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第1話:いきなりのハードモード突入
気がついたら、なんだか妙に見覚えのあるゲームに似た世界に転生していた。
いや、ラノベなんかじゃ、飽きるほどにくりかえされたパターンだけどな?
それがまさか自分の身に起こるとか、正直まったく想定していなかった。
だって、異世界転生だぞ?!
それこそ王道パターンなら、トラックにひかれたり神様の手ちがいで死んで、スキルだとかチート能力をもらって生まれ変わるのが、お約束だ。
でも、俺の場合はどうだろうか。
残念ながら、そのどれも経ていない。
けれど、ただひとつお約束を踏襲していることがある。
それは、死にかけたときに、突然前世の記憶がよみがえり、己という存在を自覚するというアレだ。
そう、俺は今、死にかけてはじめて、異世界転生をしたらしいという認識を持つに至ったんだ。
華やかな娼婦たちのいる娼館の建ち並ぶ表通りとはちがい、石畳の薄汚れた裏手の道は、昼間といえども、なぜかどんよりと暗く濁って見える。
道ばたには、それらの店で出たゴミが打ち捨てられ、野鳥がそれをつつきに来ているくらいで、ほかに人影は見えなかった。
かすかに聞こえてくるのは、遠くのほうからもれ伝わる雑踏の気配で、それが人の声なのかどうかもわからないくらいだ。
あとは生ゴミをあさる野鳥が立てる、ガサガサという音くらいだった。
たぶんこの景色、たまの休みに狂ったように寝る間を惜しんで遊んでいた正統派ファンタジーRPGゲームソフトの背景で、くりかえし見た気がするぞ。
それこそスラムとか呼ばれるような、あまり治安のよくないエリアだ。
なんか裏稼業的なやつらを雇うときとか、情報を集めるときだとか、非合法な品を求めるときだとか。
そんなときに意を決して訪れるような、一般的ではない場所だ。
それがゲームではなく、実際の世界なのだと理解せざるを得ないのは、俺が感じている匂いのせいだった。
娼館からただよう、甘ったるいおしろいのような匂いに、生ゴミの放つ強烈な異臭。
それらが混じりあって、なんとも言えない頽廃的な雰囲気を醸し出していた。
それだけじゃない、視覚や嗅覚以外にも、五感を刺激してくるものがある。
ひんやりとしたその石畳の上に転がる俺は、その湿ったような埃っぽい感触を、肌で直に感じていた。
そしてなによりもここがまぎれもない現実だと突きつけてくるのは、先ほどから俺を苛んでいる強烈な空腹感だ。
もう何日も、まともにごはんを食べていない。
最後に口にしたのは、ほとんど具も入ってないお湯のようなスープだった。
おかげで腹を空かせているのに、それを告げるための音さえ出せないくらい、極限の状態になっていた。
空腹の度合いを示すために、『お腹と背中がくっつきそうだ』なんて表現することもあると思うが、むしろ比喩じゃなく物理でそうなりそうなレベルだろうか。
この世界で、孤児が生きていくのは思いのほか難しかったようだ。
───うん、これはアレだ。
前世で、しがない隠れヲタクなリーマンやってた程度じゃ、とてもじゃないけど生き抜いていけないやつだったな……。
それもそのはず、今まさに自分は栄養失調で餓死寸前になっているからである。
かろうじて自由になる眼球を動かしたところで、視界に映るのはガリガリにやせ細った己の手足と、そして真っ青な空だけだ。
よく『死にかけたことがきっかけで前世の記憶を思い出す』ってのはあるけど、ふつう怪我したとか高熱出したとか、そういう感じに意識を失って、でも復活するとともに思い出すっていうやつだろ?
なにが悲しくて、お腹空きすぎて死にかけて意識朦朧としている最中に思い出しちゃうんだよ。
まったくもって、この世は理不尽だ。
テンプレものなら、貴族だったり王族だったり、たとえ意識を失ったところで、医者とか万全に控えてて、安心安全な感じに復活できるもんじゃねーのかよ!?
俺の場合は、気がついたら道ばたに転がる餓死寸前の孤児だぞ?!
