2.幽霊使いの弟子

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2.幽霊使いの弟子

 乙木芯一(おとぎしんいち)は女王の前に跪いていた。その斜め後ろに廣川渚(ひろかわなぎさ)の女兵士が立つ。廣川は例に倣って顎を下げ目線は1メートル先の石の床に向けられていた。手には勇者の剣を携えている。 「勇者よ、女王陛下の御前である」 僅かに頭を上げようとした乙木に呪術者がすかさず注意を与えた。 「構わぬ。面を上げよ」 言われて乙木は片膝を突いた姿勢のまま顔を上げた。女王の姿を見る。年の頃ならやはり自分の母親くらいだろう。だが、正直に言って母親とは比べものにならないくらい美しかった。 「そなたが勇者か?」  女王にそう問われて乙木は返答に困った。だいたい、勇者なんてどういう意味なんだ?暴力的なことを指すのなら自分には全くだし、何か特別な能力があるのかと言えば、そんなモノはありはしなかった。 「本当にお前が勇者なのか?」  女王陛下が焦れている。すると呪術者が脇から口を挟んだ。 「この者は誓約の書が選んだのです。勇者に相違ございません。この者が我が国を救うのです」 すると女王は、 「しかしな、前回お前はそう言うて勇者を召喚したが、現れたのは子供女ではなかったか」 呪術者に真っ向から疑問を呈した。疑い、と言ってもいい発言だ。 「それは。恐らくこの女も何か勇者の役に立つのだと思われます」 「何かのな。何のだ?」 「この勇者の慰みに用いるとか・・・」 呪術者の発言に廣川は思わず目線を上げると老婆を睨みつけた。心の中で罵倒する。 『ババぁ、殺すぞ!』 「我が国は今存亡の危機にあるのだ。その危機を救うのが伝説の勇者だとお前は言った。だからこそ莫大な準備金を与えて勇者召喚を任せたのだ。使えませんでしたでは、済まぬ」  女王の激しい叱責だった。占いババアも分が悪いと感じたのかメチャクチャなことを言い出す。 「十分承知しております。この者らが使いものにならなくば、2人揃えて磔にし神々に捧げればよろしいのでは」  今度は廣川が小さく声に出して呪術者を罵った。 「くそババぁが!」 「女王陛下の御前であるぞ、口を慎みなさい」  廣川に即座に注意をしたのは玉座の右側に控える大臣連中のナンバーワンの男だった。 「これは失礼した。ブットバーグ首相はその準備金の行方が気になるのでしょう」 もはや廣川も黙っていない。 「無礼ですぞ、偽勇者よ」 呪術者の老婆がメラメラと怒りの炎燃える目で廣川を見ながら言った。 「なんですって!」 廣川が気色ばむ。  そのとき、居並ぶ大臣の1人が間に入った。 「女王陛下の御前です。皆の者いい加減になさいませ」 凜とした声の持ち主はアーメダ大臣、軍隊の統括者であった。アーメダは女だが幾多の戦にも出陣している歴戦の戦士だ。 「我が国は闇の魔王からの攻撃を受け、兵士である男子の半分を失っている。魔王の手がこの城や城下に暮らす民に及ぶのはもはや時間の問題じゃ。だが、あの強大な魔王とどうやって戦えばいいのか・・・。だからこそ誓約の書にすがったのじゃ。もし、誓約の書が役に立たぬのなら他の手を考えねばならない」  女王が宣言した。なんだか、乙木と廣川は役立たずの勇者だと決めつけたような言い方だった。  すると廣川がしっかりと前を見据えて、それはつまり女王を見て、話し出した。 「この3ヶ月、私は私の能力を駆使して戦況を調べて参りました。闇の魔王はこの世界の北の果ての暗闇城を根城に幾多の妖魔たちを集めて我が国に戦を仕掛けております。それに対して陛下の近衛部隊1万人を差し向け討伐を試みましたが、大半が死に絶えてございます。  我らも手に入れた火の魔法にて大きな戦果を上げましたが疲弊著しく、我が国にもはや軍隊らしい軍隊はないに等しい状態。直接この城が侵され、民衆が襲われるのは時間の問題と考えます。  では、どうやって闇の魔王を討つのか。考えられる策はいくつもありませぬ。そこまではかつてご説明した通り。戦略が肝心なのです。この者は戦略に長けた者。