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ここにいる理由
ゴブリンが振り下ろすこん棒を、頭を左に捻ることによって回避する。しかし、それでも肩口にその一撃を受ける。肩口を押さえて地面を転がって逃げるアルカナ。その姿を目にし、優位を確信するゴブリンはゲラゲラと下品な笑い声を上げた。
実際、これまでの戦いを見る限り、間違いなくゴブリンが優勢である。メンタルは戦闘内容を大きく左右する。武器を振る速度や力、さらに反応速度や技のキレにも多大な影響を及ぼす。しかも、ここはダンジョンだ。脆弱な心は、死への境界線を容易に超える。
ゴブリンから少し距離をとった位置で、アルカナは立ち上がって短剣を構える。その震える視線が、手にする短剣に向かった。
初めてダンジョンにアタックした日。明確な生命のやりとりに、アルカナの足はすくんだ。頭が真っ白になり、手にした武器を闇雲に振り回した。生き残ることを優先した剣は、ゴブリンすらも倒すことができず、互いの距離を詰めることさえかなわなかった。
―――――自分を見失っていた。
強張っていた肩の力が抜け、短剣を握る手に自然と力が伝わる。
ズキズキと疼いていた肩の痛みが、スッと引いていく。
増していく集中力。
震えていた心が、熱を帯びて奮い立つ。
アルカナは顔を上げ、その足を力強く踏み出した。
雰囲気が変化したアルカナに、対峙していたゴブリンの笑みが消える。
短剣を受け取った日、アルカナは願った。
あの日、アルカナは誓いを立てた。
駆け出したゴブリンのこん棒が、真正面からアルカナを襲う。
その一撃を半身になってどうにか躱し、手にしていた短剣でゴブリンの右腕を切り裂く。初めてまともに入った斬撃。その一撃が、ゴブリンの腕をこん棒ごと斬り飛ばした。
王女が・・・
あの強く、心優しき王女が、自分の意思で生きられるように。
悪しき呪いに蝕まれないように。
あの気高くも美しい笑顔を守るために・・・
いつかきっと、果て無きダンジョンの最奥に到達する。
―――何のためにダンジョン・シーカーになったのか?
「「起源の迷宮」を踏破して・・・・この手で、暗黒の呪いを終わらせるためだあああああああっ!!」
アルカナはさらに一歩踏み込み、短剣を真横に薙ぐ。
次の瞬間、ゴブリンの首筋に真っ赤な線が走り、その醜悪な頭部が通路に転がった。一拍置いて光りの粒子になって弾けるゴブリン。ゴブリンが倒れた場所に、深紅の石だけが残された。
初めて獲得した魔石を見定めたまま、アルカナはその場にへたり込む。ゼイゼイと通路に響く呼吸音。今さらながらに届く心臓の鼓動がうるさくて、思わずアルカナは自らの胸を押さえる。
「はは・・・ははは」
短剣を持つ手が小刻みに震えていることに気付き、アルカナは思わず苦笑する。力を込め過ぎた手が、血の気を失って真っ白になっていた。ようやく踏み出した最初の一歩。それを実感し、アルカナは魔石を拾ってポケットに押し込んだ。
「今さら気にしても遅いと思うけど?」
シーカーの列が途絶えたブースから、受付のサラが隣のブースに身を乗り出す。その席でチラチラをロビーの様子を窺っているのは、やはり受付のルーナである。
シーカーは高収入が見込め、名声を獲得することができる職業だ。しかし、それと引き換えに、背後には常に死神が張り付いている。当然、ルーナはそのことを理解しているし、自分の担当しているシーカーが帰って来なかったこともある。確かに、毎日のように顔を合わせていたシーカーが姿を見せないと悲しいとは思うが、無理矢理に仕事として割り切るようにしている。そもそも、シーカーに対し思い入れなどない。毎日のように食事に誘われたりしているため、煩わしいとすら感じている。
そう――割り切っていたはずなのだ。
しかし、ルーナは今朝、思わず余計なことを口走ってしまった。特に気に掛けていた訳ではない。ただ何となく、何となく気紛れに声を掛けてしまった。ゴブリンすらも倒せないシーカーに、つい。
「ああ、何であんなことを・・・」
ブースに突っ伏し、思わず後悔の言葉が口から零れる。
正直なところ、勝手にダンジョンに挑み、そこで魔物に負けようがトラップに掛かろうが自己責任だ。仕方がない、と思う。しかし、サラの言っていたように、あれは煽ったのだ。「頑張れ!!」と。これで帰って来なかったとなると、さすがに寝覚めが悪い。
「まあ、祈るしかないんじゃない?明日はどうであれ、今日は無事に帰って来るように、ね」
「はあ・・・」
ため息を吐きながら、ルーナは曖昧に頷く。
昼過ぎの迷宮管理局に、シーカーの姿は少ない。大半のシーカーは、午前中には受付を済ませてダンジョンに向かう。帰還時間はまちまちであるため、午後からシーカーが列を成すことはない。だからこそ、ルーナの位置からでも、ロビーの奥までよく見えてしまうのだ。
そのとき、早朝見送った銀髪が、ルーナの視界に入った。左右にフラフラと揺れながら歩いているが、間違いなくノーランクの少年、アルカナの姿だった。
「あれ、あの子じゃない?」
サラの声が聞こえたとき、ルーナは既に立ち上がっていた。
その姿に安堵して、フウっとゆっくり息を吐き出す。
アルカナが目の前まで辿り着いたとき、ルーナは満面の笑みを浮かべた。それは作り物などではく、本物の笑みだった。
「おかえりなさいませ」
アルカナはポケットから小さな魔石を3個取り出し、それをブースのカウンターに置く。そして、少し横を向いて小声で告げた。
「あ、あの・・・ありがとうございました。これで、やっと前に進めます」
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