8人が本棚に入れています
本棚に追加
1.突然の召喚は全裸で
東京丸の内。20階より上へ向かう高速エレベーターに乙木芯一は乗っていた。周りは高級スーツのビジネスマンばかりだ。
「お、降ります」
エレベータの一番奥に追いやられていた乙木はか細い声で訴えた。すると、乙木の前にいた男たちがすっと消える。
「あ、ありがとうございます」
乙木は小さな声で言ってから頭を下げつつエレベーターを降りた。だが目の前にはエレベーターに同乗していた男たちが一目散に歩き出している姿があった。
「みんな、この会社の人だったのか・・・」
ボソボソ言いながら自分も五井物産の中へ。
乙木はインターンをしている営業企画課のタイムレコーダーにカードを差し込み、
「午前8時45分、完了」
とつぶやく。
「何が完了なの? まだ何も始まってないし。来るのが遅い」
途端に乙木たちインターンの世話役でもある廣川渚に咎められた。
「は、はい。す、すいません。電車が混んでて・・・、その・・・」
「言い訳はいらない。商社マンは結果が全てよ。いい? 学生と違って社会人は努力や頑張りは当たり前。その上で結果を出さないと置いていかれる。分かってる?」
相変わらず廣川は上から目線だ。
「わ、分かりました。すいませんでした」
乙木芯一は今一度廣川に頭を下げた。
「謝って結果が出るなら、土下座でもしなさい」
「は、はい・・・」
床に手を着こうとする乙木に廣川が叱責を続ける。
「会議の準備。急いで」
乙木芯一はよろよろと朝から打ちのめされて廣川渚に着いていった。
「身の程知らずだったかな・・・」
乙木は廣川の後に従いながら今度は聞こえないようにつぶやいた。心の中だけでつぶやくというのが出来ないたちだ。
「廣川君、まだ準備できてないのか。会議もう始まるぞ」
9時8分前。廣川渚と乙木芯一は会議室で会議資料のコピーを揃えていた。入って来たのは課長の三輪山である。
「申し訳ありません。もう出来ますので」
廣川渚は揃えたコピーの最後をホチキスで綴じながら三輪山課長に笑顔を向けた。
「プロだなあ」
乙木がまたつぶやく。だが、今度は廣川と余りに近過ぎた。聞こえてしまったようだ。廣川は一瞬きっと乙木を睨むと出来上がったばかりのコピーの冊子を半分差し出した。
「三輪山課長。今朝の会議は30分でお願いします。この後9時45分から札幌支店と参花亭製菓の新商品についてTV会議です」
廣川は各席に資料を置きながら伝えると、最後に三輪山にもコピーを渡した。
「ま、みんなの報告次第だけどな」
三輪山はそう言うと受け取った冊子をめくる。
9時5分前、課員たちがぞろぞろと会議室に来る前に、廣川渚と乙木芯一は1フロア上のTV会議室に向かっていた。
「雲行きが怪しくなっている」
廣川が窓の外を見ながらつぶやく。
「雨降りそうですね」
乙木がふわっと返した。
「ゲリラ豪雨。雷も鳴り出してる」
厚く垂れ込めた黒雲は所々で稲光が。遠くでゴロゴロと鳴る音もする。
「課長が11時には出掛ける。社用車を用意しといた方がいい」
「そうなんですか・・・」
乙木はぼーっとした声で廣川に返事を返した。
「ねえ、乙木君。もっとシャキッとしなさいよ。あなた生き馬の目を抜く丸の内で商社マンやるんでしょ? そんなんじゃあっという間に殺られちゃうわよ」
「そ、そう言われましても・・・。だいたい五井物産なんて名門にインターン採用されるなんて思ってなかったんですよ」
「そりゃそうよね、青嵐学院だっけ?」
「は、はい」
「三流私大よね。うちはK大やW大が多いからね。でなけりゃ、N体育大とかY学院大の体育会よね。知力か体力、どっちか持ってないとだめだわ」
