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4.古城には幽霊が
ミサキは廊下のいくつかを通り抜けるとひときわ大きな扉の前に出た。
「階段部屋ね」
とナギー。
「階段部屋ってなんです?」
オトギが尋ねた。それには答えずにナギーは重い一枚板の扉を引いた。ギーギー音をさせて扉が開く。
「これは、螺旋階段?」
「でも、私たちが今いるここって20階くらいでしたよね」
オトギが不安そうに言った。この階段をとことこ降りたら、考えただけで気が遠くなりそうだった。
「もっと速く行けますよ。さあ」
ミサキはそう言うと長い長い石の螺旋階段の手摺りに跨がった。手摺りも石造りで幅は30センチほど。ミサキはそのまま滑り台を滑るように、でも両脚は左右にぶらぶらさせながら滑り降りていく。右へ右へとクルクルと回りながら。
「そんな」
ナギーもオトギも言葉を失ってしまった。螺旋は右回りだ。つまり右側の足は地上十数メートルの高さでぶらぶら状態なのだ。もしバランスを崩して右側に落ちれば、石の床まで真っ逆さまだった。そして右回りに降りていけば身体は右側に倒れる。
「痺れますね」
オトギが手摺りに跨がる。幸いと言うべきか、暗くて奈落の底は見通せなかった。オトギは体重を後ろに移動させ足を少しだけ持ち上げた。手摺りの石は大理石の板が嵌まっているようで、あっという間に滑り出す。右回転だから体重は右側に寄る。身体ごと落ちそうになる。高いビルの屋上くらいあるのだ。落ちたら最後だろう。そして加速度が付く。
「わ〜〜〜!」
オトギが奇声を発した。上体を上げるとブレーキが掛かる。更に両脚で挟むようにすれば停止も可能だった。たちまち要領を覚えたオトギは螺旋階段をクルクルと下っていった。
「大丈夫ですかあ?」
下の方からミサキの声が聞こえてきた。こうしてオトギはものの1〜2分で20階から一気に地階まで滑り降りてしまった。最後は勢いよく手摺りから飛び出す。危うくミサキにぶつかりそうになりながらも着地に成功した。
「面白いなあ!」
オトギが興奮してミサキに言った。
「そうでしょう! 私もっと小さい頃これが大好きで、よくお師匠に怒られました」
ミサキも快活に答えた。
「あの、ナギーさんは大丈夫でしょうか?」
「どうかな」
オトギは遙か上空を見上げたが、ナギーの姿が見えるはずもなかった。地階には全く灯りもなく真っ暗だったのだ。あるのはいくつか上階にある明かり取りの窓だけである。
「あ、いいものがある」
オトギが隅に落ちていた松明を拾い上げるとうまい具合にマッチも落ちていた。オトギはマッチを擦り松明に火を点けた。油の染み込ませてある木の枝の束は勢いよく燃え上がり階段の最終階を照らし出した。
「ひえ〜〜〜〜〜!」
そのとき闇をつんざく悲鳴が響き渡った。オトギたちが見上げるとナギーが必死の形相で滑り落ちてきた。大理石の手摺りに跨がったナギーは大きく足を開きヒョウ柄の又布を丸出しにしてオトギに向かって進んで来ていた。オトギはすぐさま松明を松明掛けに納め、勢いのまま手摺りから飛び出して来たナギーをキャッチした。
「やっぱり勇者なんですね!」
ミサキが憧れの目でオトギの姿を見た。オトギはお姫様抱っこでナギーを抱えている。
「何てことさせんのよ! 死ぬかと思ったわ」
ナギーがオトギの腕の中で喚いた。オトギはナギーを床に降ろす。そのときオトギの何かがナギーの脇腹に当たった。
「ああ!? こんなときに何やってんのよ」
ナギーが食って掛かる。オトギのスカートの裾から下帯が盛り上がっていた。
「しっ。ミサキちゃんもいますから。ここは静かにお願いします。大股開きのパンツ丸見えでつい・・・。申し訳ありません」
オトギがミサキに気付かれないようにそっと謝った。
「さあ、急ぎましょう」
ミサキは階段部屋の扉を両手で押して開いた。
「レディの股間を覗くなんてなってないわ。勇者が聞いて呆れるわ。今に見てなさい。酷い目に遭わせてやるから」
ナギーはなおも悪態をついている。が、オトギはそれを聞き流しつつミサキの後に従った。
階段部屋を出るとそこは不思議な空間だった。オトギが持って来た松明で辺りを照らす。
「水の中?」
