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交渉人は陽射しを避ける
「代理人?」
のどかな往来を真下に臨むカフェのカウンター席で、黒羽は私に言った。
前回とは打って変わって健全な日中の店だが、私がここを訪れたのは黒羽と物騒な交渉をするためだった。
「なるほど、さすがはあの年で事業を手掛けるだけのことはある。剣呑そうな話は代理人に任せ、ご自身は交渉のテーブルについたという事実を残さない。完璧です」
黒羽は前回のいでたちとはがらりと装いを変え、グレーのスーツに紺ネクタイというコーディネイトだった。これなら誠実な仕事をする弁護士だといっても誰も疑わないだろう。
「どうとっていただいても結構です。私も彼女から、仲介の手数料を頂く手筈になっていますので」
私が事務的な口調で言うと、黒羽の両目がすっと細められた。
「どうやらあなたも、ただのお友達ではなさそうだ」
「早速ですが、これが彼女が憎しみを抱く人物です」
私はそう言って、一人の男性が映し出されたタブレットの画面を示した。男性は言うまでもなく私の『夫』だ。
「彼の日常や立ち寄り先に関するデータは、ほぼ押さえています。交渉成立の際にはそれらの情報をご提供する準備もあります」
「ほほう、それは用意周到なことですな。……しかし、私からはまだ何も申し上げていませんよ。そちらのお望みをうかがわないことには」
「それを口にすれば、依頼が開始されてしまいます。その前に、そちらの売りであるプロフェッショナルの情報をさわりだけでもうかがわせてもらいたいのですが」
「――これはやられました。では先にこちらのカードを一枚、切らせていただきましょう。実はあなたが仰る『プロフェッショナル』と私との間にもう一人、いわば『闇の仲介人』ともいえる人物が介在しているのです。私はその人物に「プロフェッショナル』との間を取り持つよう依頼する立場でしかありません」
私は内心、うなった。あくまでも殺し屋との付き合いはないと言い張るつもりなのだ。
「それはまた、用心深いことですね。……でも」
「でも?」
「それは交渉時の言わば決まり文句であって、本当は『仲介者』などという人間はおらず、あなた自身が『プロフェッショナル』たちのボスなのではありませんか?」
「――これは参りました。どうやらいよいよただのお嬢さんではないようだ。……しかし如何ながら、それは勘繰り過ぎというものです」
「でしょうね。……じゃあこちらも最初のカードを切ることにします。彼女の望みは、このターゲット男性を黙らせること。方法は問いません」
「ほう……たとえば?」
「彼が突然、不幸な事故に見舞われるとか、とにかく沈黙することです。現場は鍵のかかった部屋の中でもいいし、絶対に人が立ち入ることのできない断崖絶壁でもいい」
「それは永遠に……という意味にとってもよろしいでしょうか?」
「どうぞご自由に。とにかく魔術か超能力でもない限り、人の手による事故ということはありえないという状況さえあればいい……いかが?」
「つまりあなたは、『プロフェッショナル』ならそれが可能だと考えていらっしゃる?」
「……違うかしら?」
「私からは何とも。ただ、『プロフェッショナル』なら、あるいは可能かもしれない、とだけお伝えしておきましょう」
「わかりました。では彼女に今日交わしたやり取りの中身を伝えた上で、数日中に依頼するかどうかの最終確認をしてきます。――それでよろしいかしら?」
「いいですとも。お互いにとって、良い内容の交渉になることを期待していますよ」
私は黒羽に軽い笑みを返すと、商談を終えた営業レディーのようにその場を立ち去った。
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