってはぐらかしてしまう。好きなように描いた絵も、「もっと子どもらしい自由な絵を描いたらいいのに」と言われてしまう。
以降、私は持ち帰れた自分の絵は母に見せずに弟と私の子ども部屋に自分で貼って飾るようになった。
高校生くらいの頃「お母さん私の絵好きじゃないんでしょ」と言ったことがある。母は肯定した。「だって暗いし、目に輝きがないんだもん」。
それから私は目に光を入れないで描くのが怖くなった。
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