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第69話:忘れていたわけではない、と思う
ふいにイケメン死神から投げられた、今の自分にとっての真の名は『カイト』なのかそれとも『オラクル』なのか、どちらだと思っているのか?という質問。
事後の気だるさの残るからだを持て余しているときにされたそれは、すとんと心の隙間にトゲとなって突き刺さった。
そのとき俺がとっさに感じたのは、オラクルという名を捨てることにたいする一抹のさびしさだった。
───そう、つまりそれは自分にとっても真の名を問われたら、あたりまえのようにカイトだと思ったってことだろ?
ならば迷う必要なんてないはずなのに、ふと、どうしてこんな質問をしてきたんだろうかという疑問が浮かびあがってくる。
相手の質問の真意を探りたくてじっと目を見つめてみても、ガラス玉のような瞳からはなんの感情も読み解けない。
そもそもイケメン死神にとって、愛しい伴侶の名前はカイトのはずだ。
さっきも『オラクルはいつわりの名前だから』と、そう明言していたばかりなんだ。
失っただけで世界を滅ぼしてしまうくらいに愛していた存在なら、その名前もふくめてなにひとつ失いたくないものにちがいない。
だからコイツにとっては、俺の真の名はカイトであって欲しいんだと思う。
なのに俺がどちらをえらぶのか、そのことについてコイツ自身は、どちらにしろとも言ってはこない。
それでもわざわざ問いかけてきたってことは、そこには別のなにかがあるってことだろ?
ならばそれを汲んで、どちらにすべきなのか、ちゃんとかんがえなくては。
からだはまだ重くて身じろぎすらも億劫で、特に下半身は力が入らなかったけど、そうも言っていられない。
それくらい、大事な選択を迫られていた。
ともすればかんがえることを放棄しそうな脳を叱咤し、この先を『カイト』として生きるのか、それとも『オラクル』として生きるのかという選択肢をあらためて検証する。
呼ばれなれているだけに、オラクルをえらんだ場合でも支障はきっとない。
あるとしたら、俺じゃなくてイケメン死神のほうだ。
だからもしオラクルを選択するってことになったら、イコールして旦那様の気持ちを犠牲にするってことになる。
なんだよ、それ。
もうその時点でナシだろ、常識的にかんがえて。
一方のカイトはというと、たしかにその名前だったときの自分の記憶もよみがえってきたから、自分の名前と言われればそれなりに納得できそうな気もする。
前世でも香川海斗という名前だった記憶がよみがえった今、呼ばれなれていなくて反応できないから困るってことはないと思う。
今はまだ降って湧いたような唐突な名前の変更に感じているけれど、そのうちそれもなれてくれば違和感をおぼえることもなくなるはずだ。
そうすると『カイトこそ真の名前である』とすることに俺自身の異存はないはずだった。
今の俺をオラクルと呼びなれている人たちにしても、今後黒龍神様の伴侶となり神界で暮らすようになれば、そう会うこともないわけだし。
だから他人からの呼び名を気にすることはないし、なんなら真の名は伴侶であるイケメン死神だけが知っていればいいわけだから、俺を知る親しい人のあいだでだけ通り名的なものとしてオラクルを残すって選択肢もある。
じゃあいったいなにが、そんなに引っかかっていたんだろうか?
いくら愛着があったところで、じゃあ『捨てられないほどに大切なものか?』って問われたら、少し悩んで、『そうでもない』とこたえるだろう。
だって仰々しいし、なんなら役職名みたいなもんだもんな。
そうなんだよ、別のなんかが引っかかっている気がして、簡単に捨てられないだけなんだって。
決してオラクルという名前自体に、執着しているわけじゃない。
そう思ったとき、ふいに耳の奥によみがえってきたいろんな人たちの声に、寂寥感がこみ上げてきた。
あぁそっか、まったく会えなくなるわけじゃないけど、前ほどあたりまえのように毎日顔を会わせることはなくなるもんな。
ましてこのまま、あいさつもせずに神界に行くのは、恩知らずな気がしてなんかイヤだ。
と、そこでようやくモヤモヤしていたものの正体がわかった。
───そうだよ、俺にとってお世話になった人たちに、ひとこともお礼を口にできないままいなくなりたくなかっただけだ!
オラクルであることをやめるための時間が欲しかっただけで、俺にとっての問題はどちらの名前をえらぶのかじゃなかった。
なにしろ俺の心は真の名をカイトとすることに、最初から傾いていたしな。
つまりイケメン死神の気持ちを優先させていることになるけれど、それだって立派な俺の気持ちのひとつだ。
だってどうせなら愛する旦那様にしあわせでいて欲しいし、ついでに愛される自分でありたいと願うのは自然なことだろ?
