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クリエイターさんはなぜ友人の離婚話を自分の小説として公式の場所で発表しようとしたのか不思議に思っています。
もし、自分が学校や職場で悪質ないじめにあっていたら?
もし、自分の家族が交通事故や病気で亡くなってしまったら?
もし、自分が親から暴力や育児放棄などの虐待を受けていたら?
もし、自分が思い出したくもない性被害にあっていたら?
それを誰かに小説として公開してほしいものでしょうか。クリエイターさんは「小説にして気が晴れるなら」と言ったとつぶやきに書かれていました。
もし自分が既婚者で、配偶者が元交際相手と不倫してモラハラを受けたのちに離婚したとする。それを友人に話したところ「あなたの離婚話を小説として書いたら気が晴れるんじゃない?」と言われる。そして、その小説を3週間読み続けているが、ずっと不倫されて苦しむ描写が続いていたらどうでしょうか。最後はハッピーエンドになるよと言われても私なら読みたいとは到底思えません。例え現在は幸せだったとしても、あの時の苦しかった気持ちがよみがえると思います。一度受けた心の傷は完治させるのはすごく大変です。
なぜ辛くて苦しい思いをした友人のために書いた話が、その辛くて苦しい思いをまた思い出させるような描写を書き続けたのか理解に苦しみます。
離婚が想像しづらいのであれば、先ほど書いたようにいじめ、家族を亡くす、虐待、性被害等の自分にとって苦しい状態に当てはめて想像してみてください。自分じゃない人に小説として発表されたいですか?読みたいと思いますか?
あの作品はコミカライズの原作コンテストにも応募されていたようです。つまりクリエイターさんは友人の不幸話を所謂「メシのタネ」にしたということなのではないでしょうか。
小説家を目指すのであればそれくらい普通のことなのでしょうか。
友人が読んでいないのであれば気を晴らすために書く意味がわかりませんので、読んでいる前提で私はこの文を書いています。
そもそも友人の話じゃなかったからいいじゃないかという人もいるかもしれませんが、友人から話を聞いて書き始めた時は、友人がブログを織り交ぜて話していたことを知らないはずなので、クリエイターさんは友人の離婚話だと思ってあの話を書かれているはずです。
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