いつの日か、また

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 陽のきえかけた山のなか、こびとのこどもが、ことしさいごのツキヨタケをあかりにして、あるいています。  そのそばの枯れくさのあいまに、咲きおくれのリンドウがありました。がけのうえのリンドウは、夜をまえにして、どれもくるりと花びらをまいてねむっていましたが、ひとつだけ、月をみてからねよう、とおきている花がおりました。  ゆれる光をみつけたリンドウは、光がだんだんとがけのさきへむかうのをみて、こえをかけました。 「もう夜がくる。こどもはうちへおかえり」  ささやくこえに、こびとのこどもはびくりと肩をゆらしました。 「……おうち、どこ……?」  ふるえるこえにつづいた、しゃくりあげるおと。おおごえで泣かれては、山のけものがきてしまいます。そうしたら、ちいさなこびとのこどもなど、ひとのみです。リンドウはあわてて花びらをゆらしました。 「おいで、こっちだ。ゆっくりでいいから」  つりがねをさかさにしたような花をゆらしても音はでませんが、かげがうごいているのがみえたのでしょう。はなをすすりながら、こびとのこどもがリンドウのそばまでやってきました。  キノコのあかりに照らされたそのかおは、はじめてみるものでしたが、リンドウはそのこえにおぼえがありました。 「おまえ、したのさわのトチノキにすんでるこびとだろう」 「ぼくをしってるの?」  泣きべそがおのこびとのこどもが、目をぱちぱちさせます。こどもはリンドウをみたことがありませんでした。 「がけのしたから、こえがきこえるからね。おまえさんのかぞくが木にのぼって、トチノミをとるときのおおさわぎなんて、聞きあきたくらいだ」  リンドウがそういうと、こびとのこどもはあかりをかかえて、がけのほうへ向かおうとします。 「まちなさい、いまはみえないだろう。そこはがけになっていてあぶないから、もどりなさい。朝まで、ここですごすといい。太陽がのぼれば、すぐにかえりみちがわかるさ」 「……ほんとう?」  リンドウがなだめると、こびとのこどもは足をとめ、泣きそうなかおでふりむきます。 「ああ、ほんとうだとも。でなければ、うごけない花が、おまえの家のばしょを知っているわけ、ないだろう」 「……うん」  ゆっくりと話すリンドウのことばに、こどもはちいさくうなずきました。とぼとぼとリンドウのそばにもどってきたこどもにリンドウは、花びらをひろげてやりました。 「そこは、がけしたからの風がふく。夜つゆもおちる。もっと根元まできなさい。ほら、花のしたにはいって、枯れくさにくるまって」  つぎつぎにいうリンドウのことばのとおりにしたこびとのこどもは、あたたかな枯れくさのふとんにはいってよこになりました。ほほが赤いのにちいさくふるえているのは、体が冷えきっているからでしょう。リンドウは冷たい風があたらぬように、めいっぱい花びらをのばします。 「なぜひとりであるいていた」  リンドウにきかれて、こびとのこどもは、さがるまぶたとたたかいながら、こたえます。 「きょう、おかあさんたちと、はじめてとおくにさんぽにいって。たのしかったのに、おひるをたべておひるねしたら、いえにかえるよ、っていわれちゃったの。でも、ぼく、もっとあそびたかったから、おひるねのとちゅうに、ひとりで、ぬけだして、そしたら、みちがわからなくなって……」  はなしながら、こびとのこどもの頭がかくん、とたおれかけました。あわてて頭をおこし、ぱちぱちとまばたきをしているこびとのこどもに、リンドウはいいました。 「ねてしまいなさい。おまえはよくがんばった。ひとりでここまで歩いてもどったのだから。後悔も反省も、あしたすればいい。きょうは、ゆっくりねてしまいなさい」  リンドウのゆったりとしたしずかなこえをきいているうちに、こびとのこどもはもう、めをあけていられなくなったようでした。体のちからがどんどんぬけて、リンドウの茎にもたれかかります。  その頭がかっくりとたおれ、リンドウの根元にころがったときには、こどもはもう、寝息をたてておりました。 「やれやれ、月見をするつもりが、みょうなひろいものをした」  ためいきをつきながらみあげた空に、まだ月はみえません。 「もう、ねてしまおうか。月なら、咲いてるあいだにまたみられるだろう」  きもちよさそうな寝息をきいているうちに、リンドウもねむたくなってきました。それに、きょうはずいぶん冷えます。はやくほかの花のようにつぼんでしまわなければ、凍えて、しおれてしまいそうです。  