彼女は闇への扉を叩く

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彼女は闇への扉を叩く

「私が追っている事件は、一年前に起きた資産家殺害事件よ。被疑者は被害者の甥で、犯行の動機は金の無心を断られたから……ということになっているわ」 「……ということになっている?何か含みがありそうだね」 「それはおいおい話すわ。とにかく被疑者は犯行を終えた後、自分が犯人であることを仄めかす遺書を残して山の中で自殺。事件は被疑者死亡のまま、捜査本部が設置されることもなく送検されて終了。……こんなの、普通は追わない事件よね?」  蘭奈は事件の概要を一気に語り終えると、自嘲気味の笑みを浮かべた。 「そんなことはないさ。気になることが少しでもあるなら、とことん調べたらいい」  私が先を促すと蘭奈は口元をわずかに緩め、続きを語り始めた。 「その、被疑者としてなくなった男性は、私の婚約者だったの」 「婚約者?」  意外な話の成り行きに、私は思わず瓶を磨く手を止め、身を乗り出した。 「そう、婚約者。……もっとも私と彼が婚約してたってことは、事件の時はまだごくわずかな人たちしか知らなかったんだけど。資産家の叔父さんに無心にいったのも、結婚費用に困っていたからってことで片付けられてるけど、私は納得がいっていないの」 「お金がなかったら延期しようと思ってた……そんなところかな」 「それもあるけど、実は彼が犯行を実行したと思しき時間に、メールが来てたの。「無心は断られたけど、他にもあてはあるし、焦らないで行こうね」って」 「警察にはそのメールのことは話したのかい?」 「もちろんよ。でも相手にしてもらえなかった。……理由は本人が遺書の文中で殺害をほのめかしていたこと、ほかに犯行の可能な人物が見当たらなかったこと、そして何より、現場が密室で彼が合鍵を作っていたらしいことが判明したこと、これだけ揃えば十分よね」 「……でもあなたは納得しなかった」  私が水を向けると、蘭奈はこくんと頷いた。 「彼はお金のことで人を殺したりしないし、自殺するくらいなら潔く罪を償うはず。彼が死んだ現場は人の出入りできない場所で、誰かが彼を犯人に仕立て上げたんじゃないかっていう私の推理は見事にはねつけられてしまったの」 「つまりこの事件は冤罪で、どこかに叔父さんを殺害した真犯人がいる……と?」 「ええ。少なくとも私はそう思ってる。でも実際の犯行を見ると他の人間には不可能だっていう状況証拠ばかりがでてきて……逆に彼の犯行だと仮定すると、矛盾がなくなる。私がいくらそんな人間じゃないといっても、彼の本当の気持ちはわからないよって言われておしまいよ」 「なるほど、つまりどこかにその叔父さんのことを疎ましく思っている人間がいて、彼がお金を欲しがっていると知ったことで殺人犯に仕立て上げようと目論んだ……そんなところかな」 「そう。でも証拠が何もない。怪しい人間がいないわけじゃないけど、どうやって彼を犯人に仕立て上げたかは今の所、私にもわからないの」 「それを調べようとしていたら、あのおかしな人物に襲われたってわけか。……ふむ、そうなると事件を蒸し返させられて困るのは普通、真犯人だ。つまりあの人物は真犯人か、真犯人に雇われた口封じの殺し屋ってことになるね」 「少なくとも、私はそう思ってるわ。……だって、私の口を封じようとしたこと自体、彼が犯人じゃないっていう何よりの証拠でしょ?」  私は思わず唸った。頭のいい娘だ。……が、そのことが彼女の身を危うい物にしている。 「それで、調査は諦めるのかい?」 「昨日の時点ではそれも考えたわ。……だけど、月上さんからあの人物のことを聞いてから決めようって思ったの。どうして月上さんは、超能力者のことなんかを知ってるわけ?」  私は一瞬、沈黙した。この娘に私のことを話すべきだろうか。しばらく宙を見つめた後、私は意を決すると、おもむろに口を開いた。 「知りたいかい?……私はこの世には知らない方がいいこともあると思う。これは年長者からの忠告だ」  私が厳しい口調で言うと、蘭奈は間髪を入れず「知りたい。後悔はしません」と言った。 「いいでしょう。では今日は店を早めに切り上げて、私の隠れ家にご案内します」 「隠れ家?」  きょとんとしている蘭奈を前に、私は「続きは閉店後に」と言って再び瓶を磨き始めた。
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