故国の最高学府に学びし智の勇者にございます」 聞いている乙木が狼狽え出した。 『おいおい、廣川さ〜ん。そんな勝手なこと・・・。ご承知のように僕は三流大学のインターンシップ学生で、勇者とは正反対の人間ですよ〜。』 と乙木は心の中で叫んだが、それでは2人揃って磔にされてしまうか、首を斬られるかだ。ここは成りきるしかなさそうだった。  そこで乙木はすっくと立ち上がる。それから辺りをぐるりと見回してから女王の顔をしっかり見据えた。そして右腕を高く掲げると人差し指を空に向かって突き立てる。 「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム。我は求め訴えたり・・・、」 「ばか! 召喚されたあんたが召喚の呪文唱えてどうすんのよ!」 廣川が慌てて遮った。 「ひ!」 切羽詰まった声にはっとして廣川を見る乙木。 「あんたが召喚されてんの! それが召喚の呪文唱えてどうすんだ。あ?」 廣川さん、マジで怒ってるみたい。乙木はヤバと思って指を降ろした。  このやり取りに女王の間はガヤガヤと騒がしくなる。呪術者のおばあがこれ幸いと、話をまとめに掛かった。 「よろしい。その方ら勇者たちよ。お前たちに時間をやろう。2人でよく検討し、あらためて闇の魔王討伐の作戦を説明せよ。そして、ナギーにはこの指輪を預ける。オトギの面倒をよく見るよう」 そう言うと自分の指からその指輪を外しナギーに手渡した。金色に輝く召喚の指輪だ。  女王は大臣らとまだ険悪な言葉を交わしていた。それをいいことに2人は女王の間を下がることが出来た。 「ここは?」  城の迷路のような廊下をグルグルと巡って2人はやっとひとつの部屋に辿り着いた。 「私の部屋」 ナギーが答える。 「え? どうして?」 「どうしてって、勇者として召喚されたんだから、それくらい当然でしょ?」 「じゃあ、僕の部屋は?」 「さあ」 「さあって、そんなあ」 「いやいや、今問題なのはそこじゃなくて・・・」  ナギーは剣をドアの脇に立てかけると、台所へ湯を沸かしに入った。  部屋には窓があり、青い光が差し込んでいる。その光に引き寄せられるようにオトギは窓辺に寄る。雨はすっかり上がっていた。木製の扉の開け放たれた窓から外を覗くと、ここがとんでもなく高いところであることが分かった。10メートルいや20メートルはあるんじゃないか。タワマンだぞ、これ。 「でも、階段上ったりしてないですよね」  オトギが台所のナギーに声を掛けた。 「この城はね、崖の下から建ってるの。私もね、最近ようやく了解したんだけど」 「崖の下? 湖の(ほとり)ってことですか?」 「そう。つまり、この反対側は地面のすぐ上、1階なのよ。でも崖の途中に建ってるからこっち側はこの高さなの」 「すげー、崖にへばり付くように建ってるって事ですね」 「そう、断崖絶壁。だからこの城は難攻不落。表側だけ守っていればこちら側から敵が攻め込む心配は無いってわけ」  ナギーは言いながらお茶のセットを持ってきた。窓から差し込む青い光は城の下に広がる青い湖の水が反射した色だった。 「広い湖だなあ」  城は湖がちょうど入江のようになっている場所に建っている。だから城の左右もまた断崖絶壁というわけだ。地に続いているのは本当に正面だけなのであった。鉄壁の要塞というわけである。 「レイク・ティアーズは向こう岸まで100キロあると言われてる。誰も確認した者はいないらしいんだけどね」 「100キロ! じゃあこっち側は?」 オトギはそう言って腕を広げて見せた。 「うん。そっちは30キロくらいだって」 「それでも30キロもあるの?」 「そう。この国の大部分を占める湖。レイク・ティアーズ」 「涙湖?」 「涙の湖って呼ばれてるわ。悲しい伝説があるのよ」  ナギーは少し夢見るような目でオトギに答えた。 「とにかく三方をこの湖に囲まれているこの城は攻め落とすのは不可能に近い。でも、魔王とやらに攻撃されているって。どう調べてもそんな事実はないんだけどなあ」  ナギーはお茶のセットをテーブルに置くと沸かしてきた湯をポットからカップに注ぎ込んだ。 「これ、結構美味しいのよ。