どう考えても、死亡フラグが立ちまくりだ。
記憶を取りもどすと同時に、ゆっくりと意識を失い、そして死に至るとか最悪すぎる。
まぁ、アレだ。
なんていうか、終わったな。
せっかくの異世界転生っぽかったのに、いきなりの強制終了かかったな。
俺は生まれてわずか5~6年しか生きられないあげく、死んでいくのもそこら辺の地面の上っていう、実に残念な終焉を迎えようとしていた。
どうせ異世界に来たのなら、せめて魔法のひとつでも使ってみたかったなぁ……。
なんてあきらめていたら、視界にふいに黒いモノが映り込んできた。
なんなんだろう、そう思って視線をなげかければ、それは黒いフードをかぶった男だった。
あぁ、なるほど。
「しにがみが、おむかえにきたのか……」
そりゃ今から死ぬんだ、ファンタジーゲーム風味の異世界なら死神のひとりやふたり、いたっておかしくないだろう。
そう思ってつぶやいた声は、自分の声とは思えないほどに、かぼそくて高い声に聞こえた。
こんな声変わりの気配もないような年で、強制的にこの世に別れを告げさせられるとか、まったくもってついてなかったな。
「おや、めずらしい!ワタシの姿が見えるのですか?」
だけどそんな俺のつぶやきは、どうやら相手に拾われたらしい。
なんとその死神が、かぶっていたフードをはずし、俺に話しかけてきた。
よく見れば、そいつはなかなかに整った顔立ちをしている。
キレイな紫の瞳に彩られた目は切れ長で、鼻筋はすうっと通っているし、髪の毛だって濡れたように艶やかな黒髪だ。
その髪が肩につきそうなくらいに伸ばされて、ゆるくパーマがかかっている。
よくイケメンは目と眉毛があまり離れていないのが条件だなんて聞くけれど、目の前の男は、まさにそれに当てはまる。
切れ長の目と近いところから、スッとまっすぐに上がっていた。
俺基準で言えば、前世なら高視聴率ドラマで毎回主役を張れちゃうくらいの、トップスター級芸能人並みのイケメンぶりだと思う。
「みえてるけど、どうせならきれいなおねえさんがよかったな……」
どうせお迎えが来るのなら、イケメンよりかは美女がいい。
そう返した俺に、その推定・死神は笑う。
「そうですか、声も聞こえるのですね?これはこれは、想定外の拾いものでしたね!」
あぁ、くそ、めっちゃイケメンじゃねーか。
そのほほえみを見たら、多くの女性が虜になるだろうなと素直に思える。
そのイケメン死神は目の前にしゃがみこむと、力なくあおむけに横たわる俺に手を伸ばしてきた。
「…………?」
なんだろうか、とどめでも刺そうというのか。
それならそれで、いっそ一息に苦しまないように命を刈りとってもらいたい。
抵抗する気も起きなくて、俺はそっと目を閉じた。
だけど、次の瞬間。
「?!」
なにかが口のなかに入ってくるのにおどろいて、あわてて目を開ければ、それは指だった。
「はーい、それじゃ、ちゃんと飲むんですよ?」
そう言って目を細める男に、訳がわからず目を見開けば、とたんに口のなかに突っ込まれた指先から、なにかがあふれてくる。
とろけるように、甘い。
でも不思議なことに舌にあたる物理的な感触があるわけでもないから、液体ではないはずなのに、不思議と舌の上では甘さを感じる。
そもそも指先から水を出せるとしても、それはそれでビックリだけどな。
そのなぞに甘いなにかが、口のなかからあふれそうになって、俺はあわてて音を立てて飲み込んだ。
のどを通って食道に流れていく感覚は、まるで寒い冬の日に、あたたかいココアでも飲んでいるときに似ていた。
そこから全身にあたたかさが広がっていくような感じがして、だるくて手足を動かすのすら億劫だった身体に、力がみなぎってくるような気がする。
まったくもって不可思議な感覚に、俺は目をしばたかせた。
「あぁ、ほら、ちゃんと飲まないとあふれてしまいますよ?」
「んっ」
あいかわらず口のなかは甘さを感じていて、たしかにそれが飲み込みきれずに口はしからもれ出ている感じがあった。
次々と注ぎ込まれるそれに困惑しつつも、必死にのどを鳴らして飲み込めば、やはりそのたびに身体のなかに取り込まれたその甘いなにかが、力に変わっていく。
「そうそう、お上手ですよ。ちゃんと舌を使って舐めてくださいね?」
笑いをふくませた声が聞こえたけれど、今の俺にとっては、めまいがしそうなほどの強烈な空腹感が満たせるのならば、どうでも良かった。
必死になってしゃぶれば、その指先から注がれるなにかは、とろりと濃密に舌にからんでくる。
たとえるならば、極上の甘露。
空腹に耐えかねたガキにとっては、たまらなくおいしいごちそうに感じられた。
「もう大丈夫そうですかね?」
やがて口のなかから、小さく音を立てて指が引き抜かれた。
つぅっと白く糸を引いて、しかしそれはすぐに切れる。
そのころには、あれだけ感じてきた飢餓感はなくなり、力の入らなかった手足は、見た目こそあまり大きく変わらなかったものの、肌のハリや艶といったものを取りもどし、しっかりと動かすことができるようになっていた。
「あぁ、でもこんなに汚しちゃいましたね。そんなにおいしかったですか、ワタシの……は?」
ぼんやりとして聞き逃してしまったけれど、やっぱり目の前のイケメン死神は、俺になにかを与えてくれていたらしい。
「あり、がとう…ございます……?」
「どういたしまして~。ふふ、お礼を言えるなんて、いい子ですね」
口もとを指先で丹念に拭われ、その指先をぺろりとなめている死神を見上げる。
うーん、今のはなんだったんだろうか?