「ですよね・・・。別に僕は履歴書に嘘書いたわけじゃないんですよ」
「そのくらいの才覚があればね」
そのときバケツをひっくりかえしたような雨が降ってきた。ゴーッと言う音さえ聞こえる。
「それ、ここへ持って来て」
廣川が乙木に命じる。乙木は50インチのディスプレイを台ごと転がして動かす。
「TV会議の繋ぎ方って分かる?」
「いや。たぶん・・・」
「情けないわね。いいからやってみて。ダメなら総務から誰か頼むから」
雨は益々酷くなっている。今では雷も暴れ出していた。
「凄い天気ね」
「はい」
「あのう、廣川さんはこの部署長いんですか?」
少しは話をしようと乙木は廣川に聞いてみた。別に特別知りたかったわけではなかったが、廣川がきれいであることは間違いない。
「3年半。最初に配属されたのが総務で半年で営業企画に異動してきた。自分で申請したの。私も商社マン、いえ商社ウーマンになりたいから」
意外に廣川はすらすらと答えてくれた。
「ということは・・・、現役で26・・・」
乙木がまた聞こえる声でつぶやく。
「違うわよ」
答えを期待していない発言に答えが飛んできて乙木はひっくり返った。
「あわわわ・・・」
「私は短卒。だから24。あんたは21?」
いつの間にかあなたがあんたになっている。
「は、はい。まだ20ですけど。もうすぐ21です」
外は嵐の様相だった。土砂降りの雨がアスファルトを打ちつけ、強風が渦巻いている。そして雷。ピカピカ光りながら今やどこに落ちてもおかしくない勢いだ。ビルの周りに雷鳴が轟いている。
パソコンの操作を終えて、乙木はTV会議システムを立ち上げていた。
「あれ、繋がりませんね」
ディスプレイは真っ暗なままだった。
「課長に社用車が必要だわ。急ぎ申請してくるから、ついでに総務の誰か呼んで来るわ」
廣川は蔑むような目で乙木を見ると部屋を出て行った。実際には別に乙木を蔑んだわけではないのだが、いかんせんそういう性格の乙木にはそうとしか感じられなかった。
「このケーブルか・・・」
だから乙木はTV会議システムのチェックを続ける。そして1本のケーブルが断線していることに気が付いた。乙木はケーブルの先端を持ってディスプレイの裏側へ回り込んだ。
そのとき雷鳴がひときわ大きく鳴り響いた。地震のような震動と共に乙木は身体が宙に浮くように感じた。手にしたケーブルに大容量の電流が流れたようだ。身体は痺れ、脳が麻痺して目が見えなくなる。
「ぎゃあああ」
と、乙木芯一は言葉にならない叫び声をあげた。
その途端、浮いた身体が今度は真っ逆さまに落ちていく感覚だ。そして気を失う寸前、頭の中に不思議な呼び声が聞こえた。
『召喚!』
それはたぶん高齢の女性の声だった。
乙木は気を失うと思った途端に意識を取り戻していた、はっきりと。
「ここは、どこだ? 何があったんだ?」
つぶやく。足が冷たい。そして酷く寒かった。まだ夏のはずなのに。
「勇者の持ち物にしては粗末じゃの」
「寒さに、身を縮めてございます。現に此奴、立ち姿にて参ってございます。半端な男にあらず」
「確かに、な。だが、勇者と言うにはやはり・・・」
何やら会話が聞こえる。乙木は薄暗さに段々目が慣れて、しっかりと前を見る事が出来るようになってきた。
「廣川さん・・・?」
小さな声で乙木はつぶやくと目の前に座っている女性に気が付いた。小首を傾げる。と、同時に自分が裸であることに初めて気が付いた。乙木は両腕を胸の前で交差して我が身を抱きしめる。
「女子のようじゃの」
前にいる女性がそう言った。それは母親くらいの中年の女性だった。妙に煌びやかな金糸と銀糸、それに青い糸を織り込んだワンピースっぽい服を着ている。頭にはティアラ?
