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 それは透けることなく、靄の向こうのものは一切見えない。まるで、光を通さない分厚いカーテンかなにかのようだ。壁のランプの光を浴びても真っ黒なままで、質感はどう見ても靄なのに、床に濃い影さえ落としている。見かけとは違い、小さななにかが集まった集団なのかもしれないと姫君は思った。  靄はうねり、姫君に近づきながら少しずつ形を変えていく。床を這っていたものが徐々に高さを増し、竜巻のように一瞬で柱状になると、手で触れられるような硬さをもっていく。床の上の靄が黒い光沢のある布に変わり、布は波打ちながら上へ上へと伸びていき、スレンダーなドレスになった。さらに靄が収束して消えると、そこには背の高い女性が立っていた。  女性の肌は青ざめて見えるほどに白く、真っ赤に燃えるような目と薄い唇が黒のドレスと相まって女性を知的に冷酷そうに見せていた。 「あなたは、誰?」  姫君が毅然とした態度で問いただす。女性は姫君を鼻で笑い、顎を上げた。 「私はあなたを消すためにやってきたものよ」 「消す? 私を? それは殺すということですか」 「まさか、そんな野蛮なことはしないわ。こうするの」  女性は人差し指を姫君に向けた。長く尖った爪の先から黒い靄が吹きだす。姫君は靄の直撃からノワールを守ろうと、ぎゅっと抱きしめてしゃがみこんだ。靄は姫君の頭に降り注ぎ全身を覆う。 「さようなら、お姫様。結婚できなくて残念ね」  女性の声がだんだん遠くなる。姫君の意識は朦朧として横倒しに倒れてしまった。ぼんやりと開いた目で女性が黒い靄となって窓から外へ流れ出ていくところを見た。記憶はそこで途切れ、真っ黒な夢の中に落ちていった。  前後左右、どこもかしこも黒かった。暗いのではなく、全てが黒いのだった。空気も、空も、地面も、自分自身も。自分の目も耳も声も黒くて、光のない世界に飲みこまれてしまったかのようだ。この世の中のどこまでが外で、どこからが自分なのかわからない。
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