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空を閉じられた街はいつも薄暗い。
そびえ立つ構造物のちいさな窓の奥ひとつひとつに人は暮らしているけれど。
システマチックな暮らしと繁殖、安全平穏な管理生活を是とする人々に、かつてあったぬくもりと良心は過去の遺物でしかないらしい。
親は子を売り、子は親を殺す。
母は子を愛さない。父も子を求めない。
この殺伐としたちいさな世界を、誰も疑問に思わず生きている。
気に食わなければ排除、茶飯事だ。
私はよどんだこの街が、心底嫌いでならなかった。
母は忘れた。死んだと聞いた。父はいるがよく知らない。
広い屋敷で育った私は、幸福も辛酸も知らぬまま――。
ただ、売られはしなかった。
「エルヴェ、お前は選ばれた」
父と呼ぶ人の口元が、三日月のようにとがって引き上がるのを感慨なく眺めたのを覚えている。
私はその日のうちにメンバーとして中央の教育機関に送り込まれた。人形のような子どもたちと机を並べ、学を授けられ、鞭を振りかざす大人から隷属と従順を叩き込まれた。
そして、この腐臭漂う街の「支配者たち」になることを命じられたのだ。
皆の顔は日に日に死んだ。
けれど、私の心は生きていた。
古い書架の隅に隠された一冊の本に出会った時に、いつか旅立つと心に決めた。
この街から失われた「おとぎ話」に、憧れた。
懸命のふりをして劣ってみせて、私は落伍者になった。
人工物まみれの街で、なり手のない植物学者の座に収まれば、研究にかこつけた旅の許可は簡単だった。もう私がどこで野垂れ死のうと、誰も構わないのだ。
街の外は、穢れていると聞いていた。
触れれば指先を黒く汚す土、雑菌で汚染された水、何の映像も映さないつまらない空。自然の脅威に怯え、賎民の住む「ひどい世界」だと、そう教えられていた。
「見ろ、これが青いクソったれな空だ」
細めた目に日差しがしみて痛い。こわばった表情筋がぎこちなく動いてみせた。
最高じゃないか。メンバーたちへのなによりの呪詛を吐きながら、古いスカイスクーターを駆り、外の世界を海沿いに西に向かう。
うしろに、少女を乗せて――。
「エルヴェさん、なんて言ったの?」
「何も」
胴に回った細腕が、抗議するようにグッと強く締まった。こうした触れ合いはほとんどしてこなかったから、実のところどう返していいのかわからない。
彼女は不満そうにちいさく唸った。これも新鮮だ。
『お願いです。助けてくださいっ』
ファナとは四日前に出会った。
ボロをまとい肩をいからせた少女は、必死な青い目をしていた。
『トトの村へ、帰りたいんです』
街の外、滅びたはずの村の名に驚く。
無言でいると駆け寄られて、汚れた手が私の服を無遠慮に掴んだ。
『なんでもします、なんでもしますから』
少女は震えながら、私の衣服を手繰り寄せるように、するりと腰に手をかける。その意図を汲んでゾッとした。繁殖行為への誘いだ。堕落と嫌われるこの行為が、その実、私たちより高位のメンバーたちのひそかな嗜みであることを、今では私も知っていた。
むしるように手を引き剥がす。
『そんなこと、しなくていい』
彼女の肩はストンと落ち、途端に赤ん坊のように泣き出した。
目を腫らす少女に困惑したが、旅荷物のコンテナに隠すことを決め、街から連れ出し愛機に乗せて今だ。
もう街へ戻ることはないが、一応は中央への成果報告も必要であるから、水辺で森で、標本でしか知らない樹木や草花をサンプリングし続ける。
誰も読まない電文を書き終えると、不意に顔が引きつった。ファナは言う。
「エルヴェさん、笑ってるね」
ああ、そうか。笑う。
自分の仕事が、こんなに面白いとは思いもしなかった。
「エルヴェさんは街が好き?」
街が遠ざかるにつれ緊張をほどいていったファナは、昼食に与えた携帯食を口にしながら少し甘えた声で尋ねた。
「……いや」
「じゃあ怒らない? あの街は、地獄だと聞いてたの」
「へえ、同じだな」
外は地獄だと。
「奴隷が足りないと人狩りに来るの……私も、それで」
私は、薄汚れた笑みが浮かぶのを恐れてうつむいた。
人狩りじゃない「人買い」だ。この少女は、奴隷として売られた。
親は子を売り、子は親を殺す。同じだ。
幼い日の憧憬は――、ここにもない。
「どうして村に帰りたい」
「お母さんとお父さんが、待ってる」
私は残酷な返事をしなかった。
「おとぎ話」は存在しないと知ったのに。
「なぜ、私が君を助けると?」
「エルヴェさんは、街の人の目じゃなかった。だから」
細い素足を抱えた少女は、そう言って膝頭に顔を埋めた。
無理に変えた話題に、疑いなくかろやかな声だった。
ファナはよく笑った。
体が汚れたと言っては川に飛び込み、湧き出る水を素手ですくって喉を潤した。咎めたが、彼女は平気らしかった。
私の飲む精製水をあまりにまずいと彼女がいうので、試しに生水を口にしたら、たちどころに腹を下した。やはり汚染されている。
「いい水なのに。エルヴェさん、ちょっと弱いんじゃない?」
からかう言葉に私は眉を寄せた。
確かに、水は不思議なほど甘く冷たく……美味しかったのだけれど。
「エルヴェさん、何か声が……?」
その日の採取の時だった。
森の奥に耳をすませば、数人の声がする。誰かを呼んでいる。
戦慄した。親兄弟のはずがない。奴隷一人に追っ手が?
ここは村から、まだ十マール以上離れている。
「おかあさんっ!」
叫んだファナが走り出す。
追った。
街の者に逃亡者の彼女といることが知られれば、自分が罪に問われることにさえ思いいたらなかった。経験したことのない赤く熱い思いが胸の中で飛沫飛沫をあげていた。
背の高い草の阻む行く手を払い、木の枝に頬を打たれ、彼女を引きとめようと。
私は、彼女を、絶望から救おうと――。
「ファナ!!」
棘だらけのヤブの先に居たファナは、みすぼらしい女の首にすがりついていた。やつれた女はファナを強く抱きしめ続けている。「おかあさん」とファナの涙まじりの声が聞こえた。
――母親?
母は子を愛さない。父も子を求めない。
そうだろう?
立ち尽くす。稲妻に打たれたように動けない。
土汚れのついた女の頬に、滂沱の涙が流れて汚らしい。遅れて来た父親らしき男は指を組み合わせて祈り、顔をくしゃくしゃにして、妻と娘を力強く両腕で抱いた。
木もれ日が静かに彼らを照らしている。
あれが、『家族』だろうか。
「エルヴェさん、来て! お母さんも、お父さんも、お礼をしたいって!」
目の奥と、胸の奥底が、熱くて息苦しかった。
ああ、――雨だ。
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