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殺したくない4
新聞にあいつの名前があった。海外の有名な音楽の賞を、日本人で初受賞したらしい。
中学生のあいつは会社社長になると言っていた。その下で働く人々にやりがいや幸せを与えたはずだ。高校の時は政治家。日本の将来は明るくなったはずだ。
あの光る石でよみがえるたび、パラレルなあいつが現れるのかもしれない。今のあいつは、バイオリンに稀有な才能を持つ芸術青年なのだった。多くの人々に癒しと清涼感を与え、ファンは増え続けているという。どう転んだって、いつだって優れた人材なのだ。
俺は故郷を離れた。近くにいると比べてしまう。必死で勉強をして奨学金で東京の大学へ出た。とにかくあいつの有能さを近くで見ていたら、いつうらやましいと思ってしまうかわからない。そうなったらまた殺してしまうのではないか。そう恐れたせいだった。
順調だった。俺は俺なりに頑張ってゼミの先生にも気に入られ、マスターへの進学も薦められている。
バイト先で理知的な彼女と知り合い、付き合い始めた。彼女はクラシック好きで、二人でよくコンサートに出かけた。俺も「どっかで聴いたことある」程度の音楽が、タイトルや作者名と結びつくようになった。心穏やかで楽しい日々が続いた。
そんなデートで出かけた会場に、年末イベントのポスターが出ていた。それは、あいつのソロバイオリンコンサートだった。そして、会場がざわついたかと思うと、本人が視察に来ていた。
「え……おい、久しぶりだな」
素早く立ち去ろうとした俺を、あいつは目ざとく見つけ、駆け寄ってきた。そして気さくに話しかけてきた。何年ぶりだろう、と俺も懐かしさを覚えた。返事しようとしたその時、彼女が目を丸くして声を裏返した。
「知り合いなの?」
彼女もバイオリンを弾く。当然好きな奏者もいる。それが……あいつだった。
そのあとはもう悲惨だった。三人で飯を食うことになり、二人だけがわかる話題で盛り上がり、そのうち彼女とのデート回数が減り、やがて。
妬まない、うらやまない。うらやまない――。
誓いとは裏腹に、俺は空港にいた。未練たらしく二人の新たな出発に追いすがった。海外に拠点を置くあいつ。ついていく決心をした彼女。
俺は、一発殴らせろ、と言ってしまった。そしてあいつの頬をぶん殴った。あいつは転がりぶっ倒れた。彼女はあいつを助け起こし、俺には目もくれなかった。
彼らの搭乗便のアナウンスが流れた。彼女は気を失ったあいつをロビーの椅子に寝そべらせ、CAだかグラウンドスタッフだかに事情を説明していた。「次の便に振り替えさせてください」との声が聞こえた。
どうあっても行ってしまうんだな。彼女はもう俺の下には戻らない。
一発殴ったくらいじゃ気は晴れなかったが、俺はふらふらとその場を離れた。最後のプライドを振り絞ってあいつらの視界に入らない場所までたどりつくと、ソファに崩れ落ちた。そこで何時間ぼんやりしていたのか。
周りが慌ただしくなっていた。「さっき出た直行便です」「エンジントラブルで」「不時着」「全員死亡」
俺は一気に覚醒し、立ち上がった。人々の口々の細切れの情報。モニターに現れる文字。行き先。便名。
あいつと彼女の、振り替えた便――。
俺はよろけて床にへたり込んだ。俺があいつを殴ったばっかりに。また。またも俺があいつを。
いいのか? 石があるからって、俺は油断していたんじゃないのか……?
白い光。白い光。けれど頼む、もう一度――。
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