ありふれた話

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ありふれた話

「お前さ、何のために働いてんの?  気迫が感じられないんだよね、中途半端な仕事ばかりで。正直、いまのままじゃ仕事なんて任せられない。もっと頑張れよ」  この世界の正しさは、あまりにもせわしなく。 「今度、1歳になるんです。こんなちっちゃいのに必死でついてきて。子どもってやっぱり可愛いですよね。この子と家族のためにももっと稼がなきゃと思うんです」    あまりにも窮屈で。 「じゃぁ中村さんは何がしたいんですか? ちゃんと論理立てて話してくださいよ。具体的にいま、何をしているんですか?」  そしてあまりにも無遠慮だ。    どこでもない前を見据えながら歩く雑踏の中、中村歩向(あゆむ)は独り立ち尽くしていた。片方の手にはくたびれた鞄。もう片方の手には、タイムセールのシールが貼られた冷たくなった弁当入りのポリ袋がある。  気持ちはどん底まで落ちて、浮き上がる気配さえない。勉強のためと言われた資料を電車内で見ようとするが一切頭に入ってこないし、惰性で見たSNSからは幸せそうな笑顔で溢れかえっている。この光り輝く世界の中で、自分だけが何もなく、落ちこぼれた影になったような気分だった。    明日も早いから、家に帰って寝なきゃ。いやその前に先輩に言われた資料の準備がある。ゴミ袋も溜まってるし……。  ふっと脳裏を部屋の様子がよぎった。  埃の溜まったフローリング、公共料金の支払い、何かを出したまま蓋を開けたままの収納ケース。それらの全てが責め立ててくるようだ。  しなければならないことなんて、それこそいくらでも頭の中から湧いてくる。だけど何もする気は起きなくて。  何か一つ行動すれば、途端にすべてが動き始めるように思うのだけれど、気持ちも体もその場からちっとも動いてくれなかった。  そんな歩向を時に訝しがりながら、時に避けるようにようにして、周りの人たちは過ぎ去っていった。  そのとき、どこからともなく複数の子どもの笑い声が聞こえた気がして、ふっと歩向は頭を前に向けた。気づけばさっきまであれほどいたはずの人の姿はなく、歩向は独り佇んでいたことがわかった。    やけに静かだ。  奇妙に思いながら時計を見てみれば、時刻は深夜を過ぎた頃。もちろん子どもなどいるはずはない。  疲れているのだろうか。歩向は軽く頭を振り、渇を入れるように頬を叩き歩き出した。  するとすぐ横を、何か小さなものたちが通り過ぎる気配と、置き去られた笑い声が耳に入った。慌てて歩向は振り返るが、そこには誰もいない。 「何なんだよ、一体」  ぼやくようにして呟き前を見ると、電信柱に隠れるようにして、子どもがこちらを見て笑っているのが見えた。 「鬼さんこちら」  その子はそう言うと、クスクスと笑いながら走り出す。どこか見覚えのあるその後ろ姿を追うように、歩向はふらふらと歩き出した。  どこから合流したのだろう。いつの間にか周りには子どもたちがいて、囃し立てられるように前へ前へと進んでいく。するといつも通りである筈の道沿いに、見覚えのない真っ赤な鳥居が見えてきた。  あんなもの、あったか?  思わず歩向は立ち止まり眉をひそめた。  だが先頭を走る見覚えのあるその子は、そんな歩向に構うことなく進んでいく。そして鳥居の前でくるりとこちらを振り返り手招きしたかと思えば、そのまま鳥居の中へと入っていってしまうのだった。  置いてかれてしまう。 「待ってよ」  思わず手を差し伸べ走り出せば、周りの子どもたちは歓声を上げてついてくる。必死に走っているはずなのに、その子に追いつくどころか、周りの子さえ振り切れなかった。  どれだけ必死に走っただろう。いつの間にか、子どもたちと目線の高さが合っていることに歩向は気づいた。どこか懐かしい感覚。たくさんの子どもたちに囲まれながら全力疾走するうちに、歩向はいつのまにか笑っていた。  子どものように、遠慮も配慮も屈託もなく、全力で。
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