ナギーが怯んだ。
「そうです。ここは既に湖の底なんです」
「そんな、バカな・・・」
オトギも松明を掲げもっと詳しく観察すべく目を凝らす。すると数匹の小魚が松明の明かりに集まってきた。湖にいる魚だ。だが、魚は中へは入ってこられない。丁度透明なチューブの中にいる感じだ。だが、チューブは存在しない。普通に水の中に細長いチューブ状の空間が出来ているのだった。それは遙か彼方まで続いているように見えた。
「これが、西の尖塔の下にまで続いています。たいした距離じゃありませんから、急ぎましょう」
ミサキが歩き出す。
「どうしてこんなことが・・・」
ナギーが独り言をつぶやく。
「どこでしたっけ、水族館にある水中の通路みたいですね」
オトギがナギーに返した。3人が歩いて行くのはまさに湖の底であって、なのに誰も濡れたり、もちろん溺れたりすることもなく歩いている。しかも、ここと湖の中との間には何もないのだ。不思議堪らず、ナギーは水の壁に手を伸ばしてみた。
「どういうこと?」
チャポっと音がしてナギーの手首は湖の中に出てしまった。確かに手は水の中だ。するとミサキがケラケラ笑いながら説明を加えた。
「中からは水の中へ出ることが出来ます。でも水の中からこの中へ入ることは出来ません。これは、遙か昔の魔法使いが魔法で作り上げたものと言われています」
「魔法で出来ているのか・・・」
「魔法を使った本人が今でも生きていますからね、作った物も当然残っている・・・。はい。レミウスに教えて貰いました。なんていう魔法使いだったか、名前は忘れちゃいましたけど」
ミサキはまたケラケラと笑った。だけど、その笑顔の中にオトギとナギーは影を見るのだった。
「無理しなくていいのよ、ミサキ」
3人は尖塔を上りだした。螺旋階段である。上へ行くにはこの世界では自分の足で登るしかない。
「案外近くないものね」
ナギーがオトギに息を半分切らせながら言う。
「え?」
「だからさ、近道だと思ったけど、結構時間が掛かってるってこと」
「そうですね、結構掛かってますね。城の中を抜けて行っても同じだったかもしれないですね」
「ナギーさん、ご免なさい」
ミサキが謝った。
「いいの、いいの。あなたが悪いんじゃない」
「ロング滑り台でもたついたですもんね」
すかさずオトギが茶々を入れた。
「なんですって」
ナギーがオトギを睨みつける。
「廣川さん。まあまあ」
「ねえ、ミサキ。その幽霊を逆に呼び出すってことは出来ないのかしら」
「それは難しいと思います」
ミサキはそう言ったものの考え込んでいた。
「でも、レミウスだったら・・・」
「できるの?」
「あの、レミウスはこの城の隅から隅まで知っています。そして私はレミウスと仮契約を結びました。何しろまだ私は見習いで、知らないことが多いんです」
そしてミサキは目を瞑ると何やら念じ出した。レミウスを呼んでいるのだろう。だが、なかなか反応はないようだった。
「ミサキちゃん、無理しなくていいよ。あと10階くらい上ればいいんだし」
オトギがミサキに声を掛けたときだった。オトギの持つ松明の明かりにさっと影が入るとセピア色の人影が現れた。ちょうどオトギの前を行くナギーの直ぐ上だ。
「ミサキぃ。これはまた珍しいとこにいるね」
「レミウス!」
オトギの後ろにいるミサキが目を開けた。
「この人たちは誰だい?」
「ああ、レミウス。この人たちは勇者のおふたりよ。色々と相談してたの」
「勇者か・・・。100年ぶりくらいかね。何人か僕も見たことがあるけど、大体インチキなんだぜ」
「い、インチキ!」
ナギーが目の前の幽霊に向かってメンチを切る。その顔にぎょっとして幽霊がおしゃべりを止めた。
「この方たちは本物よ。呪術者ジュールが召喚された方々だから」
ミサキが解説を加える。
「おお、ジュール様の? と言っても何代目だっけ、あのおしっこ漏らしの小娘だったやつだろ。ブスで口汚くいつも人のことを罵ってた。根性曲がりの」
「また、酷い言い方ですね」
今度はその下からオトギが口を出した。一方レミウスの方はその間にだんだんと色が濃くなりはっきりとした実態を現していった。
「あんた、随分と若そうね」
とナギー。
「早死にしたからね」
とレミウス。
「それになんなのその衣装は?」