リンドウがゆるゆると花びらをとじかけたときです。 「くしゅっ」  ちいさなくしゃみがきこえました。リンドウが根元でねているこびとのこどもをみると、ふるりと肩をふるわせて、もぞもぞと枯れくさにもぐりなおしているところでした。 「……もうしばらく、月をまつかな」  リンドウはつぶやいて、空をみあげます。いつのまにか雲がでてきて、またたく星もみえません。それでもリンドウは、花びらをできるかぎりひらいて、まっくらな空をみつめていました。  夜更けになると、つめたい雨がふりました。はげしくはないけれど、休むことなくおちてくる雨つぶが、リンドウの花びらを打ちました。  それでもリンドウは、じっと空をみつめておりました。雨がやんで、雲がはれ、風もふかないのにぞくぞくとするほど空気が冷えても、空をみつめておりました。  夜がうすれてくるころに、おちた雨つぶは、冷たくかたまりはじめました。  枯れ葉のうえに、木のまたに、山のいろいろなところに、うすい氷がはりました。その年、はじめての氷でした。  ※※※ ※※※※※ ※※ ※※※※※※※ ※※※※※ ※※※※  「うぅ……さむい……」  めをさましたこびとのこどもはねがえりをうち、かたにふれたくうきのつめたさに、からだをふるわせました。けれど、そのかおにおひさまのひかりがあたると、はっとしてとびおきました。 「あさだ!」  こおったかれはをふみならして、がけのはしまでいくと、きのうのよる、花がおしえてくれたとおり、がけのしたのさわに、トチノキがみえました。こびとのかぞくがすみかにしている、トチノキです。  がけをぐるりとまわっていけば、きゅうだけれど、おりられそうになっているところもあります。 「はなさん、はなさん、うちがみえたよ!」  うれしくなったこびとのこどもは、とびはねながらはなのもとへもどりました。けれど、へんじがありません。 「はなさん? どうしたの、ねちゃったの?」  きのうのよる、くらいなかでひとつだけさいていたはずのはなをさがすけれど、みあたりません。むらさきいろをしたはなは、どれもはなびらをきつくまいて、だまりこんでいます。それでもこびとのこどもがもういちどこえをかけてみると、ようやくへんじがありました。 「……はやく、おかえり」  ちいさなこえでつぶやくようにいったのは、はなびらをゆるくまいた、ひとつのはなでした。 「はなさん、げんきないね。ねむたいの?」 「……そうだよ。だから、もう、いきなさい」  くしゃくしゃとまるまったままいうはなに、こびとのこどもはがっかりしました。 「あなたがさいてるところ、ちゃんとみたかったのに。またこんど、みにきていい?」  キノコのあかりでみたはなのすがたをおもいだしながらこびとのこどもがいうと、はなはしばらく、なにもこたえませんでした。  つめたいかぜがふいて、こびとのこどもがふるりとふるえたとき、ようやくしわくちゃのはなびらが、すこしひらきました。 「きょうは、ゆっくりやすんで、また、つぎのはれのひに、おいで。わたしたちは、はれたひにしかひらかないから」 「うん、わかった! やくそくね!」  にっこりとわらうこびとのこどもに、リンドウはすこしだまってから、いいました。 「あしもとの、すきとおったかけらをひろっておくれ」 「これ?」  こびとのこどもがいわれたとおりに、じぶんのあしもとのかれはにくっついているかけらをひろうと、それはとてもつめたいものでした。 「わあ、つめたい!」  つめたくて、すきとおっていて、きらきらしているかけらをみつめてはしゃいだこえをあげるこどもに、リンドウがぼそぼそとつたえます。 「それは……つきのかけらだ。そのかけらをやくそくの、あかしにしよう。また、いつか……。また、いつか、それをもって、あいに、おいで」 「おつきさまのかけら?」  こびとのこどもがみあげると、あおく、いろづきはじめたそらに、しろいつきがうっすらとのこっているのがみえました。それはたしかに、てのなかのすきとおったものに、よくにています。 「ぼく、しろいおつきさまをみたの、はじめて。たいせつにするね! これをもって、きっとまたくるね」  こびとのこどもはきれいなかけらをかかえて、わらいました。はなからのへんじはありませんでしたが、ふりかえり、ふりかえりしながら、がけのほうにむかいます。 「きっとだよ、きっとあいにくるからねー!」  元気なこえだけをのこして、こどものすがたがみえなくなると、リンドウはふーっと息をはきました。そのとたん、わずかにひらいていたリンドウの花びらは、力なくしおれていきます。  