「きゃ!」
乙木が小さく叫び声を上げた。裸なのは上半身だけでなく、下半身も全て、靴さえも履いていない素っ裸だとようやく気付いたからである。
「うわああ!」
今度は少し大きく叫び声を上げると、抱えていた両腕を離し、股間を押さえた。
「呪術者よ、これが本当に我が世界を守る最強の勇者なのか?」
椅子に座った派手な中年女性が側に控える老婆に声を発している。乙木は腰を引き片足を浮かせて股間を隠すのに気が気でない。廣川さんはどこへ行っちゃったんだ? だけど、こんな格好を廣川さんに見られたら、セクハラで訴えられてしまう。いや、一気に強姦未遂かなんかで逮捕されて、就職もパーになってしまうのでは。などなど、愚にも付かない事を思考しながら乙木は必死に前を隠していた。
「間違いござりませぬ。此奴は我らが世界を救う勇者にございます」
「間違いないのだな?」
女王はまだ懐疑的だった。
「我らが世界創世の頃より伝わる誓約の書にある通りの魔術にございます。現れたるこの若者こそ、伝説の騎士に相違ございません」
呪術者は女王にそう弁明しながら、自分でも半信半疑な気持ちになっていた。
「確かに粗末な身体よの・・・」
とつぶやく。乙木の身体をしげしげと眺めながら。
「それにしても、この者も何故裸なのだ?」
女王がまた呪術者に聞いた。
「それは・・・、私にも分かりませぬ。ただ、誓約の書にあった真の姿にて世界を救う、そのためかと存じます」
「真の姿であるか・・・」
やがて2人の会話は止み、乙木は兵隊に、これも女性だった、に腕を取られて玉座の前から引き立てられた。
「ちょっと、そんなに腕を強く掴まないで」
左腕を女兵士に取られて手が股間から離れそうになる。乙木は必死に股間を押さえていた。だから歩きにくくて全然前に進まないのだ。
「遅れると女王様に叱られるのよ。さっさと歩きなさい」
女兵士が強い口調で言う。
「でも、でも、おち・・・、すいません」
乙木は抗議しようとして止めてしまった。
「こっち」
女兵士はずんずん前を歩いて行く。乙木は遅れてなるものかと歩を速めたが、股間をぎゅっと押さえたままでは足が前に進まない。だから押さえた両手の力を緩めて女兵士に追いすがった。
「部屋も廊下も全て石で出来てる。まるで中世のヨーロッパの城のようだあ」
壁の片側には松明が並べられ廊下を照らしていた。
「そんなことはどうでもいいの。女王様は怖い人なんだから、急いでちょうだい」
素っ裸の乙木芯一だったが、自分を引っ立てていく女兵士に勝手に親近感を覚え、辺りの様子を観察する余裕さえ生まれていた。
「雨だ・・・。雨が降ってる」
石の壁の向こうからバシャバシャと雨が落ちる音が響いていた。
「今は天候不順なときだからな。やがて暑くなる・・・」
女兵士は木の扉の前で後ろを振り返った。油断していた乙木は片手だけ股間の前に垂らしているだけだった。
「ひい」
反射的に股間を押さえ直す乙木。うつむいた顔を恐る恐る上げると女兵士は乙木の顔を下から見上げていた。意外に背が低い。乙木は大きな女と思い込んでいたのだ。
「え?」
乙木が上げそうになった声を途中で飲み込んだ。なおも何か言いたそうにしている乙木を無視して女兵士は古い木の扉をギ、ギギ、ギギギと押し開けた。
そこは衣装部屋、あるいは装備部屋で、様々な服や剣や盾、その他の装飾品が納められていた。
「好きな衣服を選べ。但し、パンツはないぞ。そこにある長い布を使う」
女兵士はそう言うと部屋を出て行こうとした。
「廣川さん?」
乙木が女兵士の顔をまじまじと見詰めながら声に出した。女兵士は確かに五井物産営業企画課の廣川渚に瓜二つだった。いや、もし双子でなければ間違いなく廣川本人に違いなかった。
「廣川さんでしょ?」
「うるさいわね。今はそんなこと言ってる場合じゃないの。さっさと服を着て女王様の前に戻らないと、首が飛んじゃうわよ」
「やっぱり廣川さんなんだ・・・。どうしちゃったんですか? 僕たち。TV会議室で札幌支店との会議の準備をしてたのに。ここはいったいどこなんですか? 廣川さんはそんな格好で何をしてるんですか?」
乙木が立て続けに疑問を発した。
「だから、そんなことは今考えてる場合じゃないってこと。さっさと着替えて。いや、何も着てないんだから何でもいいから着なさいよ」