レミウスはグリーンのサテンの上っ張りに、同じく太股のところが膨らんで足首で絞ったズボンを履いていた。おまけに頭には5つの三角の房が着いた赤い帽子を被っている。
「これは、王に仕える道化師の正式な装束だぜ。見くびって貰っちゃ困るね」
「道化師? ピエロか」
「ピエロとか言うな。呪術師、霊媒師、傀儡師、そして道化師。我らは皆道を究めし者。その技で王に仕えているんだ」
「また、大仰な幽霊だこと」
ナギーはあくまでこの幽霊を茶化し倒す気らしい。
「廣川さん、時間が無いんですよ。遊んでいないで、事の次第を確かめないと」
オトギがナギーに注意した。
「レミウス、教えて欲しいの。あなた、シェールが、お師匠が殺されたとき側にいなかったの?」
ミサキが一番下から幽霊に尋ねた。
「ああ、いたよ」
「お前、見ていて何もしなかったのか」
ナギーが吠える。
「僕は幽霊だよ、何も出来るわけ無いじゃないか」
レミウスが開き直る。
「なんだと。呪うとか、脅かすとか、何かできるだろうが」
「怖いお姉さんだね。僕に呪えるもんなら、とっくにあの王を呪い殺してるさ。脅かすだって? 僕が一生懸命窒息しそうになるくらい蝋燭の炎を吹いたって、ほんのちょっとだって揺れやしないさ」
「ちょっと待って。王様を呪い殺すって、穏やかじゃないです。だってその王様に仕えていたんでしょう?」
今度はオトギが口を挟む。
「ちょっと、ミサキ。この勇者さんたちは何なんだい? 人の苦しい胸の内を抉ろうとしてるのかい?」
「ああ、ごめんなさい、レミウス。ナギーさん、オトギさん、今はレミウスのことは後にしてお師匠のことを」
ナギーとオトギはちょっと恐縮してミサキに謝った。
「レミウス、お願い教えて。お師匠にいったい何があったの?」
レミウスはミサキをじっと見ると話し出した。
「シェールはいつものように部屋で幽霊たちを集めて話を聞いていたよ。僕は少々野暮用があってね、遅れて行ったのさ。ああ、恐ろしい・・・。僕は幽霊だけどね、そう、魂だって抜け出てしまってるはずなのにね、あんな恐ろしいと思ったことはないよ」
レミウスは両肩を抱いてブルブルと震える真似をした。今度は誰も何も言わなかった。
それを確かめると再び幽霊のレミウスは話し出した。
「僕はシェールの部屋に入ったけど姿を消していた。ま、遅れていったので様子を見るためにね。だってそうだろ、遅刻しましたあって言やあ、シェールだって黙っちゃいないだろうから。一応契約もあるわけだしさ」
ミサキもナギーもオトギも一言も発しなかった。じっとレミウスを見ている。レミウスは腕を広げるとちょっとだけ戯けた素振りを見せたが、すぐに話を続けた。
「僕がそろそろ仕方ないと思ったときだった。いきなりあいつが部屋に入り込んできたんだ。遙か昔に見たきりだけどね。年月が何だって言うんだ。恐ろしいやつだ。最初何か言い争ってたけど、やつは鋭いあの爪でシェールの着ている服をズタズタに引き裂いてしまったんだ。シェールは既に小娘という年じゃないんだが、金切り声を上げてさ、胸を隠したものさ。僕もそんなものは見たくもなかったんでね、横向いて壁の中にいた。しょうがないだろ、僕には何も出来ないんだから。呪うことも、脅かすこともね」
「それからのことは思い出すのも嫌だね。胸糞の悪くなる光景だったよ。もっとも一方しか見えなかったんだけど、だって横向いて片目だったからさ、ハッハッハ」
まったくこの道化師は、オトギは思った。
「じゃあ惨劇の間中君はずっと壁の中を動かなかったのかい?」
「そりゃそうさ、見つかっちゃヤバいだろ。でも声ははっきり聞こえたよ、断末魔の叫びって奴だな。奴はシェールの両腕と意外に細い両脚をもぎ取ると、そうなんだ、そのときはまだ彼女には息があったよ。言葉にはならなかったけど、わうわう喚いていたんだ。で、最後にシェールの首を引っこ抜いてしまった。それで終わりさ、シェールも僕たちの仲間になったんだ。いや、まだお目には掛かっていないけど」
ここまでを聞いたミサキが口を押さえた。
「大丈夫かい? ミサキ」
ナギーとオトギもミサキを気遣った。
「大丈夫です。レミウス、それからどうしたの?」
