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「県外って、また急になんで」
「それは俺からお話しします。そもそも俺から言い出したことなので」
母さんの言葉に伊坂が答える。伊坂は父さんと母さん、それから姉さんの顔を順番に見回すと、静かに話し始めた。
「本当は、浩之から別れようと言われました」
その言葉に三人とも驚いたようだった。それから俺も。まさかそんなことから話出すとは思っていなかったから。
「それというのも俺の家族、特に父親から、浩之と付き合うことを反対されているせいでした」
「反対?」
「父親には浩之との関係を認めないと言われています」
その言葉を聞くのは二回目で、たとえ間接的だろうと未だにそれは俺の心臓を抉った。
最初にその言葉を伊坂から聞いた時、俺は深呼吸でやり過ごした。伊坂の口から出たそれはどうしようもなく俺を揺らし、別れることを考え始めたのもその頃だった。
「もちろん俺はそれを突っぱねましたが」
「今でもお父様は反対されていらっしゃるの」
「……はい」
今まで一度もためらいを見せなかった伊坂は、その時だけ言葉を詰まらせた。いつも伊坂が俺に対して後ろめたく感じていることはそれだったから。俺が罪悪感を持っているのと同じように。
「父親は昔気質の、頑固なところがあって。考え方も古い」
隣で膝の上に置いた伊坂の拳に力が入ったのが分かった。
伊坂が父親のことを話すとき、いつも少し棘が含まれる。もともと反りが合わないと言っていたが、それを決定的にしたのは俺だ。嫌いなわけではないのだと思う。それでもそんなふうにしか話せなくなってしまったことに、俺はいつも罪の意識を感じる。
「息子に、同性の恋人がいることに理解を示してはくれません」
けれど、と伊坂は続けた。
「俺は一生、浩之と一緒に生きて行くと決めました。だから思い切って全然違う場所へ行こうと言って、浩之はそれに頷いてくれました」
母さんは困ったように父さんのほうを見た。姉さんも口を挟まずに父さんを見ている。父さんはしばらく俺と伊坂の顔を見ていたが、やがて口を開いた。
「つまり、お前たちは反対されたから親元から逃げ出して二人だけで生きて行くけれど、それを許して欲しい、そういうことだな」
その響きの冷たさに、俺は背筋が伸びた。さすがの母さんと姉さんも父さんの言葉に強張った面持ちをしている。俺は違うのだと言おうとして、なんと言えばいいのかわからなくて開きかけた口を閉じた。要約してしまうとそういうことなのだろうか。
俺が考えあぐねていると、伊坂がはっきりと答えた。
「違います」
「違う?」
父さんは表情を変えずに伊坂を見た。伊坂はそれを真っ向から受けて真っ直ぐに見返していた。
「違います」
「どう違うんだ」
「俺たちはまだ若造で、二人だけで生きて行けるなんて思っていません」
そうだ。俺たちは二人だけで生きていけるなんて考えてはいない。そうではなくて。
「二人で一緒に生きていくと言ったんです。この場所を離れるのは、俺たちなりのケジメです。逃げ出すつもりはありません。嫌な思いをすることもたくさんあるでしょうが、浩之と二人なら大丈夫だと思っています。そして俺たちを信じていてくれる人がいればなおのこと心強いと。残念ながら俺の家族には理解してもらえませんでした。家族に理解を得られないことは、とても、寂しい」
伊坂の横顔には何も映らなかったけれど、彼の苦悩を俺はよく知っている。一番それに苦しんだのは伊坂自身で、俺は一番近くでそれを見ていたのだから。
「せめて浩之には、家族に認めてもらって欲しい。だからこうして挨拶に伺ったんです」
「もし私が、お前たちを認めてやらないと言ったら君はどうするんだ」
それに伊坂は即答した。
「別れません」
父さんは伊坂をじっと見た。その様子を母さんも姉さんも緊張した顔で見守っている。こんなに喋らない二人を見ることは今後ないかもしれないと思うと、場違いにも少しおかしかった。
父さんが伊坂から目線を外し、俺を見る。
「お前はどうなんだ」
「俺も一緒だ。別れない」
父さんはしばらく俺を見た後、おもむろに口を開いた。
「お前たちが考えて出した結論だ。お前たちの好きなようにしなさい」
そう言うと、父さんは立ち上がってリビングを出て行った。後に残された俺たち四人は途端に気が抜けたように腑抜けた。父さんの前に置かれたお茶は、最初に姉さんが口を付けてから、一度も触れられなかった。
好きにしなさいと言った父さんの言葉には突き放すような響きはなくて、俺は心中に深く感謝した。
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