夢幻の道標〜神皇帝新記 第一章の下〜

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『1』 死んだ者には、もう二度と会えない。 それを認識できはじめるのは、一体いつ頃からなのだろう。 それは当たり前のことだと諦めずにいられるのは、一体いつ頃までなのだろう。 死は、誰にでも等しく訪れるというのは間違いのない真実で、そこに疑義を差し挟む余地は無い。  平等な死というものの存在もまた皆無で、そこにも疑義はまったく無い。例えば、天寿を全うした大往生と、突然命を奪われた死とでは、死の持つ意味に天地ほどの隔たりがあり、また、周囲に与える影響や、納得という観点から見ても、大きく乖離しているからだ。 しかしやはり、最も峻拒したい状況は、死か否か、それが判然としない状況なのかもしれない。 デルソフィア・デフィーキルとハーネス・セメドを乗せた護送船が、サーフノウ宮に辿り着くことなく、海中へ沈んだことを示唆する一報が皇宮及び皇国内に齎されてから、一月あまりが経過していた。当初、予定の時刻になっても護送船がサーフノウ宮に現れないと、何らかの方法で操船を掌握したデルソフィアとハーネスが、護送船を駆って海上を逃亡したのではないかとの見方が拡散した。当該の護送船が突然の大嵐に遭遇したことなどまったく想像できないほど、サーフノウ宮周辺も皇国のシンクロウ港周辺も、穏やかな気候の中にあったためだ。 この話を耳にしたフガーリオは即座に、皇国の水軍を動員し、シンクロウ港からサーフノウ宮までの航路および周辺を隈なく捜索させた。ここでもフガーリオは水軍全軍を動員した。 その結果、護送船のものと思われる破片や欠片が次々と見つかり、護送船は何らか事象の出来により破砕、あるいは沈没したものと結論づけられた。そして一月が過ぎる中で、破片や欠片は幾つも発見されたが、護送船に乗船していた者については唯の一人も見つかっていなかった。 ここに至って、乗船者たちの生存可能性が限りなく低いことは誰の目にも明らかだったが、死体等が見つからない限り、その関係者は生存への微かな光明を捨てきれず、各々が想いのやり場を持て余した。乗船者たちの関係者には当然、ジェレンティーナ・デフィーキルやウィジュリナ・デフィーキル、クリスタナ・ジェズスにスカーレット・ファルクも含まれている。 ウィジュリナの眼前には、完成間近の絵があった。だがその絵は、完成間近の段となってから久しく、一筆も入れられていなかった。 デルソフィアを描いた絵だ。薄く笑みを称えた表情は、以前であれば照れを隠す少年の精一杯の矜持に見えたが、事ここに至っては、儚げに薫っている。 ウィジュリナはどうしても、この絵を完成させられなかった。いや、完成させたくないと言った方が正確だろうか。完成へと向かう筆は、本人を眼前にして振るいたいとの思いが、強固なまでに心内に蟠踞していた。 畢竟、この一月はもちろんのこと、デルソフィアがダスグリヌの塔回廊最上階に囚われの身となって以降、絵はまったく進捗しておらず、完成形との間にある、あと僅かでもその実は大きな隔たりを埋めらていない。 デルソフィアは生きていて、本人を前に絵を完成させられる時が来て、共に批評し合い、共に喜び合えるという希望。 人生最大ともいえる悲しみを受け入れる諦めという強さを自身の中に築き上げ、最期の絵として完成させるための再始動。 これらの狭間で、ウィジュリナは絶えず揺れていた。悲しみの底で、自身を見失うことはもうなかったが、乗り越えていけると明示できる強さも持ち合わせておらず、心は行き場を見失い、ふらふらと彷徨い、傷付き、そしてまた鈍さを増してもいた。 居室から露台へと出たウィジュリナに、スカーレットも付き従った。数歩後方に控える。美しさばかりが際立っていた眼前の主は最近、強さも備えた。 実弟の生死が不明という状況下において、以前のウィジュリナであれば九分九厘、暗く打ち沈み、その身体は床にあっただろう。だが、正気を失わず、或いは凛とさえ映る日々の挙措動作や表情からは紛れもなく強さも滲んでいる。 やはり、あの日の実兄ジェレンティーナとの会話がウィジュリナの身内に、連綿と続く神皇帝一族の血を、ひいてはデルソフィアやジェレンティーナにも宿る、民のために尽くすという性根を目醒めさせたとしか思えない。いま、ウィジュリナはどんな顔で皇国の街並みを見遣っているのか。以前なら容易に想像できた顔が、上手く絵を結ばない。 そのことにスカーレットは、焦燥を募らせていた。 ジェレンティーナは、ウィジュリナよりも明確にデルソフィアの死を拒絶していた。 まだまだ幼さを宿した顔貌。 上達へと一途に剣の稽古に精進する姿。 実兄や実姉を敬う礼儀を備えた一面。 目的を完遂するために、神皇帝皇子の地位からいとも容易く離脱できる習い性。 神皇帝を前に一歩も引かず、壮挙を為し遂げる胆力。 目を閉じれば、そこに幾つものデルソフィアがいた。手を伸ばせば届きそうな距離感にある。しかし、それが幻であることに気付けば、優しい記憶が心を痛めていった。 大勢となりつつある傾きに抗うためには、デルソフィアは死んでなどいない、と叫び続けるしかなかった。