「ああ。やつはシェールの足を腕が生えていた場所に、そして腕を足が生えていた場所にくっつけたんだ。そして頭をこともあろうにシェールのお股の上に。もう吐き気がしたね。シェールはもじゃもじゃの顎髭を生やしたみたいになって横たわってた。やつは呪文を唱えながら何か儀式をやってたよ。あれは、確か翻意の魔術だと思う。いや、僕は魔術にそう詳しい方じゃないんだが、魂を裏切らせるための魔法だと思うよ。それにしても悪趣味な魔法だよな。胸糞が悪くなる」
ミサキが本気で胃液を吐いていた。
「しっかり、ミサキちゃん」
オトギが背中をさすりながら、しゃがみ込むミサキを介抱する。
「それで、誰なの、奴って。大昔に見たことがあるって」
ナギーがレミウスに迫った。
「ゴルドンゾーラだよ。身長2メートルのせむしの怪物だよ。冥界を司る闇の魔王の僕だ。やつはいつだって魔術を使って魔王をサポートしていた。250年前も多分今も」
レミウスの話しにナギーとオトギが同時に反応した。
「臭いチーズみたいな魔術師が・・・、」
「そのうまそうな奴はいったい・・・、」
ナギーは匂いのきついチーズが苦手だったが、オトギはワインによく合うと好物だった。
ようやくミサキが立ち上がったところで、オトギが聞き直した。幽霊も2人同時に何か言われても聞き取れないらしいから。
「ゴルドンゾーラとかいう魔術師が何の目的でその魔術をシェールに仕掛けたんだ?」
「さあ、そんなことは僕には分からないよ。裏切りの魔法なんだから、誰かを裏切らせるためなんじゃないの? とにかく城の中に忍び込んでわざわざシェールを探して魔術を施したんだ、城を中からズタズタにするつもりなんだろうな」
「でも、どうやって城に忍び込んだんだろう? 兵隊は減ったと言っても衛兵などは減ってはいないはずだけど」
ナギーが考えていた疑問を口にした。
「魔術師だからね、コウモリとかブタとか動物にでも化けて入り込んだんじゃないの? そういやあ犬みたいな顔をしてたよ。道化師は動物のマネはしないけどね。ハッハッハ」
レミウスがまたどうしようもない明るさを取り戻したようだ。そしてナギーが更に問う。
「ねえレミウス。私たちは今湖底の通路を通ってきたの。中からは湖の水の中へ出られるけど、水の中からは通路の中には入れない。どこかにその逆が可能な場所ってないのかしら? つまり湖から城の中へ入れる場所」
「あう、なかなか鋭い勇者さんだね。あるよ、そういう場所が」
「ホントなの? レミウス」
今度はミサキが声を上げた。
「ミサキとは仮契約したからね、嘘はつかないよ」
「どこなのそこは? レミウス」
「この尖塔の下。多分みんなが通ってきた階段部屋にもう一つ扉があったはずさ。そこは湖の奥へ通じているよ。その通路の先は水の中から入れるけど、逆は出来ない」
「よく知ってるんだな」
ナギーがやや疑いを持ちながらレミウスに問いかけた。
「そりゃそうさ、250年前、ゴルドンゾーラが魔法で作った通路だからね。城の中でその存在を知っているのは僕以外にはシェールとミサキ、そしてあなた方勇者2人だけだろうね。あ、ジュールも知ってるかも」
レミウスが消えたあと、3人は元来た通路を通ってオトギが使うはずの部屋へ戻ってきた。もう一つの通路、湖の中へ通じるドアは確かにあったが、今日は開けるのをやめた。皆疲れ果てていたし、時間切れが迫っていたからである。だから今日は何か食べて休むことにした。
結局ミサキを探しに来た衛兵は戻って来なかった。そしてミサキもシェールのところへ帰って行った。シェールを弔わなければ可哀想だとミサキは言った。何かあれば必ずふたりを頼るからと約束して。
「そろそろ時間だと思う」
ナギーがオトギに言った。
「だから言ったでしょ。召喚は有効期限があって、それはだいたい12時間。残業もアリみたいだけど、ジュールは今のところ協定は守ってるみたい」
「でも、僕たちはまたここへ戻って来られるんですよね」
「ジュールが誓約の書に背けば戻っては来られないかも」
「うーん」
オトギが唸った。
「でもあなたは私がこの指輪で召喚できる。素っ裸で呼び出してあげるわ」
オトギは思わず股間を押さえた。
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