もう、月をみあげる力ものこっていません。それどころか、きっと、きょうの青空をみることなく、枯れてしまうでしょう。  それでもリンドウはまんぞくして、つぼみをそっととじました。ほろり、と花びらにたまっていた雫がこぼれます。  青くはれた空にとどきそうな、元気なこびとのこどものこえをおもいうかべながら、花はいのちを終えました。  ※※※ ※※※※※ ※※ ※※※※※※※ ※※※※※ ※※※※  それから、幾度か季節がめぐりました。  子どもだったこびとは、おとなといっしょでなくても、もう道に迷うことはありません。迷子になった自分のこどもたちを探しに、陽の暮れかけた山を歩くことだって、できるようになりました。 「さあ、帰ろう。母さんが心配している」  ようやく見つけたこどもたちの手を引いて、枯れ草を踏んでいたときです。 「あれ、なあに。きれいないろ」  娘が、草はらを指さして言いました。 「……ああ、リンドウだな」  秋も終わりを迎える山のなか、むらさき色のつぼみをつけた花が、ぽつりと立っています。 「晴れた日の昼間にしか、咲かない花だ。開いたところを見たいなら、つぎの晴れた日に、また来ようか」  こびとはあのあと、何度も会いに行ったから、この花のことはよく知っていました。  晴れた日にしか咲かないこと。本当は、夜はつぼんで休むこと。しおれて、枯れたときにも、つぼみのような姿をとること……。  けれど、きょうまでずっと、わからないこともありました。  どうしてあの夜、その花びらで雨を受け止めてくれたのか。  どうしていのちを捨ててまで、会ったばかりのこびとのこどもを助けてくれたのか。  ずっと考えているけれど、わからないままだったこびとの疑問は、冷えきったこどもたちの体を抱きしめたときの気持ちが、教えてくれたような気がします。 「とうちゃん、おそらのあのしろいの、なあに?」  こびとが幼い手を握りながらリンドウの花を見つめていると、するりと手をはなした息子が、空を指さしました。娘もまねして、つないだこびとの手をほどいて指をさします。 「ああ、月だな」  山は暗くなりかけていても、空にはまだ陽のあかりが残っています。すでにすがたをあらわした月は、色をなくした空で、しろいひっかき傷のように、そこにありました。 「陽が落ちてしまえば、光りだす。夜があければまたしろっぽくなって……」  月を見あげたまま話していたこびとは、冷たさを感じました。手のひらにしみるこの冷たさは、夜の風が吹き抜けたからでしょうか。 「……しろっぽくなって、氷みたいに、消えてしまうよ」  こびとが冷たくなった指さきをにぎりしめると、空っぽの手のひらがしくしくと痛みました。  花びらを差し伸べてくれた気持ちには近づけたように思いますが、どうしてあのとき、叶わぬ約束の証に、消えてしまうものを持たせたのか。  それは、こびとにはまだわからないままです。  ほんとうは、もう会いたくないと思っていたのか。花を死なせたことを恨んでいたのか。あの日会ったことを後悔していたのか。  確かめようのない問いがこびとの胸の片すみにこびりつき、とれません。  溶けてしまった月のかけらがあの日からずっと、こびとの身を凍えさせているような気さえ、してきます。 「きえたら、どこにいっちゃうの?」  幼い息子の無邪気な問いに、こびとは胸まで冷たさが這いのぼるように感じて、答えられませんでした。  けれど、同じくらい無邪気な娘のこえが、それをあかるく笑い飛ばします。 「おそらにかえるんだよ。おつきさまは、きえてなくなるんじゃなくて、おそらにかえるだけだから、またもどってくるよ。ね?」  こえと同時に、そえられたちいさな手のぬくもりが、こびとの胸にも宿ったようでした。 「……そう、だな」  月のかけらは空に帰っただけ。見えないだけで、やくそくまで消えてしまったわけではありません。 「消えたようにみえるだけ、無くなったわけじゃない。空に帰っただけ。また、いつかきっと、巡る……」  こびとのつぶやきに、息子がにっこりと笑いました。 「だったら、さみしくないね。またいつか、あえるもんね」  こびとのもう片方の手がやさしく包まれて、温かさを伝えてきます。   「ああ、そうだな……」  こびとの胸に、両手のぬくもりがしみると同時に、このぬくもりを守りたい気持ちがこみ上げてきました。それはきっと、あの日の夜から巡ってきた想いです。  またいつか。リンドウの花のこえが、聞こえた気がしました。
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