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プロローグ
薄暗い空間で鈍い音が繰り返し響く。
その音を耳にすれば、そこで何者かが争っていることが分かる。そして、それが剣戟とは遠く離れた、初心者が振る武器の雑音だと。
この場所は、魔物が跋扈する迷宮―――つまり、ダンジョンである。銀髪の少年が相手取っているのは、緑色の肌をした小鬼。その名はゴブリン。少年が手にする武器は短剣。ほぼ普段着の姿には、やや不釣り合いに見える輝きを放っている。対するゴブリンの武器は、単なる木の棒だ。
ゴブリンは最底辺の魔物である。知能も低く、体力も腕力も人間族の子供を大差がない。多少ずる賢い行動をすることもあるが、余程の失態を演じない限り、成人であれば痛手を受けるはずがない魔物だ。
少年の短剣が空を切る。
その直後、ゴブリンが持つ棒が少年の肩口を打ち据えた。
ガシッという鈍い音が響き、顔を顰めた少年が一歩後退する。
それを追い掛けるようにして、ゴブリンが棒を振りかぶって少年に襲い掛かった。
その一撃を、少年はかろうじて短剣で受け止め、半歩踏み込んで短剣を真横に薙ぐ。その切先がゴブリンの腕をかすめ、深緑色の液体が宙を舞った。
真に、一進一退の激闘。
戦いが始まって、既に20分が経過している。
歴史に残る激闘である。
ここが「始まりの迷宮」、Fランクダンジョンの1層、しかも入口付近でなければの話だ。
少年が激闘を繰り広げていたゴブリンは、通り掛かりの男が薄ら笑いを浮かべながら討ち果たした。
――――――――
「おかえりなさい」
疲れ果て、痣だらけになった少年を笑顔で迎えたのは、茶色の髪を揺らす目鼻立ちの整った女性だった。笑顔で出迎えているからといって、親しい関係でもなければ、家族でもない。彼女は迷宮管理局の職員である。たまたま、少年の担当ということだ。
「今日の成果を提出していただけますか?」
それが証拠に、笑顔で決まった言葉を紡ぐ。その言葉を耳にし、少年は顔を上げることもできずに左右に首を振った。その姿を確認した彼女は、笑顔を崩すことなく、再度確認する。
「ゴブリンさえ1匹も、ですか?」
少年はいたたまれなくなり、足早にその場を去った。
迷宮管理局の外に出ると、周囲は既に薄暗く、大通りに設置された魔石灯がほんのりと輝き始めていた。その中を、少年は薄暗い路地に向かって走った。
ここは、迷宮都市国家シルバディア。
「起源の迷宮」と呼ばれる、世界最大最深のダンジョンを中心に繁栄する城塞都市国家である。反対側の石壁が見えないほどの面積を城壁で囲み、大小5つのダンジョンを管理・運営。そして、そこから得られる莫大な恩恵によって大陸の強国として君臨している。
ダンジョンとは、忽然と出現した「穴」である。
「起源の迷宮」が出現して350年余り。ダンジョンが一体何なのか、未だに謎のままである。分かっていることは、ダンジョン内部で希少価値が高い鉱物が採掘されること。そして、魔物と呼ばれる凶悪な生物が発生することだけだ。
ミスリルやオリハルコンといった伝説上の金属も重要ではるが、討伐した魔物から採取される魔力を帯びた石、魔石が生活必需品として高値で取引される。その利権を仕切っているのが迷宮管理局であり、その運営者であるシルバディアなのだ。
ダンジョンに挑戦するには迷宮管理局への登録が必須であり、魔石に関しては、迷宮管理局以外に売却することは禁じられている。万一違反した場合、登録の抹消および国外追放処分となる。
ちなみに余談であるが、迷宮管理局の受付は、自分が担当している迷宮探索者――ダンジョン・シーカーが持ち帰った採取物を売却した金額の一部が支給される。つまり、稼ぐシーカーには自然と優しくなり、能力が低いシーカーには冷淡になるのである。
銀髪の少年は、魔石灯が照らす大通りから外れた路地裏を駆け抜ける。そして城壁に辿り着と、見上げても先が見えない石の壁に寄り掛かって腰を下した。
少年の名はアルカナ。
ただのアルカナ。
この都市で生まれ、国が運営する孤児院で育った。
そして、つい1週間前に15歳となり、ようやく迷宮管理局に迷宮探索者として登録を果たすことができた。夢だったダンジョン・シーカーに、ようやくなることができた。
だが、なれた"だけ"だった。
たかがゴブリンに勝つことさえできず、始まりの迷宮でさえも2層に進むこともできない。
ダンジョンからい最も遠い場所で、冷え切った土の上で膝を抱えて縮こまる。
必ず届くと思っていた場所は果てしなく遠く、どうやっても自分では辿り着けそうにない。耳にした英雄譚は本当に夢物語で、いくら手を伸ばしても欠片さえも掴めない。
いつも思っていたことさえも、アルカナの脳裏には浮かばなかった。
―――願わくば、ダンジョンの最奥が死に場所であってほしい―――
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