手を握る

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 バスで帰るという二人を最寄り駅で下ろすと、運転席の窓を下げた。9時をとっくに過ぎた小さな駅は人もまばらだった。 「明日には帰るんだっけ?」 「ああ。午前中に黒田のところに寄ってその足で」 「そっか。気をつけてね」 「黒田によろしく言っといて」  二人が同時に頷くのを見てから、俺は車をスタートさせた。助手席の香が振り返って窓から手を振る。冷たい風が流れ込んで足元を冷やした。車が角を曲がる瞬間見たフロントミラーには、寄り添って立つ二人が映っていた。 「なんかさ、いいよね」 「ん?」  信号が赤になって車を止めた時、香が呟いた。隣の車線の車がぎりぎり赤信号を突っ切って走って行った。きっと香なら一緒に走って行っただろう。案の定、隣を見ると非難がましい顔でこっちを見ている。 「赤だったからな?」 「まあ、いいけど」 「それで、何がいいって?」 「あの二人。一緒にいるのが当たり前って言うか、自然っていうか」  そうだな、と返して俺は車をスタートさせる。きっとあいつらは死ぬまで一緒にいるんだろうと思った。 「この子も」  車内は静かで声がよく通る。この子と言ったときの声はとても優しくて、きっとあの荒れた手のひらでお腹を撫でているんだろう。 「そういう人と出会えたらいいな」 「そうだな」 「あ、動いた」  思わず隣を見やって、俺は慌てて視線を元に戻す。左手をハンドルから離して手を伸ばすと、ぽこっと何かが俺の手の下で動くのが分かった。 「早く会いたいね」 「うん」  まろやかなお腹に乗せた俺の手に、かさついた小さな、そしてとても温かな手が重なった。 「お前が怖がりだなんて知らなかったけど」  長谷川たちの車を見送りながら言った。森見がちらりと俺の方を見たのが目の端に映った。車が角を曲がっていって、俺は視線を戻す。駅は閑散としていたが、ちょうど電車がついたらしくにわかに人の声が騒めいた。乗客たちがそれぞれに散っていき、やがてまた静かになった。 「ホラー映画は好きじゃない」 「そうだっけ?」 「大きな音とかで驚かされるのが苦手なんだ」 「ふうん」  駅前のぐるりとしたロータリーを歩いてバス停に向かう。次のバスまでは十分ほどだった。ベンチに座るとひんやりと冷たい。 「それに、ホラー映画は次に何がくるかなんとなく分かるじゃないか」 「それって映画として致命的じゃないか?」 「筋書きが分かるとかじゃなくて、次に驚かせにくるぞっていうのが」 「ああ、そのドアは絶対開けない方がいいのにってやつね」  森見がそれだと微笑う。風除けのないベンチを風が吹き抜けると、剥き出しになった森見の首筋が寒そうで、俺は自分のマフラーを巻きつける。 「なんでマフラーしてこなかったんだよ。この前まで風邪ひいてたくせに」 「アルコールが入ってるからそれほどでもない」  向こうから帰る時にはマフラーを巻いていたはずだから、実家に置いて来たのだろう。長谷川たちに会うために帰省すると話した森見が母親にホテルなんて勿体ないと叱られて、俺たちは森見の実家に泊まっていた。 「それほどでもないはずないだろバカ」 「お前は心配し過ぎだ」 「お前はもっと自分の身体を心配すべきだ」  バスの接近を知らせる掲示板が光るのを見ていると、森見がぽつりと言った。 「……俺は心配ばかりしてた」 「ん?」 「もしかしたらこのドアを開けたら、あの角を曲がったらと、いつも怯えてたんだ」  掲示板から目を離して前を向いたままの横顔を見る。特に気負った様子はなくて、さっきのホラー映画の話の続きだろうかと思った。 「すごく大事だったから、起きるかどうかも分からないことに怯えて失くさないように必死で、いっそ手放せばいいのかとも思ったけど」  苦笑いした顔を見て、それがようやく最初の話の続きだと気がついた。 「でも手放さなくてよかった」 「当たり前だろ。お前が手を離したって俺が離してやらない」  森見は小さく頷いて、白い息を吐き出した。  向こうのほうからバスが入ってくる。乗客はあまり乗っていなさそうだった。その横顔越しに見る風景に懐かしさを感じる。あの頃は一緒のバスには乗らなかったけれど。 「長生きしろよな」 「お互い様だ」  バスが目の前でゆっくりと停車すると、車内の乗客が降りる準備を始めるのが見えた。俺は最初の乗客が降りてくるまで、その冷たい手をぎゅっと握りしめていた。
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