同僚の結婚祝い

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同僚の結婚祝い

「森見さんってゲイって本当ですか?」  照明の落とされた雰囲気のいい個室、ムーディなジャズがゆったりと流れる中その声はやけにはっきりと届いた。 「ちょっと佐倉」 「えー、だって気になるじゃないですかあ。深山さんは同性愛者とか差別する系?」 「そうじゃなくって」 「確かに恋人は男ですが」  やんわりと深山さんを遮って森見が答えた。深山さんは気遣わしげに相手を見たが、森見は薄く笑うだけだった。 「すごーい同性愛者の人って初めて見ましたー」  同僚の第一子誕生を祝う飲み会は、職場である高校の近くにあるビルの地下のこじんまりとしたダイニングバーで開かれた。二年の担任を中心に集まった参加者は当然知らないものはいないが、プライベートな話をしたことのない相手もいる。まして佐倉と森見はさほど親しくもないはずだ。 「そういう人ってどこで知り合うんですかー?ゲイバーとか?」 「いや普通に高校の時の同級生だけど」 「へえすごーい。そんなの普通わかんないですよねお互いゲイとかー」  皆が今はこの会話に注目している。森見は僅かに困ったように笑っている。俺はテーブルに置いてあったメニューを深山さんに渡した。 「深山さん、次何飲む?」 「あー私は焼酎。芋で」 「深山さん、ガチで酒好き過ぎですって」  だから未だに独身なんですよ、と誰かが混ぜ返して深山さんが怒ってみせる。ひとしきり笑いが起こってお酒の話で盛り上がると話題は自然に流れた。今の学校に赴任してもう二年になるが、とても居心地のいい職場である。 「悪いな」 「何で中川さんが謝るんですか」  森見がからりと鳴らしてグラスを空ける。今年一年目の男の恋愛事情で盛り上がる場をそっと離れて、カウンターで一人飲んでいた森見に声をかけた。ウイスキーを頼んで隣のスツールに座る。 「一応幹事だし」 「気にしないで下さい」  慣れていますから、と続けた森見に気負ったところはない。今回の主役である多田と森見は同年代で仲がいいらしいが俺はあまり話したことがなかった。  森見は冗談を言って生徒と仲良くなるタイプではないので生徒受けするわけでなはいが、教え方が上手いようで教科書を片手に質問しに来る生徒をよく見かける。  俺はといえばとっつきにくい印象があってなんとなく苦手意識を持っていた。 「よくあることなので。いやな思いをしないと言ったら嘘になりますが気にしても仕方ないので」 「よくあんの?」  酒のせいか俺は少し無遠慮に聞いてみる。 「聞かれれば答えます。隠すつもりはありませんから」  静かだけれどはっきりとした口調に強い意志を感じた。 「ねえなんの話ー?」 「深山さん酔ってますね?」  ご機嫌な深山さんが右手に焼酎の入ったグラス、左手にビールの中瓶を持って森見の横に座る。  深山さんは三十代半ばと若いながらに二年の学年主任をしていて、さっぱりとした性格と飴と鞭の使い方が絶妙なのとで生徒はもちろん教師陣にも信頼されている。ただいかんせん酒が大好きで未だ独身。俺は密かに勿体ないなあと思っている。 「深山さんはこれぐらいじゃ酔わないですよね」 「そういう森見君も素面じゃあん。もっと飲みな」  頼んだばかりの森見のグラスに強引にビールを注ぐ。森見は困った顔をしながらも深山さんの暴挙には逆らわない。 「深山さんて本当に質の悪い絡み方しますよね」 「うるさいぞ中川。大体あんたがちゃんと自分の彼女のしつけもできてないからダメなんじゃん」  俺は正直に驚いて深山さんを見返した。深山さんはしたり顔で笑う。 「ばれてないとでも思ったか甘いな。っていうか佐倉がわかりやすいからねえ」  甘々だものと言って深山さんは焼酎を一気に呷った。  俺と佐倉かなが付き合いだしたのはせいぜい一月ほど前からだ。歳が8つ程下でほどほどに可愛くて舌ったらずな感じが非常にストライクで、飲み会の帰りに告白されて付き合い始めた。少々空気の読めない感じはあるが許容範囲かなと思っていた。 「ちゃんと空気の読み方教えといてね。酒の飲み方と空気の読み方は社会人の必須科目」 「……肝に銘じておきます」  付き合っていることは誰にも言っていないし、職場ではあまり話していないつもりだったが深山さんの観察眼は恐ろしい。 「中川さん、佐倉先生と付き合ってるんですか」 「え、ダメ?」  だめじゃないですけど、と言って森見が笑う。 「意外です。もっと落ち着いた人と付き合ってそうだから」 「所詮男は若い女がいいのよ。ばかでも可愛ければいーの」  深山さんが冗談めかしたような、半ば本気のような顔で俺を睨む。勿論俺は地雷を踏まないように黙秘。 「深山さんは素敵だと思いますよ」 「ありがと。そういうとこ本当にいいよね森見くんて、さらっと言うし。なんでいい男ってフリーじゃないんだろ」 「深山さんて森見と仲いいんですか?」  普段あまりプライベートな話をしない森見が、深山さんと親しげに話すのに驚いていた。こうして話していると森見は最初の印象よりもとっつきやすい。 「森見くんが最初のクラス持ったときの副担があたしだったの」 「それは御愁傷様です」 「どういう意味?」 