自分にとってどちらでも問題ないことならば、愛するもののための選択をしたいって思う。
「おや、キミはそれでいいんですか?」
「うん、俺は『カイト』として生きていこうと思う。でも、そのためにもオラクルとしての心残りは、しっかりと清算していきたいんだ」
それがいろいろと悩んだ末に、俺の出したこたえだった。
「結局俺のせいで正式に結ばれるのが延びちゃって、本当に申し訳ないと思ってる!ここに至るまでの、ゲームの世界に封じられていた件だとかの事情を知ったってのに、これ以上お待たせするのは忍びないんだけどさ……」
「いえいえ、いいんですよ。この世界でだって、もう15年待ってますからね。今さら少しそれが延びたくらい、どうってことないですよ?なんたって、神の時間は無限にありますからねー」
ふふ、と笑うイケメン死神はやさしい顔をしていた。
「……まぁでも、キミがワタシのものだっていう主張は、遠慮なくしていくつもりですけどね。逃がしてあげるつもりはさらさらないですから、覚悟しといてくださいね?」
「うっ、お手柔らかにお願いします……」
ニヤリと笑うイケメン死神の、その笑顔が黒い。
え、てことはなんだ、さっきみたいな神気酔いをこれからもしまくる可能性が、なきにしもあらずってことか?!
それは……その、ちょっと困る。
なるべく早く人間界でのあれこれを片付けなくちゃ、なんて心に決めた。
だってさ、オラクルであることをやめ、カイトという名にもどってイケメン死神の伴侶になるって、いわば教会を『寿退社』するみたいなもんじゃん?
それなら、退職前にやるべきことはいくつもあるはずだ。
「『寿退社』ですか、キミも面白いことを考えますね」
「だって、そうだろ?いきなり辞めたら各方面に迷惑かけちゃうし、社会人としては、退職前のあいさつまわりとか残務整理とか、やることはいっぱいあるじゃん!」
別に神託神官のお仕事については前にも考えたことがあるけど、ほかの人でもできなくはないと思う。
そもそも魔王が倒されて平和になったこの世界に、俺のようなオーバースペックな神託神官はいらないだろ。
いろんな国の王族とかには困ると引き留められそうな気がしなくもないけど、ただ引退して一般人になるというのとはわけがちがうし、そこは納得してもらうしかない。
教会所属の神官をやめて神様の伴侶になるって、会社員でいうならば、ヘッドハンティングされて役員待遇で転職するようなもんだしな。
そうなるときちんと引き継ぎをして、この仕事をやめることを説明すれば、無理に引き留められることはないと思う。
そりゃ最初こそ混乱が生じる可能性はあるけれど、最終的には落ちつくと思う。
基本的に教会に引きこもっていた自分には、この世界に特別な存在と呼べるほどの存在はとても少ない。
それこそ、今の俺自身の心残りはなんだろうかと考えたとき、真っ先に浮かぶのは魔王討伐の旅に出た彼らの姿だけだった。
無事に魔王討伐を果たしたルイス王子や聖女ジュリアのいる勇者一行の帰国を、今度こそ直接出迎えたいと思う。
だってふたりの旅立ち自体を見送ることはできなかったし、せめて危険な旅からもどってきたんだから、『おかえりなさい』くらいは直接言いたかった。
きっとふたりは口に出しはしないだろうけど、『ちゃんと魔王を倒してきたぞ、偉い?』っていういかにも後輩らしい顔をするだろうから、いっぱい褒めてやらないとな。
あとこれは単なるミーハー心から来る希望だけど、せっかくならばゲームのなかでしか知らない勇者一行にも生で会ってみたい気持ちもあった。
ルイス王子にしても聖女様にしても、なんだかやたらと俺とイケメン死神がいっしょにいることを推してくる感じだったし、祝福されることはあっても、引き留められることはないだろうな、とは思う。
というか、そういう意味ではちゃんと結ばれたと報告したい相手でもある。
俺たちの仲を推すと言えば、妖精たちもそうだけど、彼らはきっと今後も気軽に会えるから大丈夫だろう。
若干、地の妖精ノームのダイチは、花嫁の父みたいに男泣きに泣く気がしなくもないけどさ……。
なんてことを考えていたとき、ふいにギベオン帝国のラルビの町から俺が魔族に拐われたとき、いっしょにいたオルトマーレ班長の顔が浮かんだ。
それに、そこで助けたはずのナランハさんやジョーヌさん、インカローズ公国で留守番をする神官見習いコンビにロッソさんも。
───あ、まずい、彼らが置き去りになってしまっている。
特にオルトマーレ班長のほうは、敵国に近い存在の国内に、しかも動けるのはたったひとりきりという非常に厳しい状況で、これでもかという混乱の生じた状態のまま放置になってしまっていたんだった。