「でもでも、僕には全然分かりませんよ。なんで僕たちこんなところにいるんですか? 早く帰りましょうよ」
乙木は女兵士の廣川渚に言い募った。身振り手振りを交えての問い掛けだ。
「おい。おいってば」
「廣川さん、教えてくださいよ。これはどういう状況なんですか?」
「状況? ちんこが見えてる」
「なんでしょうか?」
「ちんこが丸出しだ」
「きゃ! 見ないでください」
乙木が叫ぶと慌てて股間を両手で覆った。
「これを腰に巻け」
廣川が手に取った帯のような白布、それを乙木芯一の腰に回す。
「手が邪魔だ」
「え? あ? でも・・・」
「見ないから手をどかせって」
渋々乙木が両手を股間から離す。どこからか風が入って来るのかちんこがスースーする。
「ほら、端を持って」
廣川は腰に巻き付けた白布の端を乙木の股間から前に通すと、言った。
「は、はい」
素直に受け取る乙木。
「そしたらそれを上に・・・」
脇から指示する廣川は続いてそれを腰に巻いた間に挟み込むよう指示した。褌の要領だ。
「ああ、それだとちんこが上向いちゃってるから。よく分からんが、居心地悪いんじゃないのか?」
「廣川さん、見てるじゃないですか?」
「見てないよ」
「いや、見てました」
「だから見てないって」
「嘘です。さっきしっかりと、今だって」
「そんな中学生みたいなこと言ってる場合じゃないんだよ。女王様にどう受け答えするかであんたの運命は決まっちゃうんだよ。首斬られたくなかったらよく考えるんだ」
「考えるって言っても・・・」
「生き残るためだ」
業を煮やした廣川は乙木に衣装を選んでいった。それを次々に着せていく。白い長い布を巻き付けただけだった乙木は金糸の縫い込みの付いた青い上着と同じ青色の膝上の腰巻き。黒い布をハイソックスのように両脚に巻き付け、何かの革製サンダル靴を履いた。
「よし、あとはこれだな」
廣川は棚の上から中程度の大きさの剣を取り出した。
「いい? 女王様の前ではこれは私が持っている。それ以外のときは上着のここに空いている穴から通して腰巻きの中に刺しておく。あるいは背中に背負う方法もあるけど、それだと子供っぽく見られてしまう。大人なら腰に差すのが普通だ」
あっという間に乙木は侍のように剣を腰に差した戦士のスタイルに変身していた。
「僕には廣川さんのプロテクターみたいのはないんですか?」
廣川渚は茶色の皮の板を繋ぎ合わせた、野球のキャッチャープロテクターのような防具を着けていた。腰に巻いた布は乙木と同じようだったが、足は膝の上太股の下まで黄色いバンデージが巻かれている。
「これは、女性だけが付ける物。男性、特に勇者はこんな物着けない」
「そうなんですか・・・、ここもやっぱり男社会みたいですね」
乙木が軽蔑したように言った。
「違う。この世界はむしろ女社会。その辺は追々分かってくるはずだ」
乙木はまだ廣川のプロテクターを羨ましそうに見ていたが、急に目を輝かして言った。
「へえ、おへそ出してるんですね」
廣川の皮のプロテクターは上体に密着し丈はウエスト近くまであった。乙木と同じ青い上着は丈が短くウエストまで届いていない。その代わり裾の部分にはレースの飾りが縫い付けてあった。そしてその下は素肌でウエストのくびれと共に縦長のへそが見えていた。
「な、何をいきなり」
廣川はそう言ってへそに手をやる。
「プロポーションいいですよね。廣川さん」
「馬鹿言ってんじゃない。あんたねえ、女王様に首斬られるよ。その前にそこもちょん切られる」
廣川が指差した乙木の下半身は白い布が持ち上がり青いスカートを押し上げていた。
「全く。そ、そんなこと考えてるとこの世界ではあっという間に死ぬからな」
「す、すいません・・・」
乙木はいつもの乙木に戻って廣川に頭を下げた。
「それと、謝ってばかりいると、やっぱり死ぬよ」
乙木は廣川に怒られて萎れてしまった。股間も同時に萎れた。
「とにかく、女王様に気に入られること。いい? あの人が絶対権力者。それとね、念のため言っておくけど、死んだら元の世界に戻れるとか、たぶんない」
「本当なんですか?」
「試しちゃいないが、たぶん。この世界で死ねばそれまで。ここは夢の中じゃないから。さ、そろそろ行かないと女王様が怒っちゃうよ」
廣川渚の女兵士はらしく身なりを整えた勇者を連れて女王の間へ戻って行った。
最初のコメントを投稿しよう!