だが、その裂帛の叫びが身内を巡れば巡るほど、あちこちに乱反射してデルソフィアの不在を刻み込み続けた。 諦めてしまう弱さ、諦めない強さ、諦める強さ、諦めきれない弱さ、どこに自身の立ち位置があるのかに惑い揺れて、ジェレンティーナは、費やす時の中で無為な拒絶を無数に積み上げていた。 珍しいなーー落ち着かずに何度も右手の人差し指と中指で机の盤面を不規則に叩くジェレンティーナの姿を見て、クリスタナはそう思った。無理もない、とも思う。 どこで、歯車が狂ってしまったのだろう。 どうして、こんな結末に帰結してしまったのだろう。 クリスタナもまた、解を見出せない自問を何度も繰り返していた。 クリスタナはジェレンティーナの側仕だが、ジェレンティーナに対しては敬う気持ちよりも好意の方が先に立つのが事実だ。それは、ジェレンティーナの妹のウィジュリナ、弟のデルソフィアに対しても同じだった。 この三者が、皇宮の頂にあってほしいと夢見たことも一度や二度ではなく、三者の在り様は家族・兄弟の理想だと思っていた。だが、今の三者は、生死不明のデルソフィア、焦燥を濃くするジェレンティーナと、まさに両翼を捥がれた大鳥のようだった。翼の無い鳥が飛べぬように、三者の在り様も、その理想も、地に堕ちる時を待つばかりである筈だった。 そこに、光明が差した。どちらかと言えば、兄や弟が照らす道を少し後ろから追随するという態だったウィジュリナが、三者の光明となっていたのだ。 クリスタナは追憶の扉を開く。 あの日、ジェレンティーナはクリスタナと共にウィジュリナの居室を訪れると、悲しみの底にある実妹に自身の仮説を聞かせた。オッゾントールの殺害に父である神皇帝フガーリオが関与しているのではないかという仮説だ。 床に伏せる妹を前に、常のジェレンティーナであれば日を改めただろう。だが、ジェレンティーナはそうはせず、「横になったままで構わない」とした上で、話を始めた。クリスタナとスカーレットは一驚し、互いに顔を見合わせたほどだった。 ジェレンティーナにはその結末が分かっていたのかどうかは定かではないが、結果、ジェレンティーナの行動は奏功した。話のどの箇所が、具体的にウィジュリナの琴線にふれたのかは未だに分からないが、あの時を境にウィジュリナは変わった。 悲しみの底から這い上がり、自身の足で力強く立ち、確かな歩みを刻んでいる今がある。以前は、神皇帝皇女という最も高貴で最も豊かな囲繞の中にあり、何処にあっても、そうであった。仮に頭を下げても、その囲繞の中にある限り、相手を見下ろしていることにかわりはない。そのことに気付いている神皇帝一族はデルソフィアとジェレンティーナだけだと思っていたが、今まさにウィジュリナもその域内にいる。 「やはり家族なのだな」小さくそう独りごちてクリスタナは微笑った。 戸惑い揺れながらも浮かべたクリスタナの微笑には、まだ希望の香りが残っているように見えた。 一方、神皇帝フガーリオ・デフィーキルは早々に、デルソフィアは亡き者であるという認識で振る舞い、最近ではその名を口にすることさえ皆無となっていた。血を分けた実子の生死不明ーーそこに相対しても、その心内は暗澹としていた。 一族が集まる場においても、頂たる神皇帝が話題に挙げぬ以上、他の者もまたこれに倣った。デルソフィアの消息は、生死不明という曖昧としたものから進展することなく、フガーリオ及びその一族の中では表面上、希薄なものへなりつつあった。 皇宮へ仕える者や皇国に暮らす民をはじめ、デルソフィアを知る全ての者のうち、その生存を最も強く信じて疑っていない者は、ロビージオ・マクマンであったろう。 ジェレンティーナやウィジュリナなども、デルソフィアの生存へ心の大部分を砕いていたが、それは願望の色が濃いと言えた。一方のロビージオは、デルソフィアの生存を確信していた。といっても、そこに確固たる根拠はないのだが、確信しているが故のロビージオの言動や行動は、時に周囲を驚かせた。 また、プレミアに進級した際に示した、サーフノウ宮を希望の任地とする考えも、改めることはなかった。  ロビージオの中で、デルソフィアは生きており、やがては島牢獄に収監される存在だった。そしてまた、守るべきものを破壊しに来る明確な敵であり、収監後もその動向から、一時たりとも監視の目を離してはならない。 彼我の間の運命は既に定まっており、その運命に導かれるように、ロビージオがゴンコアデール院を卒院し、サーフノウ宮に赴任するまでには、消息不明のデルソフィアの身も再び拘束される。そう信じて疑っていなかった。 そしてもう一つ。 極刑ではないものの無期限の配流となった者が服す場であるサーフノウ宮には、罪人とそれらを監理する者しかいない。唯一の例外が、監理者としてサーフノウ宮に赴任する者に家族があった場合だ。監理者の妻や子らが、暮らし、学ぶための施設も併設されている。 すなわち、家族でなければサーフノウ宮に同伴することはできない。ロビージオは、サーフノウ宮へ赴任する時までに、ニチェンテと家族になることを思い描き始めていた。
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