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ノーランク
シルバディアの朝は早い。まだ魔石灯が消え切らないうちから、大通りが慌ただしくなる。遠征をしている一部の者たちを除き、ダンジョンに潜るシーカーたちは早朝から活動し、夕方には帰還する。ダンジョンを中心として繁栄するこの街は、当然ながらシーカーに合わせるようにして活動しているのだ。
その街の喧騒が微かに届く城壁。そこで浅い眠りについていたアルカナに、無遠慮な声が掛けられた。
「おい、行かなくていいのか?」
ぶっきらぼうな言い回しではあるが、その声音には慈しみが含まれている。半分残っていたアルカナの意識が覚醒し、声の主にその顔を向ける。
「・・・行くよ。行く。うん、もちろん行くよ」
「そうか、ほら」
見上げた先にあったのは、アルカナが見知っている男性の顔。軽装ではあるが防具を身に付け、腰には剣を佩いている。その姿は、シルバディアの城壁を警備する下級兵のものだ。
中途半端な笑みを浮かべ、その男性は手にしていたパンをアルカナに差し出した。
「ごめん・・・ありがとう」
アルカナはパンを受け取ると、申し訳無さそうに俯いた。
アルカナは孤児だ。生まれて間もなく、孤児院の前に捨てられた。親に会ったことはないし、当然のように顔も知らない。名前すら付けられていなかったため、孤児院の院長が名付け親になった。
ダンジョンで潤っているシルバディアは、何らかの理由で孤児となった子供たちを無償で育てている。それは、将来国に忠誠を誓う民を増やすためでもあるが、治安維持の効果もあった。それゆえに、黙認されている一部の暗黒街を除き、シルバディアの治安は良好に維持されている。
ただし、孤児院が養うのは成人するまでとされており、15歳の誕生日を迎えるとともに退院しなければならない。大多数は大恩ある国に最下層の役人として雇われ、この男性のように城壁警備兵などになる。しかし、アルカナは違った。
「パンくらいならどうにかしてやるが、でもまあ、ほどほどにな。無理だと思ったらオレに言え。城壁の警備兵なら、なれると思うから。給料は安いけどな」
アルカナは曖昧な笑みを浮かべた。
ダンジョン・シーカーになることは、ずっとアルカナの目標だった。しかし、その世界は果てしなく厳しい。どこまでも自己責任だ。才能と努力、そして運。全ての要素が絡まり、始めて一歩を踏み出せる職業だ。
シルバディアの迷宮管理組合に登録されているダンジョン・シーカーの人数は、10万人以上と言われいる。その中には、既に引退している者、ダンジョンで行方不明になっている者も含まれているため、正確な人数は分からない。ただし、明確に判明していることもある。
シルバディアが有するダンジョンは5つ。その難易度によってランクが設定され、アタックが許可されているランクによってダンジョン・シーカーのランクも決定されている。
未だ37層までしか攻略されていない「起源の迷宮」。その10層の階層ボスを単独で撃破した者はランク6。Bランクダンジョンのボスを単独で撃破した者をランク5、Cランクダンジョンのボスを単独で撃破した者をランク4、Dランクのダンジョンボスの単独撃破でランク3、「始まりの迷宮」ランクのボスでランク3と続く。魔物を単独撃破するとランク1.そして、魔物を1匹も討伐できない者をノーランクと呼ぶ。
その分布は、ランク6が5人、ランク5=0.1%未満、ランク4=1%、ランク3=10%、ランク2=80%。ダンジョン・シーカーはランク2で一人前。そして、Dランクダンジョン内での活動でも十分立身可能なため、大半のダンジョン・シーカーはそこで終える。ほんの一握りの選ばれた者たちだけが、その先に進むことを許されるのだ。
「とりあえず、生きて帰って来いよ」
男性は俯くアルカナにもう一声掛けると、城壁にある警備兵の詰所へと向かって歩き始める。僅かに顔を上げ、アルカナはその背を見送った。
才能がなかったのか。
運が悪かったのか。
自分には向いていなかったのか。
アルカナは固いパンを口に押し込みながら、薄汚れた手を見詰める。
「始まりの迷宮」に潜り始めて1週間。未だにゴブリン1匹すら倒せていない。
「始まりの迷宮」にアタックする者はランク1のシーカー。
アルカナが激闘を繰り広げていたゴブリンを一蹴したのは、昨日始めてダンジョンに潜った初心者のシーカーだった。大半の者たちにとって、「始まりの迷宮」は通過点である。単純で5層までしかなく、出現する魔物もゴブリンがコボルト程度。3ヶ月もあれば、初心者でもソロで十分に攻略可能なレベルだ。
ダンジョンで1匹も魔物を討伐していない者は、ランク設定ができない。1層の直線部分で必ずゴブリンと遭遇するため、何らかの理由で登録だけしている者以外にノーランクなど存在しないはずである。
しかし、アタックを開始して1週間経過した今も、アルカナはノーランクのままだ。
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