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恋の棘 4
夢だとわかるのに意識が妙にはっきりしている。
この現象は以前にもあった。きっとお祖父ちゃんの仕業だ。
「お祖父ちゃん?」
柔らかい光に溢れた何もない広い空間で辺りを見渡すけど見つけられない。
「おじーちゃー……」
「ここだよ」
大声で呼びかけている最中に、若い姿のお祖父ちゃんはふわりと現れた。私の隣に立つ。
「……お祖父ちゃん、私」
言いたいことはたくさんあるのに、どう言葉を紡げば良いのかわからなくなる。
口ごもった私の頭をお祖父ちゃんは優しく撫でてくれた。
「いつものみさきでいれば良い。答えは自ずと出てくる」
お祖父ちゃんにそう言われるとそんなものかと納得してしまう。
「みさきを愛しいと想っているひとはたくさんいるからね。お祖父ちゃんもみさきが大好きだよ。お父さんとお母さんも離れて仕事をしているけれど、いつもみさきを心配している」
若いお祖父ちゃんに言われると不思議な気分だ。だけど嬉しくて自然に口元が緩む。
「誰かを愛しく思うのは嬉しいけれど、哀しいこともある。甘くて苦い、禁断の雫だ」
そう言ったお祖父ちゃんはこちらに振り向いた。私もお祖父ちゃんの正面に向き直る。
お祖父ちゃんは優しく私を抱き締めてくれた。
「大丈夫だよ。みさきとあの子たちなら、間違えない」
††††††††
「あれは絶対何かあったで」
透は今日も淳の部屋に布団を敷いて潜り込んでいた。両手を頭の後ろで組んで寝転んでいる。
「何のことですか?」
淳は寝返りを打って透のいる方へ全身を向ける。
「気づかんかった?」
「……みさきと眞澄と誠史郎ですか?」
淳はため息混じりに吐き出した。3人はいつも通りに振る舞っているつもりのようだったが、特にみさきはぎこちなかった。
「なんや。知ってて放置か」
「僕がどうこう口を出す問題ではありませんから」
「えらい余裕やな」
透の明るい声には、本心を隠そうとする淳を揶揄するような響きがあった。
「みさきが幸せになることが、僕には1番ですから」
「ふーん。ま、淳クンがそのつもりならええけど。俺は黙ってみてへんから。ほんならおやすみ。明日は学校やなー」
リモコンで透が蛍光灯を消す。
真っ暗になった室内の天井を淳はミルクティーの色の瞳で見つめた。
昨日触れたみさきの瞼の柔らかさが、まだ指先に残っているような気がする。
透に告げたことは本心だ。心からそう思っている。
だが、もう少し言葉を修飾することもできた。しかしそれを吐き出すと、淳が自分自身を制御できなくなる気がする。
淳は小さくため息を吐いて寝返りを打つ。いつも周に言われていた。黙って待っていても何も変わらないと。頭ではわかっていてるのだが。
「……おやすみなさい」
全て暗闇に預けて忘れようと、透に声をかけて目を閉じた。
††††††††
「彼にとって、君はとうの昔に過去の話なんだね」
佐藤宗輔の肉体から離れたインキュバスはちりちりと揺れる青い焔に語りかける。
「残念だったね。死ねない彼の心に巣食えたと思っていたのに」
シンメトリーの美しい面が底意地の悪さを隠すことなく微笑む。
彼の手の中のそれは一度大きく燃え上がると、憎悪を糧に形を変えた。
「彼は……私のものよ……」
彼女が生きていた頃の姿が蘇る。細身で、冷たさを感じるほど整った顔立ちをしていた。
「取り返せば良いじゃないか。何も知らない小娘から彼を取り戻すなんて、赤子の手を捻るようなものだろう?君と彼は愛し合っていたんだから」
††††††††
裕翔くんが今朝、お昼ごはんをふたりで屋上で食べようと誘ってくれた。
昼休みになったのと同時にお弁当を持って移動する。
今日のお弁当は全員分私が作った。メニューはみんな同じだけど、大きさが違う。男性はみんなよく食べる。
裕翔くんとふたりで、午前の授業中や休み時間のできごとを話ながら食事をした。
食べ終わるとお弁当箱を片付けて、やおら裕翔くんはこちらを見る。
「みさき、大丈夫?」
隣に座って顔を覗きこんできた裕翔くんがとても大人に見えた。そのことに私は動揺してしまう。
猫のようにくりくりした大きな双眸は真っ直ぐで強い光を放っている。
「オレが付いてるからね」
私の側頭部に裕翔くんの手が添えられると、引き寄せられてそっと彼の肩に頭を預けるような体勢になった。
異変は感じ取りながらも、その原因を聞かないでいてくれることがとてもありがたかった。
目を閉じると彼の温かさが胸の内にじんわりと広がっていく気がする。
「……ありがとう、裕翔くん」
「どーいたしまして」
そうしてしばらく裕翔くんに甘えていたのだけど、急に彼の空気が鋭くなった。それを感じて私は頭を上げる。
「裕翔くん?」
「何か良くないものがいる」
まだ私には感じ取れないが、裕翔くんははっきりと察知しているみたいで立ち上がった。
「オレ、行くね」
「私も……!」
裕翔くんの手を思わず握っていた。それを見て、裕翔くんの丸い目がさらに丸くなる。だけどすぐに不敵な笑みがひらめいて大きくうなずく。
屋上の扉を開いてすぐの階段へ行くと、私にも感じ取れるほど、ヒトならざる気配があった。
階下へ行くほどそれは強くなる。1階の保健室前で淳くんと眞澄くんに出会った。
淳くんが私たちを呼ぶ。
「みさき、裕翔」
保健室の中に何かがいる。みんなの視線が自然に一点に集まる。
「誠史郎さんは……?」
私がつぶやくと、眞澄くんが緊張した面持ちで勢いよくドアを開く。
足を組んだ状態で椅子に深く腰かけている誠史郎さんの頬を、女性がそっと触れていた。
昨日インキュバスに見せられた、誠史郎さんの恋人だった女性だ。
淳くんがすぐに保健室とその周辺を覆うような結界を張る。これで他の人は近寄らないし、彼女もここから出られなくなった。
「誠史郎さん!」
私がふたりに近づこうとすると、みんなに静かに制止された。
「せいしろう……?」
緩慢につぶやく彼女に、誠史郎さんが答えた。
「私の名前です」
女性と誠史郎さんは互いから視線を逸らさない。
「あなたの知る吸血種はもういません。ここにいるのは、同じ顔をした違う生き物です」
生き物、という表現に私は誠史郎さんの複雑な胸中を垣間見た気がした。
白の眷属という狭間にいる者。
「あなたの知っている彼は、死にました」
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