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花の言葉
長針が秒針のような勢いでながれていく。
白い壁に白いカーテンの影がゆれる。
時計を隠す、隠さないを繰り返した。
ずっと同じ一点を見ているだけで、
次第に聴覚が研ぎ澄まされ、秒針の音はカチカチカチカチとうるさいくらいに感じた。
秒針の音以外は、なにもきこえない。気持ちがいい、どうしようもないくらいの気持ちのよさ。鳥肌が立つ。
このまま体は溶けて、
心だけ残るような─────────
刹那。
ゆれる影から目を離すと、秒針の音は小さくなった。
かわりに花の香りがした。あまりにも強い香りに頭が痛くなる。10時、またこの時間がきたことを告げた。
「忘れるなよ。」
とでも言うように、花の香りが部屋中に広がっていく。知らないうちに、今日から咲かなくなるのではないかと期待していたのかもしれない。
そんな期待を雑に塗りつぶして、
正しいことをかき直すかのように、
子供の頃、母に言われた言葉が頭のなかに染み出してきた。
「───《花香病》は、難病指定されていないだけでね、難病と同じなのよ。まだ、治療法が分からないの。
午前10時になると花が咲く。《花香病》をもつ人の近くで必ず花が咲くわ。床からでも、食べ物からでも、どこからでも突然花が咲くの。
それから、一時間くらい経つとその花の花言葉にちなんだ症状が表れてね、苦しい意味も楽しい意味も、すべて症状としてあらわれるわ。
これは、毎日必ず続くことなのよ───。」
期待と諦念に襲われたが、
結局前者は負けた。
花の香りで頭痛の他に、吐き気がしてきた。
それでも、花言葉だけは知っておかなければ。
今日の花言葉を調べなければ、
この先が余計に怖くなる。
吐き気と頭痛を我慢して、ふらつきながら立ち上がると、視界には紫の花がいた。
綺麗。
毎日この瞬間だけ、このときだけは、花が美しいと感じてしまう。幸せな気分になれた。
花に近寄り過ぎたせいで、余計に香りを強く感じて、吐き気が増した。
幸せな気分は白い壁に、
一斉に吸い込まれていった。
幸せが抜けたからだのまま、スマホでなんとか、その花の写真を撮った。検索するとこの花は、《ヒヤシンス》だった。紫のヒヤシンス。
花言葉は【悲しみ】。
昨日より辛い日になりそうだ。
汗が全身からにじみ出るのを感じた。
***
11時になると、
訳もわからず涙が出てきた。
今までに、感じたことのない孤独を感じた。
誰かに会いたい。誰かと話したい。顔を見るだけでいいのに、身体が動かない。
置いていかれたような、見捨てられたような感情に襲われて動けなかった。
部屋が広くなったように思えて、
置いてきぼりをくらった感覚がぬぐえない。
動けないのに涙は止まらない。
体が震える、このまま誰とも会えないまま全て終わってしまいそうだ。
もう何時間たったのか分からない。
時計を見ることもままならない。
視界が狭くて、暗い。
ついには灰色のカーテンしか見えなくなった。
「悲しい。苦しい。」
「気づいて。」
「泣いている理由を誰か
聞いて───。」
***
白いカーテンが揺れている。夕日に照らされてつくられた影もなぞるように揺れた。
時計の短針は4を指していた。
誰とも会えないまま終わることは、なかったようだ。
《花香病》の症状は治まっていた。
今日の花はここ最近で一番辛かった。
にもかかわらず、途中で気を失うことができて良かったなどと、冷静に、楽観的に考えてしまう。
あのまま、症状が続いたら本当に終わってしまいそうだった。
明日は幸せな花言葉であることを願いながら、枯れた紫のヒヤシンスをごみ箱に捨てた。
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