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五.無恥
社長は無恥である。だからといって厚顔無恥ではない。
そう思う理由はいくつかあるが、社長には一切の厚かましさは感じない。
むしろ下手に出過ぎて、取引先を困惑させることさえある。
ただ無恥なのである。決して無知ではない。
博識と言えるほど専門知識に精通しているし、学び続ける姿勢には感銘を受ける。
それに加え、海外の有名大学出身で語学にも長けており、日本以外にも多くの仲間がいる。
私の知らない世界を知っている社長は、やはり無知ではない。
「なんで日本は、こんなにも高温多湿なの。嫌になる」
そう言って社長は、おもむろにシャツを脱ぎ出した。
オフィスでキャミソール一枚になるとスカートも脱ごうとする。
「社長、それはやめてください。ここはオフィスですよ」
「いいじゃない、別に。社長室にはあなたしか出入りしないんだもの」
「公私のけじめをつけてください」
「……いつも見ているくせに、ケチ」
そう言って下ろしかけていたファスナーをあげるとホックを止めた。
私の視線に気まずくなったのか、社長はシャツも着直し、元通りの服装に戻った。
羞恥心はないものか、と考えたが、本能のまま生きている人なので、羞恥心は持ち合わせていないのかもしれない。
人並み外れた頭脳と人脈を持ちながら、おごることなく天真爛漫である。
代々続く老舗の酒蔵は、現社長に引き継がれてから業績を大きく飛躍させている。伝統と現代アートのコラボレーションや新商品の開発は、既存のファンだけでなく、新規顧客も獲得していった。
手腕は本物である。
ご令嬢でありながら酒造りが分からないと数年単位で職人達から造酒を学び、信頼も獲得していった。
保守的な老舗の酒蔵は、奇抜なアイディアを難なく取り入れ、規模を拡大していった。
職人達はむしろ変化にさえ好意的に思っていたのかもしれない。
じり貧だった需要が、ご令嬢の手腕によって回復していたのである。
代々受け継がれてきた技法と血統は、現社長によって大きく変貌を遂げていた。
「出品している品評会、いつ頃結果が出そう?」
「来週には結果が通達されるかと思います」
「そう。それなら年末商戦にも組み込めそうね」
「調整できるよう準備しておきます」
「よろしくね」
そう言って、PCに向き直った。キーボードを打つ音が響く。
社長室の片隅に私のテーブルがある。そこで社長と時間を共有し、一日が過ぎていく。
来客の際も社長室に通すことは稀で、応接室で全てを済ませてしまう。
どうしても席を外さなければいけないときは、執務室で秘書業務を行うこともあるが、これまた稀である。
社長は容姿端麗という言葉がよく似合う。
ご令嬢の上品さと作法を身につけながら、はっきりとした目鼻立ちと左右の均整が取れた顔は、モデルにもなれそうである。
それなのに学生時代はミスコンにエントリーすることすらなかった。
どうしてかと尋ねたときも「興味がない」の一言で終わってしまった。
もったいないと思いつつも社長職が板についた今では、こちらの方が似合っている。
私に一報が入った。懇意にしている社長は寿命というにはまだ若く、社長とも仲がよかった。珍しくプライベートでも付き合いのある人だった。
どう伝えようかと悩んだ挙句、ありのままの事実を伝えようとデスクの前に立った。
「社長、至急お伝えしたいことがあります」
書類から顔を上げてこちらに視線が向く。生唾を飲みこみ、見据えたまま言葉にした。
「―社の社長がお亡くなりになられました。どういたしますか?」
「……分かったわ。通夜には行きたいから、日程調整して。それと供花の手配もよろしく」
社長の目に涙が溜まっていることを見逃さなかった。
席を外そうかとも考えたが、これからの業務のことを考えれば得策ではない。
社長とは公私共に過ごしているものの、こういったときどうしたいいのか分からない。
迷っていると社長が私を抱きしめた。まるで子供がぬいぐるみにすがるようだった。
次第に社長は嗚咽を流し、雫で私のスーツを濡らした。
鼻水をすする音がして、そっと背中を撫でた。
泣きじゃくる社長は、恥ずかしげもなく、哀悼した。
品評会の結果通知が届いた後、社長は朝礼を開いた。従業員に最優秀賞・金賞の報告をし、士気を高めて朝礼は終わった。
社長室に戻ると再びこの話題に触れた。
「金賞獲得おめでとうございます」
「ありがとう。と言っても私は何もしていないけれど」
「そうでしょうか?」
「私ができることは、みんなを鼓舞することとまとめることくらいよ」
そう言って、手元にあった紅茶を口にした。
本来お茶汲みは秘書の業務だろうが、社長は自ら行う。それには「無駄に気遣いせずに業務に打ち込んで欲しい」という思いが込められていた。
この品評会についてもそうだった。それなりに名の知れた品評会で入賞できれば、メディアへのアピールにもなるし、従業員のモチベーションも高まる。
だから周到な準備と下調べをして、挑んでいた。社長には金賞獲得は目に見えていたのだと思う。
口にはしないが、減点方式の採点法と採点項目は徹底的に調べ上げ、どの銘柄ならクリアできるのか熟考していた。
老舗の意地と戦略は、社長ならではだった。
ご令嬢というだけでは決してない。
昼食は食堂を使うこともあれば、社長室で食べることも多い。
気まぐれに食堂で食べたいと社長が言うので、そのお供について行った。
危険はないけれどなんとなく一緒に食べたかった。
食べ始めると社長の所作の美しさに感激してしまう。
育ちの良さが出ており、前社長である会長譲りの礼儀正しさが垣間見える。
美味しそうに食べる仕草は、誰も魅了してしまう。
食事を一緒に取ることも多いのに場違いな気がして、いまだに慣れない。私の所作は大丈夫だろうか。
「ねぇ、ついてるわよ」
そう言って、紙ナプキンで口元を拭われる。
不意打ちのそれに固まってしまう。
「せっかく、綺麗なんだからもったいない」
公衆の面前で何をやっているのだろう。
数名の従業員は、こちらに気付いて視線を送っている。
その羞恥に耐えきれなくなり、紅顔していく。
至近距離にある社長の顔を凝視できない。
時に海外生活が長かった社長は、日本人離れしたことをする。
それは従業員にも知れ渡っていて、この行為自体には物珍しさは感じるが、特に噂になるようなことでもない。
頭では理解していても身体は素直に反応してしまう。
おそらく社長は恥ずかしげもなく、楽しんでいることだろう。
もう隠しきれないと思い、食べ終わったトレーを持って、先にデスクへと戻った。
数分後、社長が戻ってきた。
「ひどいじゃない、置いていくなんて」
「一言言ってもらえれば、あんなに恥ずかしい思いはしなかった」
「そうかしら? 牽制したつもりよ、だってあなた男性社員に人気が高いんだもの」
「そんなことない。社長の方がずっと人気がある」
「私は役職がついているし、家柄もあるから誰も言い寄ってきたりしないわ」
そう言って社長は、頬に触れてくる。
ここは密室である。
二人以外、誰も見ていない。
窓にはロールカーテンが閉められており、外からも見えない。
ひんやりとした社長の手が紅く染まった頬から、温度を奪っていく。
近付いてくる美麗な顔に見惚れながら、まぶたを下ろした。
軽くキスをされ、唇に体温を感じると唇が啄まれていく。
うつされた微熱は、さらに感覚を鈍らせていく。
私は社長に侵されている。
もう逃げることなどできないだろう。
そしてこの熱を忘れることなんてできない。
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