「ふふふ、ようやく気づきましたね。ルイスくんにしてもジュリアちゃんにしても、かわいい子たちですから、真っ先に思い浮かべるのは仕方のないことですけど、シモベの犬のことも忘れちゃいけませんよ?」
俺が思い出したタイミングに合わせ、イケメン死神がからかいの声をかけてくる。
「ちょっと待て、『シモベの犬』ってなんだよ、それ?!語弊があるから!」
どう考えてもオルトマーレ班長のことを指しているとしか思えない発言に、あわてて訂正を求めた。
いくらなんでも、それはない。
「えー、たまに飼い主の手に噛みつくような、ダメわんこだったじゃないですか。それにほら、キミも『シベハス』でしたっけ、それに似ているって思ってたんでしょ?」
「そりゃそうだけどさ、さすがに大の男をつかまえてそれはないだろ!」
いや、たしかに色味もふくめて、シベリアンハスキーには似ているとは思ってたけどさ。
「まぁ、金輪際噛みつくことがないよう、きちんと教育はしておきましたけどね?それはさておき、その犬はどうするんです?」
「『教育』って……いったいなにをしたんだよ!?」
思わず不穏な響きをもつ単語に反応したら、あからさまに目を逸らされた。
「まぁまぁ、そんなことはすぎたことですし、どうでもいいじゃないですか」
話を変えようとする、その流れが不自然すぎる。
おい、いったいなにをしたんだ、お前は?!
どうしよう、不安しかないぞ。
「なんにしても、キミへの忠誠心だけはホンモノでしたからねぇ、目の前でキミが魔族に拐われたとなれば、命を投げ出してでもキミを救いに行こうとするでしょうねー」
人差し指を立てたイケメン死神が、そんなことを言う。
「そっか、そりゃそうだよな……」
少なくとも、空を飛んで運ばれた以上、どこに向かっていたかはある程度はわかるわけだし。
地図を見れば、その先に小さな島があることにも、もっと言えば封印の祠のある洞窟の存在にも気づくよな。
「さて、彼単独で飛び出して行ったとして、あの洞窟そばにいるモンスターはそれなりに強いですからねー、大したレベルではない彼が、果たして無事でいられるかどうか」
「えっ?!それ、結構まずくないか!?」
これは、できるだけ穏便かつ速やかに、こちらが無事であることを伝えたいところだ。
そうでなければ俺のことを心配しているであろうオルトマーレ班長に申し訳ないし、危険に身をさらす前に、こちらの無事を伝えたい。
なにより、怪我を治したあとのナランハさんたちの身柄も心配だ。
「ごめん、神様を足代わりにするようで申し訳ないんだけど、俺のことを今すぐラルビの町まで、送ってもらえないかな!?」
とりあえず俺自身が姿を見せたほうが、無事だと説得できる気がする。
そう思ってお願いすれば、イケメン死神はにっこりと笑みを浮かべた。
「かまいませんよ、しかしまずはキミの姿をととのえないと、現地の人たちにとっては、かなり目の毒すぎることになりますかねー」
最初は言われた言葉の意味がわからなくて、ポカンとしそうになって、直後に理解するとともに一気にほっぺたが熱くなってくる。
「えっ?あっ……いや、ウン、ソウデスネ……」
言われて己の姿を省みれば、たしかに人前に出られる状態ではなかった。
今羽織っているのは薄い沐浴着のみで、それにしたって大きく前がはだけている。
風邪を引いてはいけないからと、泉から上がってすぐに乾かされてはいたけれど、その下からのぞく肌には、無数のキスマークが散らされていた。
……そうだった、あからさまに事後の様相を呈していたんだった。
ついでに言うと、なんとなく自分からイケメン死神と同じ匂いがするくらい、なかに出された神気が、からだになじんでいるような気さえする。
さっきまでの行為を思い出すほどにはずかしさは増してきて、どんどんいたたまれない気持ちになってきた。
わ、忘れてたわけじゃないからな?!
ただその、とうとうシちゃったんだなっていうか、どことなく自分でもまだ現実感が湧いてないっていうか。
とにかくいろいろと急展開すぎて、ついていけてないところがあったのは否めない。
だれに聞かれたわけでもないのに、ついそんな言い訳を心のなかでする。
「キミのそういう抜けてるところも、かわいいですよねー」
そんな俺のおでこに、イケメン死神はやさしいキスを落としてきた。
あぁ、クソ、やっぱり俺の旦那様がイケメンすぎる。
まったく、何度惚れなおせばいいんだよ?!
なんて、ノロケとも苦情ともつかないことを思うのだった。
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