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失われた面影との再会
『交渉は無事にスタートしました。後を任せてもらってもいいですか?』
私は簡潔なメールを蘭奈に送ると、二つ並んだ棺桶――『鋼鉄の仲人』の前に立った。
「さあ交代の時間よ、ダーリン」
私は一回り小ぶりな方の棺桶に身体を収めると、目を閉じて囁いた。
棺桶の内側には私の身体から『魂』を抜き取るための接触型デバイスが搭載されている。しばらくすると意識が闇の中へ引きこまれる感覚があり、次の瞬間、私の意識は眠っている『夫』の身体へと移動を終えていた。
――ただいま。あなたの身体、借りるわね。
移動の瞬間、私はいつも『夫』と一体になった自分を実感していた。棺桶の扉が開き、外の風景が現れると私は一回り大きな体を二、三度揺すって戻ってきたことを確かめた。
外へと足を踏みだした私はその場で体の向きを変えると、小さい方の棺桶の蓋を撫でた。
「しばらく女性の私ともお別れだ。もしこの身体のまま死ぬようなことがあっても、私と君は常に一緒だ」
私は『妻』にしばしの別れを告げると、鏡の前へと移動した。映っているのは、前もって特殊メイクを施しておいた『夫』の顔だった。本来の『夫』の風貌とはかけ離れたその顔は、黒羽に見せたターゲットの写真とも異なっていた。おそらくバーの常連客が見ても、なじみのバーテンとは気づかないに違いない。
私は黒羽の行動を監視するため、アジトを出た。あらかじめ調べておいた黒羽の事務所に向かう前に、私は『夫』が勤務するバーへと足を向けた。
慣れ親しんだ職場『コーネル』のドアには『CLOSE』の札が下がっていた。
オーナーにはしばらく閉めると言っておいてあるが、私は一応、中を覗いてみることにした。ドアを開け、隙間から首を突っ込んだ私が最初に感じた違和感は、明るさだった。
私はフロアに足を踏みいれ、奥へと進んだ。すると驚いたことに、カウンタ―の内側で掃除らしき行為をしている人物の背中が見えた。
「……すみません、あの、お店はお休みなんじゃ?」
私の声に驚いたのか、人物は動きを止めるとこちらの方をゆっくりと振り向いた。
「……あなたは?」
「あ、すみません。仕事帰りにいつも、ここに立ち寄ってる者です」
元のバーテンとは異なる顔の私は、咄嗟に常連客を装った。
「ああ、そうだったんですか。お休みはお休みですよ。俺は……いえ、私は炎坂といいます。ひょんなことでこちらのオーナーと知り合いになって、ちょいと覗かせてもらいました。……あの、これって不法侵入になるんですかね?」
大男は私を見てばつの悪そうな笑みを浮かべた。私は驚きと戸惑いで何と言ってよいかわからず「断ってあるのなら問題ないんじゃないですか。ただ……驚きました」と返すのが精一杯だった。
私が大男を見て内心、狼狽えたのにはわけがあった。炎坂と名乗るこの男性は、私の『妻』の……つまり女性の時の私が結婚する前――つまり生きていた時の知り合いだったのだ。
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