落ちついてみると、不思議でしょうがない。
指先が甘いって……まさかの自らの顔をわけあたえる系菓子パン型ヒーローでもあるまいし。
「ふふふ、そんなにいぶかしまなくても、今のはワタシの『気』を分け与えただけですよ」
そんな疑問が顔に出ていたのだろうか、死神が首をかしげると、そんなことを言う。
「すごい、『き』ってあまいんだ……」
これが異世界の常識なんだろうか、だとしたら俺の『気』とやらも甘かったりするんだろうか。
たばこを吸う人の指先が苦くなるように、甘味をとりすぎた人の指先も甘くなる、みたいな感じなんだろうか?
だとしたら、まるで国民総糖尿病末期患者みたいじゃねーの、それ。
ヤバくないか?
「おや、甘かったですか?ということは、ますますキミは『適合者』ということになりますね」
「てきごうしゃ?」
なんだよ、それ。
「落ちついたようなら、さて、いっしょに参りましょうか?」
俺の疑問にはこたえるつもりがないのか、にこにこと笑う黒いフードの男は、さらに混乱をもたらす発言をしてくる。
「いっしょにって、どこに?」
さっと見まわしてみても、今の俺の姿はとてもじゃないけど、どこかへ出かけられるような状態じゃなかった。
これでも一応、町の孤児院に世話になっている身とはいえ、先ほどまで餓死しそうになっていたことからもわかるように、うちの孤児院の経営状況は相当ヤバい。
だから当然のように、お風呂だって長らく入っていない。
着ている服だって、だれかのお下がりのボロ布をまとっただけにしか見えない貫頭衣だし、髪の毛もきちんと手入れされていないから、ザンバラもいいところだ。
つまり、臭くて汚い。
そう思って難色を示していたら、理由に思い当たったのだろう、ポンと手を打ち合わせるとしたり顔でうなずきはじめた。
「あぁ、見た目を気にされているのですね。では途中で、水浴びをしてからにしましょう!」
そんな提案がなされた。
それは助かるけれど、タオルとか着替えなんて持ってないぞ?
せっかく水浴びをしたところで、またこの汚いボロをまとわなきゃいけないなら、意味がない。
「大丈夫ですよ~、色々と気にしないでも、なんとでもなりますし。まずは、とっとと水場へ参りましょう!」
こちらへ向けて差し出された手のひらの上に、そっと己のそれを重ねる。
あぁ、あらためて見ても、ガリガリにやせた貧相なガキの手だ。
俺のものじゃないような気がしてしまうけれど、この身体に残る記憶が、まちがいなくそれが自分のものだと教えてくれた。
「素直な子は好きですよ、サービスしてあげたくなるくらいに」
「うわっ……!!」
足元から光が立ちのぼり、そのまぶしさに思わず片腕でかばう。
フワッ
謎の浮遊感に襲われたと思ったら、次の瞬間には、ふたたびグッと重力がかかってきた。
おそるおそる腕をどかし、目を開けると……そこは、さっきまでの見なれた薄汚い町並みとは一変した、石造りの泉の前だった。
あまりのことに、あたまがうまく働いてくれない。
え、だって今、スラム街にある娼館の裏手にいたところだろ?
それがどうして、いかにも森の奥深くにありそうな雰囲気を、ぷんぷんただよわせてくるような場所になるんだ??
意味がわからなくて、俺は口をあんぐりと開け、固まるしかなかった。
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