ハーブティの一種だと思うけど」 ナギーはカップをひとつオトギに差し出した。 「ねえ、廣川さん」 「なに?」 「あの、随分落ち着いてますけど、廣川さんはいつからここにいたりするわけですか?」 オトギは少し距離は近付いたと感じながらもどこかよそよそしい。あくまで会社の人なのだ。 「まずはそこよね・・・」 「はい」  オトギが身を乗り出す。 「3月前って、あなたはまだ大学生よね」 「今でも大学生です」 「そうなんだけど、まだインターンシップでうちの会社には来ていなかったとき。春先だって言うのに酷い天気だった日があった。春雷が鳴り響いてて、雨も土砂降りで・・・」 「今日と一緒だ」 「その日、私はやっぱりTV会議室の準備にあの部屋に1人でいたのよ」  オトギはゆっくりと頷いた。 「で、パソコン使ってる最中に落雷に当たったみたいな衝撃を受けて、気を失った。気が付いたらこの世界にいたわ」  オトギはもじもじしながら何か言いたそうにしている。 「私も勇者として召喚されたって知った。で、色々説明を受けて、話もして、結局私には何も出来ないって理解して貰ったの。でも、私も勉強してこの世界のことを理解しようとしたわ」  オトギがまだ何か言いたそうにしている。 「何? 何か質問?」 「は、はい。少しだけお尋ねしたいことが・・・」 「なに?」 「あの、その・・・」 オトギは切り出しにくそうにしていた。 「あなたね、前々から言おうと思ってたけど、その性格直した方がいいわよ。でないと、折角インターンシップに採用されたのに本採用は難しいと思う」 「そんなこと・・・」 オトギは少し気落ちしたようにうつむいた。 「で、質問て?」 「廣川さんがこの世界に来たときも、その、あのー」 「はっきりしなさい」 ナギーが本気で焦れてそう言った。 「こっちの世界に来たときもやっぱり裸だったんですか?」 オトギが忠告に従ってしっかりとナギーの目を見て問いかけた。 「ばか!」  ナギーは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。沈黙が続く。が、やがてナギーが吹っ切ったように返事をした。 「自分のこと見て分かるでしょ。召喚されるとね、身ひとつで呼び出されるの。何も持っては来られないし、持っても帰れない。そういうことよ!」 ナギーはそう答えるとまたうつむいてしまった。 「そうなんだ・・・。いや、すいませんでした。あの僕ばかりかと思って。廣川さんもそうならいいんです」 「なにが、いいんですよ」 「だ、だから廣川さんも裸で来たんだと分かったから・・・」 「もう。何なのよ。そうよ、そう。召喚されると召喚された場所に素っ裸で呼ばれるの」 ナギーは顔を真っ赤にしながら切れていた。 「でも、でも。廣川さんはずっと会社で仕事してたんでしょ? どうなってるんですか? 二つの世界に同時に存在してる?」  オトギが単純な疑問を口にした。 「二つの世界に同時に存在することは出来ない。二重生活よ」 「二重生活?」 「基本的に召喚されたときだけここにいる。呼ばれなければ向こうで仕事をしてるわ。ただ、呼ばれても12時間後、時計がないから時間ははっきりとは分からないんだけど、12時間後には自動的に帰還してるわ」 「じゃあ、僕は元の世界に帰れるんですね」 オトギはホッとしたようにナギーを見た。 「ま、たぶん・・・」 ナギーが含みを持った言い方でオトギに答えた。 「え? どういうことですか?」 ナギーはすぐには答えずに金色の指輪をクルクル回していた。 「それ、さっきのおばあさんから渡されたのですよね」 「ええ、召喚の指輪」 「召喚の指輪?」 「これで、自由にあなたを呼び出すことが出来る。素っ裸でね」 ナギーが今まで見せたことのないような悪い顔で言った。 「え? いや、それは・・・。じ、じゃあ、廣川さんは誰に召喚されてるんですか?」 「わたし? わたしはね、あのおばあよ」 「おばあ?」 「さっきの婆さん。呪術者よ。占い師? 魔法使い? そんな者よ。何かしらの特別な力を持ってるみたい・・・本当かどうか分からないけどね。