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「そうなんですか。俺は甘い卵焼きは大好物なので、こうしてご相伴にあずからせて貰って役得ですよ」
そう言いつつやっと卵焼きを軽く咀嚼し、味を感じる前に喉に流す。せっかくの坂山さんの味を上書きするのは勿体ない。
ほうれん草のおひたしも同様に、口の奥まで箸を入れて奥歯で軽く噛んでから飲み込んだ。
「でも本当に良いのか? 毎回こんなことさせてしまって」
「俺から言い出したことですから。嫌だったら言いませんよ」
「だったら先に君に食べて貰ってからとか、箸を別にするとか――」
「課長」
俺は坂山さんの言葉を遮った。
「奥さんは課長の為にお弁当を作っているんですよ。俺から先に手を付けるだなんて、それこそ奥さんに対して失礼です」
「……それもそうだな」
「それに箸の使い回しなんて誰でもすることです。そんなこと、気にする必要はありませんから」
思わず口調が強くなったのが自分でも分かった。一瞬ひやりとしたが、坂山さんは諫められたと思ったのか、居たたまれない様子で肩を落としている。
「そういうもんなのか……」
納得したのかしていないのか。坂山さんは困ったような笑みを浮かべた。
もしここで、「課長の唇が触れた箸を使いたくて、俺は嫌いな食べ物を口にしているんですよ」と言ったらどうなるのだろうか。
俺も坂山さんと同じく、甘い卵焼きは好きではない。ほうれん草のおひたしもだ。
「課長は気にせず、奥さん思いのいい人を演じていれば良いんです。俺も一人暮らしでまともな栄養が取れていないので、助かってるんですよ」
淡々とした口調でそう言って、再び俺は箸に口を付ける。
彼の味を確かめるように、俺は素知らぬ顔で箸に舌を絡ませた。
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