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別れを切り出した次の夜、研修会から帰ってきた伊坂と一緒に食事をした。小さく切った鷹の爪が入ったペペロンチーノ。ピリと辛いそれを俺は白ワインで、伊坂は烏龍茶で。付け合わせは簡単なサラダだけのシンプルな夕飯だった。
俺たちの間には一つの約束事があって、お互いの家でご飯を食べる時は、その部屋の主がご飯を作ること。それが暗黙の了解になっていた。この日もその約束事に漏れず、いつも通り伊坂が作ったパスタを食べていた。
「お前の作るご飯は麺類が多い」
「楽だしな」
「たまには手の込んだ料理をしろよ」
「しょうがないだろ今日は仕事だったんだから。それに俺はあんまり料理には向いてないしさ。そういうのはお前に任せるよ」
くるくるとフォークにパスタを巻きつけながらあっけらかんと伊坂は言った。元々が器用だから、伊坂は割と料理も手際よくやる。だからと言って好きだというわけでもなくて、いつも簡単なものが多い。俺は凝り性のせいか、一人暮らしになってから始めた料理にすっかりはまり、それまでは包丁でさえろくに触りもしなかったわりには随分とレパートリーが増えた。
「俺はお前の作る味噌汁が好きなんだよ」
「ああそう」
「そう。肉じゃがとかさ」
「煮物はまだ上手くできない」
俺たちは昨日の別れ話には触れず、淡々と食事をした。遠くからは踏切の音が聞こえる。昨夜からの雨で、空気が澄んでいるのかもしれない。
「それにしてもこのパスタソースはうまいな。和えるだけでこの味はすごい。どこのやつだ」
「いつものとこのやつ。新発売だった」
「他にも種類があるのか?」
「何種類かあったけど。トマトソースとかチーズのやつとか」
「今度買ってみよう」
「そうしろ……なあ、今日の朝、言ったこと覚えてるか」
「なんだった」
「あそこに行かないか」
「あそこ?」
皿から顔を上げると、伊坂がいつの間にか俺を見ていた。
「海岸通りの桜を見に」
時刻はすでに7時を回っていた。窓の外は暗い。それでも俺は伊坂の言葉に頷いた。きっと何か大切なことを言うのだろうと思ったから。そして伊坂は舞い散る桜の下でこの街を離れよう、そう言った。
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