「優しい先輩ですよ深山さんは」 「お前意外とうまいよなそういうとこ」 「森見くんは素直なのよ。だからね、最初の頃の初々しい失敗談とかも知ってるわけよ」 「お、それ貴重ですね。想像つかねー」 「初々しいって言っても一年目じゃないし、クラス担任も前の学校でやってますから」 「でも三年持つのは初めてで、受験生との接し方に悩んでるときは相談にのってあげたでしょ。酒にも付き合ってあげたし」  そこが一番難関でしたと俺にだけ聞こえる声で呟く。確かに難関だっただろう、深山さんの酒に付き合うのは。 「あ!だからねー知ってるんだよ森見くんの彼氏くん」 「え、本当に?」  苦笑している森見には悪いが正直、ミーハーと言われようとも気になる。俺よりも年下だがやたら落ち着いている森見の、彼氏がどんな人なのか。 「かっこいいんだよ彼氏くん」 「へえ?」 「森見くんてさ、今すごく素面みたいな顔してるでしょ?お酒めちゃくちゃ強いんだけど、ある程度までいくと急に落ちるの」  落としたのかこの人。 「それでね、全然動かなくなっちゃって困ってたところに森見くんの携帯が点滅してたのよ。まあそれで悪いなあと思いつつ家族かもしれないと思って電話に出たら男でね?」 勝手に電話出てあまつさえ会話したのかこの人。 「状況話したらじゃあ迎えに行きますって。黒の四駆でさ」 「で、あいつが俺の意識のない間に自己紹介してて深山さんにはばれてしまったというわけです」 「マジでかっこいいんだって。なんかやんちゃな大人の男みたいな」 「あんまり言うと調子に乗るんで本人には言わないで下さいね」  困ったように笑っている森見は実は照れているのかもしれない。意外とかわいいとこがあるじゃないかと、からかいたい気になる。馴れ初めでも聞いてやろうと思ったところで肩に細い腕が回った。 「ねぇねぇ何の話してるんですかー?」  佐倉が舌ったらずな声で俺と森見の間から顔を出してきて、こういうところが空気読めてないよなと思う。甘いリキュールと香水の香りがした。 「佐倉うざい」  深山さんにばっさり切られて涙目になっている可愛い彼女をフォローする。 「いや、深山さんもさっきそんな感じでしたよ」 「確かに」 「森見くん、お前もか」  森見にまで肯定されて、悲劇の英雄みたいな台詞を吐いた深山さんが佐倉の頭を抱えて皆の方へ戻っていく。深山さんはきついことも言う人だけれど、面倒見がいいから佐倉を可愛がっている。佐倉もそれをわかっているのか、文句をいいつつ何かあればよく深山さんに相談しているようだ。  本当にいい職場だと思う。 「じゃあ今日も落ちるまで飲んで彼氏くん呼ぼうか」 「嫌です」 「俺、森見ってちょっととっつきにくいなあと思ってたんですけど意外と話しやすいやつなんですね」  バスで帰る深山さんと電車で帰る俺は駅に向かって歩いている。火照った顔を冷やす夜風が気持ちいい。  奥さんと子供の待つ家にさっさと主賓を帰すと自然、一次会はお開きになった。あとは若手が中心になってカラオケに行くといっていたが俺と森見、それから深山さんは遠慮した。若い奴らにはついていけないなと呟いたら親父くさいと森見に笑われた。ちなみに森見は家が近いのかしれっとタクシーで帰っていった。 「そうなの。あの子ね、余計なこといわないから冷たく見られちゃって損してるのよね」 「確かになあ」 「さっきの続きだけど、森見くんて飲み会でも涼しい顔して飲んでたから急に落ちてびっくりしたのね」 「そんなになるまで飲ませたらだめですよ普通」 「迎えに来てくれた彼氏くんが教えてくれたの。気を許してる相手だと時々飲み過ぎちゃうんだって」 「深山さんに気を許すとは」 「うるさい。で、まあその話をしてた時の彼氏くんがね、なんかしょうがないなあって感じで」  その時のことを思い出しているのか深山さんが優しい顔をする。きっと深山さんはあの少し無愛想な後輩がすごく可愛いのだろうなと思った。 「この男の前でなら森見くんも素直になるんだろうなって。だったらいいなってね」 「どんなやつなのか見てみたいなあ。あの森見が惚れるような男ですからね」  いいやつなんだろうなと思う。 「あ、じゃあ今度三人で飲み比べしよう。そんで森見くん落として迎えに来させよう」 「なんというえげつないことを」  しかも俺が一番にだめになりそうだ。  バスで帰る深山さんとは改札前で別れた。深山さんは酔っているようで全然酔ってないよなとか、佐倉は明日の約束は全然覚えていないだろうなとか。三人で飲むのは案外楽しそうだなとか。やっぱり森見の恋人を見てみたいから絶対に落とそう、なんて思いながらすっかり眠ってしまった俺は、最寄り駅を過ぎた終点で駅員に起こされるという醜態をさらした。  そしてその二ヶ月後、佐倉の浮気が原因で別れることになるとか、更に一年後にはなぜか深山さんと結婚することになるとか。しかもその結婚式の二次会で、深山さんにシャンパンをがっつり飲まされた森見が意識を失い、迎えに来た彼氏くんと初めて会うことになるなどとは、電車で深い眠りについた俺はまだ知る由もない。
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