隣で今夜は眠れそう

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隣で今夜は眠れそう

 ここ最近続いた熱帯夜がようやく落ち着き始めた夏の終わり。クーラーをつけると少し冷えすぎるけれど扇風機だけではまだ少し暑いし、開けっ放しの部屋の窓からは風もあまり入らない。俺は寝苦しさにベッドから起き上がると枕元の携帯電話で時間を確認した。真っ暗な部屋の壁がぼんやりと明るくなる。 「……眠れないのか」  背中から声をかけられ驚いて振り向いた。明日は休みだからと泊まりに来ていた伊坂が寝転んだまま俺を見ていた。 「ごめん、起こしたか」 「いや、俺もうとうとしてたから。暑くて」 「やっぱりエアコン入れようか」 「いやいいよ、お前すぐ風邪引くだろ。今何時?」 「もうすぐ日が変わる」 「まだそんな時間か」  ベッドに入ったのが11時頃だったからまだ1時間と経っていない。吸い込む空気が生温くなんとなく息苦しかった。こっそりと深呼吸していると、肩を叩かれる。 「なあ浩之」 「なんだ」 「散歩に行かないか」 「散歩?今から?」  そう今から、と言って伊坂は笑った。  日中よりも暑さは和らいで、風がある分室内よりも涼しかった。月が明るくて見晴らしのいい大通りは思ったよりも歩きやすい。ジョギングをする人とすれ違って、意外と夜に活動をする人が多いのだと驚いた。 「犬の散歩してる人もいただろ」 「日中より涼しいからかな」 「犬飼いたい」 「金田さんが飼ってるんだったか」 「いいよな大型犬。欲しいなあ」  金田さんというのは伊坂の会社の人で、俺も何度か食事をしたことがある。賑やかなのが好きらしく会社の同僚たちと自宅でバーベキューをするからと伊坂も遊びにいっていた。金田さんの家にはハスキー犬がいて、彼の家に行ってからというもの伊坂はずっと犬が欲しいと言っていた。 「マンションじゃ買えないだろさすがに大型犬は」 「無理かなあ。ゴールデンくらいなら飼えそうじゃないか?」 「今のお前の部屋じゃ無理だな」  見渡すと明かりがついているのは総合病院やコンビニくらいだったけれど、それでも星はまばらにしか見えなかった。  散歩に行こうと言った伊坂は俺を無理やりベッドから引っ張り出すと、寝巻きにしているスエットとTシャツのまま部屋を出た。ポケットには部屋の鍵だけで財布も携帯電話も持っていない。こんなにも軽装で外出するのは社会人になってから初めてかもしれない。人も車もほとんど通らない大通りは物珍しかった。 「意外といいもんだろ」 「うん?」 「夜の散歩。たまにするんだ実は」 「そうなのか?」 「寝れないときとか……あとは頭の中を整理したい時とか。じっとしてるのは性に合わないからさ」  伊坂は悩んでいる時じっとしているタイプではなくて、ジムに泳ぎに行くとかドライブで遠出するとか登山に行ったりとか俺も付き合わされることが多い。逆に俺はいつも通りの生活の中で思い出しては考えて、忙殺される中でいつのまにか忘れていく。その分、忘れるまでが長かったりもするのだけれど。 「いつもと違うのもいいかなと思って。お前いっつも悩むと長いだろ」 「そうだな」 「危なっかしいんだよコップもおかずにポットからお湯を注ごうとしたりさ」 「いつの話してんだよ」  ずいぶん前の話をして持ち出されて、俺は嫌な顔をした。何かあると伊坂はこの話をする。 「心配してんの俺は。例の生徒のことだろ?」 「ああ……」  俺が担当しているクラスには学校を休みがちの生徒が一人いて、学年全体で彼のことが問題になっている。俺が担当するようになってからすでに二回、警察から呼び出しがかかっていた。 「先週呼び出されてたのもその子だろ?」 「他校の生徒とケンカしたらしくて、警察から連絡があった」 「学校には連絡しなかったのか」  最初に警察沙汰になった時に、彼は停学になっている。他の先生方が問題視する中で、次に何かあれば退学という可能性だってある。俺はなんとか彼を卒業させてやりたいと思っていた。  問題のある生徒だとレッテルを貼ってしまうのは簡単だけど、優等生だとか問題児だとかそんなふうに彼らのことを型にはめることには違和感があった。 「いい子だとは言わないけど、ただ問題のある生徒だとは言いたくないんだ」 「でも警察にやっかいになってるのはちょっとなあ」 「話してみるとそんなに悪い子じゃないんだよ」  最近は比較的、学校にも来るようになっているからあとは波風立てず学校生活を送ってくれればいいけれど、彼がなぜそんなことをしてしまうのか根本的な問題を解決しないとどうにもならない気がしていた。 「あんまり入れ込むなよ」 「分かっては、いる」 「生徒の問題を解決してやるのはいいけど、一緒になって抱え込んでたら立ち行かないだろ。生徒はその一人だけじゃないんだから」  それは勿論、伊坂の言う通りで、他にも大なり小なり問題を抱えている生徒はいる。彼ばかりに構っているわけにはいかないのだけれど。 「手がかかる分心配なんだ」 「あとあれだ。お前がそいつのことばっかり考えてると俺がいやだ」  思いがけない言葉に伊坂を見ると、子供みたいな拗ねた顔をしている。 「俺のことも考えて」 「……生徒とお前は違うだろ」 「俺は森見先生に心配してもらえるそいつが羨ましいんだよ」 「本当にバカだな」  わざと戯けてみせる伊坂に俺は笑ってしまった。夏の夜の風が爽やかに通り過ぎて行く。ああ、確かに夜の散歩もいいかもしれない。 「少し気が楽になった」 「いいだろ散歩。でもお前一人では行くなよ?考えこんでぼうっとしたまま歩いて事故にでもあったら困るからな」 「そこまで注意散漫じゃないぞ」 「人通りもないからこんな往来でも人目を気にしなくていいし」  歩いている伊坂の肩が、俺の肩に触れる。時計も携帯電話も置いてきたから時間は分からないけれどずいぶん歩いた気がする。あともう少しだけ歩いたら、伊坂の隣で今夜はじっくりと眠れそうだ。
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