でも、私たちを別の世界から呼び出したくらいだから、本当なのかも」 「そうなんだ・・・。あのお婆さん、一応は女王様に仕えてるんですよね?」 「そりゃ、そうでしょ」 「だとすれば、お婆さん、裏切るつもりですよ、女王様」 「え? なんですって!」 「さっきの様子を見たら間違いないと思います。僕はこういう性格なんで、子供の頃から人の顔色見て生きてきました。だから見てると何となく分かるんですよ、何を考えてるのか」 「そりゃ、怖い特技ね」 「信じてないですね?」 「そりゃ、そうよ。おばあは女王様の母親の代からの家来よ。前の女王様がお亡くなりになったとき、今の女王様を託されてずっと仕えてきたの。裏切るなんてあり得ない」  そうオトギに反論するナギーだったが、来訪者によって大きく気持ちは揺らぐことになってしまった。  ドアにノックがあった。 「誰?」 ナギーが返事をする。 「勇者の方ですよね。お話があります」 ナギーがドアを開けると小柄な娘が立っていた。ナギーよりも明らかに若い。オトギよりも若そうだった。 「いいですか?」 「どうぞ。お入んなさい」  黒い服を着た少女が部屋に入ってきた。 「あの。こんにちは。私の名前はミサキ。幽霊使いの見習いです」 少女はナギーとオトギに挨拶した。ちょこんと頭を下げる。 「幽霊使い? 聞いたことないわ」 「そうですね。私の師匠はシェールという代々繋がる幽霊使いなんです」 「シェール? 私は会ったことがない。というより幽霊使いを知らない」  ナギーが首を傾げた。この3ヶ月、青の国については相当勉強したつもりだった。だが、幽霊使いという職種を聞いたことはなかった。 「無理もありません。今は呪術者ジュールの天下ですから」  呪術者ジュールとはさっきのおばあのことだ。 「シェールとジュールは昔は大変仲が良かったと聞いています。それが年月を経て大きな差が付いてしまった。そりゃ呪術者の方が色々と派手で格好いいですからね。こうして勇者を召喚したりも出来るし。それに比べて幽霊師シェールは幽霊と話が出来るくらいだから・・・。私、悔しくて」  ミサキが本当に悔しそうに拳を握りしめた。 「幽霊と話が出来るって、霊媒師みたいな者なのでしょうか?」 オトギが口を挟んだ。 「この国ではね、人は死ぬと幽霊になるかもだけど、魂だけは湖の底に皆眠ると言われてる。つまり幽霊は何の感情も持たない死人の抜け殻ってことね」 「廣川さん、それ変じゃないですか。死人は既に抜け殻です」 「そうなんだけど、日本では幽霊ってなにがしかの思いが籠もってるでしょう? 怨念とかさ。でも青の国では思いの籠もった魂は湖の底に沈んで、魂のない抜け殻の幽霊になる人がいるの」 ナギーが説明を加える。 「そうなんです。魂が抜けてしまえばその人は消えます。でも希に魂がないのにこの世に存在する人がいる。それが幽霊です」 「では、ミサキさんはその幽霊と話が出来ると・・・」 「話が出来るだけではありません。幽霊を使役することが出来ます。幽霊は感情がないので嘘をつかず、裏切らず、どこにでも忍び込むことが出来る最強のスパイになるんです」 「なるほど・・・」 「ですが、最近では幽霊も少なくなって、昔からお師匠が使っている幽霊たちも高齢化が進んで余り使い物にならないんですよ」 「いやいや、おかしいでしょう。幽霊が高齢化って。死んでるんですよ」 オトギが異を唱えた。 「この人頭固いですね」 ミサキがナギーに言った。 「まあ、ね」 「幽霊も年を経ると存在が薄くなって最後には消えてしまいます」  ミサキの話しはここからが本題だった。 「それで、私悔しくて。ジュールが勇者を召喚したと聞いて、私、お師匠に内緒で幽霊をジュールのところへスパイにやったんです。そしたら、恐ろしいことを聞いてしまって。うちのお師匠も寄る年波には勝てず、こんなこと相談してもどうにもならないだろうし。でも放っておくことは出来ないと思って。それで、勇者の方にお話ししてみようと思ったんです・・・」
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